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第六話 洞穴の死闘

 薄暗い坑道の入口に立つと、岩肌を伝う冷気が肌を刺すように流れ込んできた。

 ランタンで照らすと微かな光が反射して、足元の石ころが銀色に瞬く。


 俺たちは息を潜め、奥を見据える。


「はい、これ」


 イザベラが差し出した小瓶は前回と同じ形だが、中の液体は紫がかった金属のようで、僅かに光っている。

 栓を抜くと酸のような匂いが鼻を突いた。


「足の速くなる水薬(ポーション)。効果は前より長いけど、味はより悪くなったわ。飲むかどうかは自分で決めて」


 俺は覚悟を決めて瓶を受け取り、一気に流し込んだ。喉に焼けつくような刺激が走る。

 慣れない薬の味に顔を歪めると、イザベラは肩をすくめた。


 次第に足裏の感触、呼吸の律動、耳に入る小さな石の転がる音までが鮮明になる。

 だが今は「反射」や「加速」といったスキルは起動させていない。

 おそらく水薬(ポーション)によって素早さや神経系の速度といった基礎が上がっているためだ。


(なるほど。水薬(ポーション)が疑似『俊敏』スキルとして働いているのか)


 これが今回の第二検証の核だ。


 スキル枠を使わず、外部からの干渉── 水薬(ポーション)由来の「俊敏」効果が俺の「相互作用」にどう作用するか。

 スキルの併用は四つまでに留めるというシャーロットの忠告を守りつつ、外的トリガーで可能性を広げられるか試すというもの。


「うん。水薬(ポーション)はスキルの代替になるかもしれない。負荷もないし、これなら安全にスキル五つの疑似併用もできそうだ」


「ハルトさん、無理はしないように。わたしは後方で支援と記録に専念します」


 シャーロットが言う。冷静な表情の裏に、昨夜見せた緊張が再び垣間見える。


 坑道の天井は低く、横幅も狭い。

 岩の支柱が等間隔に立ち並び、掘削された跡が暗がりに怪しく浮かぶ。

 洞窟を降っていくと次第に空気が重くなり、岩の匂いが濃くなる。


 次第に掘削の跡とも異なる、力技で岩肌をえぐったような痕跡が散見されるようになった。

 坑道の最奥地、無数の支柱がそびえる開けた空間に獣の匂いが充満する。

 「商会」が「水晶溜まり」と呼ぶ鉱脈の集中地帯。


 つまりは「深淵の牙」の縄張りに入ったのだ。


 そのとき、暗がりから這いよるような低い唸りが響き、岩壁を蹴る軽い衝撃とともに、影が飛んだ。


「来た!」


 全員が身構える。


 現れたのは「特異個体」のケイヴパンテラ──たてがみのない、闇に溶け込む大型のライオン型魔物。

 漆黒の毛並みが洞窟の暗がりと同化し、瞳だけが赤く光る。

 

(こいつが『深淵の牙』か!)


