第八話 手合わせ
ヒルダと対話することに決めた俺は、食堂を出る。
長い廊下をしばらく歩いているとリーベがいた。
黒塗りの肖像画たちと会話をしていたように見えたが、そいつらの詳細は後だ。
「なあ、ヒルダを見なかったか?」
「そこにいるよ。かなり荒れてるみたいだね」
リーベが目線で示したのは、窓の外。
庭の中心で、ヒルダは剣を振るっていた。
そこに剣技のような型はなく、力任せに振り回しているだけだ。
「ヒルダになにか用事なの? 謝るなら僕も一緒に行こうか?」
「いや、俺がリーダーに立候補することを伝える」
「殺されるんじゃない? 冗談抜きで」
リーベにいつものようなふざけている様子はなかった。
「僕もイザベラもリーダー向きじゃないから、ハルトかヒルダのどっちかだとは思うけど……今伝えるのは不味いよ」
いや、今だからこそだ。
本心が剥き出しになっている今だから、ヒルダと本気のぶつかり合いができる。
「悪いけど、もう決めたんだ。まあ、なんかあったら骨は拾ってくれ」
「それ、死霊術師ジョーク? この状況じゃあ笑えないよ」
不安げなリーベを置いて、俺は急いで地下倉庫に赴く。
倉庫にはシャーロットがいて、物資と帳簿を突き合わせていた。
「仕事中に悪いけど、これ借りていくぞ」
「構いませんが、壊したら報酬から天引きですよ」
予備用の武器が置かれた棚を漁って、目当てのモノを引っ張り出す。
そして俺は屋敷を出て庭に向かった。
ヒルダは近づく俺に気付くと、剣を地面に突き刺す。
「さっきはつまんない話を聞かせて悪かったな」
「いや、俺の方こそ無理に聞き出して悪かった」
ヒルダはばつが悪そうに視線を逸らすが、俺が抱えたモノに気付くとそれを見つめた。
二本の木剣だ。
「ハルト、何企んでる」
「俺はリーダーに立候補しようと思ってる。その覚悟を示しに来た」
木剣を一振り、ヒルダに向けて放り投げる。
「舐めてるのか? 『あたしより弱いやつには従えない』って言ったばっかだよな」
受け取った木剣を手に馴染ませるように数度振ると、ヒルダの全身から殺気がみなぎる。
「言葉より、手合わせの方がわかりやすいだろ。ヒルダ」
次の瞬間。ヒルダは体当たりのような切り込みを繰り出してきた。
すかさず「衝撃耐性」と「剛力」で受け止めたが、それでも身体が後ずさるほどの重みがあった。
息つく間もなく激しい連撃が繰り出された。
「反射」なしでは対応できないと感じ、三つ目のスキルを重ねる。
屋敷の庭に不釣り合いな、木剣同士のぶつかり合う音が薄曇りの下で響く。
心配して追ってきたリーベと、俺を不審がって様子を見に来たシャーロットが遠巻きに俺たちを見ている。
ヒルダの振るう木剣には怒りが乗り、刃のような迫力があった。
俺は息を整え、木剣を軽く握り直す。
四つ目のスキルは「鷹の目」。視力を向上させるスキルだ。
ヒルダは「反射」だけで勝てる相手じゃない。
その動きを、太刀筋を見極めるのに使う。
今の俺には汗の飛沫の軌跡すら見える。
ヒルダの攻め自体は単純だ。
まずは体当たりのような切り込み。
次に冷静さを失った連撃。
そして下から一気に払い上げて相手を弾く。
この三つの流れを、彼女は繰り返す。
突っ込む。叩き込む。払う──必ず下からだ。
彼女の振りは力任せだが、規則正しいリズムを持っている。
連撃を受け続ける。
だが俺は強化した視力で観察していた。
ヒルダが踏み込むとき、必ず左足をわずかに引く。
連撃の初撃は右からだ。
払い上げには過剰な力が入り、隙が生まれる。
俺の中で、ヒルダの剣技のルールが静かに並んでいく。
「弱いやつの下につくのが嫌なら、なんで自分がリーダーにならないんだ?」
連撃を受け流す合間に、短く問う。
ヒルダは答えない。
「自分の出した指示で仲間を失うことが怖いんじゃないのか?」
その声は剣戟の合間に紛れず、ヒルダの耳に直接届いた。
「黙れ!」
ヒルダは叫ぶ。怒りが剣を加速させる。
「あたしより弱いお前に何ができる!? 勘違いしたリーダーがパーティを潰した話なんか幾らでもある。『タイマー』上がりの出世欲か知らないが、あたしを利用すんな!」
その言葉は鋭い。周囲の気配が一瞬硬直する。
だが俺は首を横に振った。
「確かに俺は弱い。実力も経験も足りないかもしれない」
