五月
「犯罪者の人権なんて考えず、刑務所は地獄のような場所にしてしまえばいい」
昔、そんな話をしたこと、佳奈は覚えていますか。
どちらがそう言いはじめたのかは忘れましたが、この話で酷く盛りあがりましたね。そのとき佳奈が言っていたことが、今でも頭の中をよぎります。
「特に殺人犯なんて、いっそのこと全員死刑にしちゃえばいいんだよ。理由がどうあれ、人を殺したことには変わりないんだから。情状酌量だのなんだのって、所詮は人間が決めてるだけじゃない。事実は一つだけ。人を殺した。そうでしょ?」
佳奈はいまだにそう思っているでしょうか。もしかしたら、それを強く願っているかもしれませんね。
けれど私は、そう思えなくなりました。
子供のころは、四人でよく遊びましたね。四人というのはもちろん私と佳奈、それから佳奈のお姉ちゃんである美奈さんと、私のお兄ちゃんのことです。美奈さんとお兄ちゃんは私達と二つ違いで、同級生でしたね。人口の少ない田舎町だからクラス替えもなく、美奈さんとお兄ちゃんはいつも同じクラス。私と佳奈ちゃんも、いつも同じでした。
小学生のときは本当に、四人でよく遊びました。地面に落ちているBB弾をひたすら集めるとか、横断歩道は白線の部分しか渡っちゃいけないとか、今思えばそんなしょうもない遊びをよく続けたな、と思うものばかりです。それでも毎日楽しかったし、明日が来るのが楽しみでした。
あのころは、十年後に美奈さんとお兄ちゃんが付き合うようになるなんて思っていませんでした。
こんな事件が起こることも、知りませんでした。
お兄ちゃんは子供のころから優しくて、面倒見のいい人間だったと思います。勉強はあまりできませんでしたが、いつも私のことを気にかけてくれ、両親にも大した迷惑をかけずに過ごしてきました。
お兄ちゃんは、人の笑顔を見るのが大好きな人間でした。
両親が喜ぶだろうことを熟知していて、私が好きなものが何なのかも完璧に把握していました。
両親の結婚記念日に、サプライズパーティーをしようと言いだしたのもお兄ちゃんでした。お父さんの好きな赤ワインと、お母さんの好きなチョコレートケーキを用意して、綺麗に部屋を片付けて、飾り付けをして……。両親を喜ばせるためのパーティーなのに、それを準備している自分がわくわくしたのを覚えています。恐らくお兄ちゃんは、私がそういう準備をするのが好きだと、けれどそういう企画をするのは苦手だと知っていたんでしょう。
「クラッカーは恵がやりなよ」「お父さんとお母さんが席に着いたら、恵みがケーキを持ってくるんだよ」と、おいしいところは全て私に任せてくれました。
私の誕生日には、毎年素敵なものをくれました。ある年はマイメロッティ(赤い頭巾を被ったウサギのマスコット)の筆記用具だったり、ある年はゲームのカセットだったり。お兄ちゃんのプレゼントは外れた試しがなく、いつも私の好きなものばかり選んでくれていました。
私はというと、お兄ちゃんが喜ぶというより自分が欲しいものばかり買って、お兄ちゃんに渡していました。けれどそれも、嫌な顔一つせず、お兄ちゃんは受け取ってくれていました。
ただ、コンプレックスの塊みたいな人だったとは思います。
お兄ちゃんはいつも動作が鈍くて、(私はくまのブーさんみたいでかわいいと思っていたんですが)同級生の男子たちからはいじめられていたようです。勉強ができないことも、それに拍車をかけていたと思います。
けれどお兄ちゃんが一番気にしていたのは、顔と背中にある酷いケロイドでした。
それはお兄ちゃんが小学二年生、私が幼稚園の年長のころ、私を庇ったためにできたものです。
私とお兄ちゃんの二人で留守番をしているときのことでした。カップラーメンを作ろうとしていたお兄ちゃんがちょっと目を離したすきに、私がヤカンへと手を伸ばしてしまったのです。ぐらついたヤカンと、溢れ出た熱湯。それらから私を庇うため、お兄ちゃんは自分の背中と顔の半分を犠牲にしました。
佳奈も美奈さんも、その火傷の痕を心配こそしても、ゾンビだと罵ったり気持ち悪いと言ったりしませんでしたね。きっとそれが、お兄ちゃんにとって心地よかったんだと思います。
……そろそろ、自分でも何を書いているのか分からなくなってきました。この手紙も、佳奈には出さずに処分してしまうのかな。実は、今まで何通も手紙を書いているのですが、全部自分で破り捨ててしまいました。何を書けばいいのか、何を書いているのか分からなくなってしまって。
――ラブホテルで女性の絞殺体発見。ラブホテルで、といちいち報道されているところがまた、佳奈にとっては苦痛かも知れません。だからといって、違う場所ならよかったのに、という意味ではありませんが。
今、私がつけているテレビでもやはりそのニュースを取り上げています。地区限定のワイドショーだからなのかは知りませんが、面白おかしく、そして小難しく語られています。
美奈さんとお兄ちゃんが楽しそうに笑っている写真がアップで映されていて、画面越しに見るそれは、何故かとても非現実的に感じられます。
お兄ちゃんが何故、交際中の美奈さんを殺してしまったのか、私には分かりません。
家族なのに、と思われるかもしれませんが、本当に分からないんです。世間では、『嫌がる美奈さんを無理矢理ラブホテルに連れ込みレイプしようとしたが、美奈さんが抵抗したため殺したんじゃないか』という憶測が飛び交っています。けれど、私にはそう思えません。お兄ちゃんがそんなことする人間だとは、どうしても思えないんです。それは家族だからだ、と思われるかもしれませんが。
面会でお兄ちゃんに訊いてみても、「僕が美奈を殺したんだ」の一点張りです。そして、「佳奈ちゃんに謝っておいてくれ」とも。それ以外の情報は何も得られません。お兄ちゃんは俯いていて、私の顔すら見ようとしないのです。
どうしてそうなったのかは、分かりません。
けれど、お兄ちゃんが美奈さんを殺した、というのは事実です。
『殺人犯の人権なんて知らないし、殺された人は人生すら奪われたんだから、殺人犯だってもっと苦しめばいいと思う。刑務所にテレビがどうとか、冷暖房がどうとか、おせちがどうとか馬鹿じゃないか。そんなもの、殺人犯には必要ない。この世から犯罪を減らすためにも、刑務所はもっと地獄にするべき』
昔は、そんなことを思っていました。手紙の最初にも書きましたが、佳奈とそういう話もしました。
けれどお兄ちゃんが殺人犯になった今は、どうしてもそう思えないんです。
殺人犯だけど、お兄ちゃんには人として生きて欲しい。そう思ってしまうんです。
これもやっぱり、家族だから、でしょうか。
お兄ちゃんのことを擁護するような、しかも「分からない」を連発した手紙ですみません。だから何が言いたいの、と思われているかもしれません。私自身、この手紙の趣旨が分からなくなっています。
けれどもし、テレビなんかで報道されている通り、「いじめによる劣等感・人格のゆがみ」がこの事件に関係しているのだとすれば、それはきっと私のせいです。あのときヤカンに手を伸ばさなければお兄ちゃんは火傷なんてしていなかったし、それが原因でいじめられることも、劣等感を抱くことなかったのですから。
佳奈。
できるのなら、許されるなら。美奈さんに謝りに行かせてください。
きっと今の私にできることは、それくらいしかないと思うから。
この手紙、佳奈に届けられるかな。
私達、もう、親友でいることは難しいのかな。