 黒い塊が「水晶溜まり」の支柱を蹴って跳躍し、壁を足場にして縦横無尽に飛び回る。

 長年の狩りで磨いた動きで、閉所でこちらを徹底的に翻弄してくる。

 その姿は狩りの達人そのものだった。


 後方にはリーベとイザベラ。

 リーベは骸骨を数体呼び出し、イザベラは手のひらに鉱石を並べる。


 ヒルダは二人の前に立ち、剣を構えた。

 最前は俺が務める。


 そして今回の本命は──イザベラだ。リーベはサポートに徹する予定となっている。


 水薬(ポーション)による「俊敏」はまだ効いている。

 暗闇を飛び交う獣の軌道に目が慣れてきたことがその証だ。


 俺の選んだ四つのスキルは「反射」「剛力」「衝撃耐性」「頑強」──これなら「俊敏」水薬(ポーション)を加えても「四つルール」には触れない。

 「反射」で攻撃を避け、「剛力」で足場を蹴る力を増し、「衝撃耐性」と「頑強」で耐える。


 俺は囮役だ。「水晶溜まり」に飛び込んで壁を蹴り、支柱を踏んで、黒い影の気を引く。


 「深淵の牙」は天井を蹴って急接近し、俺に向けて前足を振り下ろす。

 紙一重で回避。鋭い爪が空気を裂き、間近に風圧を感じる。


 俺は壁を何度も蹴り、時には支柱にしがみついて黒い獣の動きを誘導する。

 引きつけてから、迫る爪を幾度もかわす。

 だが、奴は素早い。距離を詰められると回避のタイミングは一瞬しかない。


 視界の端でイザベラが手にした鉱石を一息に握り潰した。

 鉱石が粒子となって弾けるのを見て、一瞬気を取られそうになる。


 イザベラの本領は水薬(ポーション)作りではない。

 彼女が攻撃転用した戦闘用錬金術だ。

 鉱石や宝石の潜在エネルギーを解放し、自身の魔力を乗せて熱線として放つというもの。


 イザベラの熱線準備に生まれる隙を護衛としてヒルダが庇う。

 仲間を守りながらも、絶好のチャンスを逃すまいと目を光らせている。


「行くわ。熱線解放!」


 閃光が洞窟を鮮やかに照らす。その姿を露わにした黒い猛獣は横っ飛びにかわし、光は支柱を貫き衝撃が坑道を揺らす。

 その威力はA級上位の魔術といっても過言ではない。


 「水晶溜まり」に岩と破片が飛び散った。

 熱線を外したことを目視し、洞窟の状態を見てイザベラの表情が歪む。


 天井からパラパラと砂が落ちる。

 あまり無茶をやると崩落の危険性がある。皆がその事実に気づいた。


「崩落の予兆があれば、直ちに撤退してください!」


 後方でシャーロットが鋭く支持を飛ばした。

 前金なし。しかも大口になりうる顧客からの依頼だ。

 失敗すれば新設ギルドの計画は破綻する。


 それでも彼女は、仲間の安全を第一に考え撤退指示を出したのだ。

 だが、俺は「タイマー」から引き上げてくれたシャーロットを失望させたくなかった。


「これ以上崩したらまずいわね……」


 イザベラの声が震え、汗が額を伝った。

 次の熱線には洞窟を崩さないような、精密な一撃が求められる。


 俺が敵の気を引く間に、イザベラは次の鉱石を取り出す。

 彼女は呼吸を整え、鉱石を握り締めた。


「アンディ、ダスティン、みんな! 任せたよ、こんな仕事で悪いけど!」


 リーベの声が響き、使役された死者たちが次々と現れる。

 がたつきながら立ち上がるのは二体の鎧をまとった骸骨騎士と、無数の骨の戦士。

 

 名前を呼ばれた二体の騎士は死者の中でも精鋭のようで、リーベを近くで守る態勢に入る。

 骨の戦士たちは二体、三体とよじ登るよう組み合わさり、次第に太い骨の柱として形成された。


 リーベは使役に集中し、それを臨時の支柱として固定する。

 万が一、洞窟の支えがさらに壊れたときの保険としての骨柱。


 俺は支柱を蹴って「深淵の牙」の眼前に飛び込むように着地した。

 獣に有利な土俵で、奴にはできない小刻みな動きで、翻弄し返す。

 もう「高級弾除け」なんかじゃない。チームの核として仲間を守る覚悟はできている。


(今日のスキル強化の調子は想像以上だ!)