「じゃあ、黙ってすっこんでろ!」
「利用はしない。仲間を使うんじゃない、仲間と助け合うリーダーに俺はなりたいんだ」
木剣を受け止める手に、ほんの少し力を込める。
ヒルダの一撃をはじき返した。
もうパターンは見切った。あとは決めるだけだ。
ヒルダの攻撃はますます早く、荒くなる。
怒りに身をまかせるほどに、軌道は単純化していく。
そして俺の中でプランが組み上がった──まずは、投げる。
「お前があたしを助けるってか? なら言ってみろ! あたしのどこが弱い、何が欠けてる!」
「そうやって怒りにまかせて動きがワンパターンになるところだ!」
その言葉と同時に木剣を投げつけた。
柄は俺の手から離れ、宙に弧を描く。
ヒルダの視線が木剣に吸い寄せられる。
投擲は悪あがきに見えるだろうが、そこには狙いがある。
「なんのつもりだ! ああ!?」
苛立つヒルダの身体は必ず「払い上げ」を選ぶ。
下から、さっきまでと同じ動きで。
俺は木剣を投げるのと同時に走り出していた。
ヒルダの間合いに入るのと同時に「反射」をオフに。
空いたスキルの枠に「跳躍」を意識し、オンに。
飛ぶために、守りを外した。同時発動は四つのまま──ルールは守っている。
狙い通り、ヒルダは木剣を払いのけ空高く打ち上げた。
そして素手の俺に容赦なく木剣を振り下ろす。
(今だ!)
「跳躍」スキルを使い、間一髪のところで回避する。
ここまで「鷹の目」によってヒルダの動きを見てきたからこそ、「反射」がなくても避けられた。
つまり、ヒルダが普段の冷静さを取り戻していたら成立しない「賭け」だった。
「鷹の目」を強く意識する。
視界がくっきりと研ぎ澄まされる。宙を舞う木剣の軌道が完全に読めた。
耳鳴りが激しい。段々と副作用が無視できない存在になってきたことを感じる。
空中にいた時間は短いが、ゆっくりと長く感じられた。
それはスキルによるものではなく、あの時──小竜のブレスを受けた時と同じ、極限の集中によるものだ。
俺の指が木の柄を掴む。柄にはまだ俺の体温がわずかに残っている。
それを落下の勢いを付けて振り下ろす。
上からの衝撃が、ヒルダの木剣の中心を叩く。
鈍い衝撃のあと乾いた破裂音がして、砕けた木片が土の上で小さく跳ねた。
木剣の切っ先を向けられたヒルダは、折れた木剣を手にしたまましばらく黙っていた。
二人とも呼吸が荒く、肩で息をする。
怒りの表情が、ほんの一瞬だけ悔しそうに変わる。
いくつもの感情が同居したような、ヒルダの瞳が俺を見据えた。
俺は、勝ち誇ることはしない。
平常心のヒルダ相手だったらこうはならなかった。
木剣を下ろして、一歩寄る。
「……お前がリーダーをやることに、あたしはもう反対しない」
ヒルダの声は低く、敗北を噛み締めているようだった。
だが次の言葉はすぐに続く。
「でもそれは、あたしがお前より弱いってことじゃないからな。お前はまあ、強いやつとまではいかないが、弱いやつでもない。少なくともあたしの嫌いな、自分の弱さを認めないやつじゃないってことだ」
その瞬間、張り詰めた空気がゆるやかにほどけた。
シャーロットが表情を曇らせながらも、どこかほっとしたように息をついた。
リーベは目を細め、クスクスと笑ったようにも見えた。
俺は小さく頷いた。
胸の奥で、糸と糸とが結ばれる感触がする。
ヒルダに認められたことの実感が、身体に温かく広がる。
──そんな中、変化は突然起きた。
急に世界の輪郭が揺らいだ。音が遠くなる。
木の葉を風揺らす音が、別の部屋から聞こえてくるようだ。
遅れて脳内にノイズが走る。いつもより強い波のような乱れだ。
胸の奥か──はっきりしないが、体のどこかが警鐘を鳴らしていた。
視界が粒状にざらつき、色彩が薄れる。
立っているつもりが、重力が急に増したかのように下へ引かれていく。
「おい、ハルト!」
ヒルダの声が頭の中で震えた。
彼女は駆け寄ろうとしていたが、俺の視界は地面でいっぱいになる。
砂の感触が唇に当たった。
乱れる思考の中で浮かんだのは一つの疑問──「ルールは守っていたはずなのに」。
視界は暗くなり、音は溶けていった。
誰かの手が俺の肩に触れた気がした。
その感覚を最後に、意識は静かに沈んでいった。