 「反射」は回避に使用するだけでなく、筋肉の動きを支配し最小限の動きで次の足場に飛び移れた。

 「剛力」は目論み通り足の蹴りを強くする。握力も強まったので、天井に掴まるといったアクロバティックな動きすら可能になった。

 「衝撃耐性」と「頑強」は着地の振動や衝撃を受け流し、被弾した際の保険にもなる。


 全ての起点となる「俊敏」は水薬(ポーション)由来だ。


 自分の体が、外部からの効果と内在するスキルのギリギリのところで成り立っているのを感じる。

 ノイズによって時折乱れる思考を「反射」でカバーする。気付くと鼻血が出ていた。

 副作用はスキルの個数だけでなく、種類による影響もあるのかもしれない。


 瞬間的に視覚がざらつき、動きが鈍った隙を突いて、俺目がけて黒獣が左前脚を振り上げる。

 同時に、イザベラが後方から二度目の熱線を放った。

 熱をまとった光芒は容赦なくその前脚を焼き切る。

 肉の焦げる匂いがして、「深淵の牙」が低く唸り声をあげる。


「助かった! イザベラ!」


 そして前足を失った怪物がバランスを崩したところに、俺の後ろからヒルダが飛び出した。

 攻勢に打って出る機会が来たと判断したのだ。

 攻守を転じさせるタイミングはヒルダに任せていた。


「オラァ!」


 ヒルダの膝が鼻面を強打する。

 飛び出した勢いを維持し、そのまま怪物の頭を踏み台にして勢いよく後方へ着地した。


 ヒルダは素早く尻尾を掴み、巨体を押さえつけようと全身の力を振り絞る。


「五秒やる! それで決めろ!」


 黒獣を「水晶溜まり」の中央に足止めし、ヒルダが吠えた。


 俺は「深淵の牙」の頭を横合いから蹴り飛ばす。

 この獣は今、ヒルダと俺しか見えていない。明確な隙が生まれるはずだ。

 リーベは大声で骨たちを操作し、骨の柱を補強しつつ、暴れる獣がヒルダを振り切ったときに備えて守りを固める。


 既にイザベラは洞窟の壁から高純度の水晶を抽出し、精製を終えていた。

 先ほどの失中で崩落のリスクがある以上、彼女は熱線をさらに細く、鋭く調整する。


 集中の色がその顔に浮かぶ。

 もう呼吸を整える暇はない。


 「深淵の牙」は必死に身を起こし、拘束するヒルダの腕を振りほどこうとした。

 だが、ヒルダは瞬間的に体を沈め、腰を捻ってより強く尾を掴む。


 ヒルダと猛獣、両者の筋肉に負荷がかかり、ギリギリと音を立てた。


「今です、イザベラ!」


 シャーロットの指示が光る。


 イザベラの放った熱線は、わずか一本の針のように洞窟の陰を切り裂き、「深淵の牙」の胸部──心臓を貫いた。

 怪物の身体が一瞬の間に硬直し、次の瞬間、崩れ落ちる。


 「水晶溜まり」に大きな塵が舞った。息を呑むような静寂が、しばらく続いた。


 イザベラは力尽きたように膝を落とし、荒い息をついた。手のひらに煤の跡が付いている。

 ヒルダはゆっくりと立ち上がり、泥だらけの手を拭うと、満足げに頷く。

 リーベは骨の戦士たちを回収し、俺にハイタッチを求めた。


「まあ。たまには現場仕事も悪くないわ」


 イザベラが、満足げに笑う。


 座り込む彼女に俺は手を差し出した。

 今さら両脚が震えだすが、安堵感がそれを次第に落ち着ける。


「助かったよ。次も頼む」


「次って言われてもね。こんな修羅場、そう無いわよ」


 イザベラは小さく笑って、俺の手を取った。

 普段武器を握らない彼女の手は、ほのかに温かく、柔らかかった。


 洞窟の空気にはしばらくの間、この戦いの匂いが残るだろう。


 そして実戦の中で、俺は確かな手応えを得た。

 水薬(ポーション)という外部要素が、確かに俺の相互作用に干渉し、役割を拡張した。


 だがシャーロットの忠告は重い。

 いつかその制限を超えたとき、何が起きるかは誰にもわからない。


 俺たちは死体の周りを慎重に確認し、素材として傷まないようにリーベが防腐の魔術を施した。

 入口へと戻る前に俺は「深淵の牙」に手を合わせた。


 人を襲ったとはいえ、こちらの都合で狩ったのは事実だからだ。


 全身には泥と独特な鉱石の匂い。

 だが胸の中には、勝利の達成感と先へ進んだという確信があった。

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