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第五話 深淵の牙

 夜が明けて光が差し始めるころ、俺たちは馬車に乗って町を出た。

 俺は揺られながら昨晩使者の男が発した言葉──「深淵の牙」を何度も反芻する。

 短い語句だが、何だか暗くて重いものを感じる。


 シャーロットの背は真っ直ぐだが、眼差しには昨晩見せた緊張が残っている。


 馬車の行き先は依頼主である「北方商会」の支部。

 御者も「北方商会」が遣わした者で、逐一指示を飛ばさなくても慣れた様子で馬車を走らせる。


 ゴストリンの周辺にもいくつか商会がある。

 「北方商会」はそのうちの一つで、鉱石や希少素材の取引に特化しているらしい。

 彼らは信用を非常に重んじるという話は馬車に乗る前にシャーロットから聞かされた。


 転移してきてからというものずっとゴストリンでくすぶっていたので、馬車に乗るのはこれが初めてだ。

 揺れすぎやしないか。この乗り物は。


 馬車の仲間に目をやると、皆、慣れた様子だ。

 そうだよなあ。元は正式なパーティに所属していたわけだし。


 ヒルダに至っては豪快に寝ている。

 しかし寝ながらでも剣の柄に手をかけているところに、彼女の並外れた力量が垣間見えた。


 「北方商会」の支部はゴストリンからそう遠くない位置にあった。

 地図を見る限り、ゴストリンよりもやや規模の大きい都市である「ルーギリア」との中間地点といったところだろうか。

 地図の現在地が魔術により点滅しているのを見て、俺はテレビゲームを思い出した。


 道中魔物も見なかったし、両都市で商売をするのにちょうどいいのだろう。


 昨晩使者だった男が出迎え、俺とシャーロットは応接室に案内された。

 大口の顧客相手に何を言い出すかわからない問題児三人は、シャーロットが別室で待機させた。

 応接室は意外と簡素だったが、高級過ぎない調度品による洗練された雰囲気が漂っていた。


 「北方商会」の支部長を名乗る男、ゴードンは帳簿と鉛筆を手に事務的に話すが、言葉の端に焦りが滲む。


「『商会』の管理する第三坑道で『深淵の牙』は確認されました。作業員三名が負傷し、作業は中断。第三坑道の魔力を帯びた水晶は、『商会』が長年期待していたものです。『特異個体』がこのまま住み着くと、採掘計画は一時停止。つまりは大損です」


 「特異個体」──その種の一般的な個体から逸脱した存在。ギルド側でも別名をつけ、扱いを変える対象だ。

 「深淵の牙」は洞窟深くを縄張りにするケイヴパンテラ。たてがみのない、闇に順応したライオン型の魔物が異常発達した存在らしい。


 それは長年の生存競争を勝ち抜き、知恵を備えた個体であり、通常個体よりもずっと“厄介”だ。

 討伐は可能でもその報酬には独自の加算がされ、ギルド経由だと跳ね上がる。さらにB級以上のパーティを要する規定が依頼料の高額化を招く。


 この仕組みについては行きの馬車でシャーロットに教えてもらったこともあって、何とか商談についていけた。

 「タイマー」の仕事については仲間の誰よりも詳しい自信があったが、パーティに関する仕組みは知らないことばかりだ。


「我々としては一刻も早く採掘を再開したいと思っています。だが、コストの面で上が中々首を縦に振らない。そんな中、シャーロット殿から新設ギルドの話が出たと」


 ゴードンは机上の書類の報酬についての項目に鉛筆で丸を付けた。

 “前金無しの完全出来高払い”の文字。


 つまりは装備や消耗品を一旦自費で調達する必要があり、失敗したら何も残らないということ。

 普通のパーティなら尻込みする条件だが、俺たちは高リスク専門ギルドの直属パーティだ。


 シャーロットは表情を崩さず、ゴードンに確認する。


「ゴードン様。『北方商会』は金銭よりも“信用”を重んじていると伺っています。不躾とは存じますが、支払いに問題を起こすことは無いとお約束ください」


「おっしゃる通り。ですが一つ補足させていただくと、我々は信用と──“面子”を重んじます。支払いが滞れば商会の信用が損なわれ、俗な言い方をすれば商売敵に舐められます。私どもはここに名を出す以上、必ず支払いをお約束しましょう」


 なるほどな。前金がないのはこっちとしてはリスクだけど、商会側も信用が第一なら支払いを渋ることはない。

 まさかそこまで考えての条件提示だったのか。

 俺はシャーロットの手腕に素直に感心した。


 ゴードンは「深淵の牙」の素材を買い取るとも約束した。素材の買い上げは商会の本業だ。


 シャーロットが商談を締め、別室の仲間を回収し、商会支部を出た。

 外に出るとシャーロットは肩の力を抜いて微笑んだが、すぐに真面目な顔に戻った。


「なあ、前金もらわないってマジかよ。非常食も自前で買えってか?」


「先立つものがないとなると困るわね。水薬(ポーション)が作れないもの」


「僕は召喚に応じてくれる死者がいれば別に困らないけど」


 それぞれがシャーロットの提示した条件に疑問を持っている様子だったが、三人とも商談の説明を受けるとすぐに納得した。


「でも金がねーことには変わりないじゃんか」


 確かに。

 前金をもらわない理由は納得できたが、俺たちのパーティは検証を除くとこれが初仕事になる。

 

 その日暮らしだった俺に蓄えなんかないぞ。


「資金面は心配しないでください。受付時代に運転資金を作っておいたので」


「ギルドの資金? 受付嬢ってそんなに儲かるものなのか?」


「まさか。わたしは業務上各地のパーティの動きがわかるので、儲かりそうな商人に投資するんです」


 それは俺の世界で言うところのインサイダー取引というやつではないだろうか。


 まあ、シャーロットがグレーな手段を使うのは今に始まったことではない。

 書類棚の複製鍵による機密の閲覧経験で金の流れも読めるのだろう。


「ルールの隙間を突いただけです。“有利なタイミング”で買い集めておいた備品が拠点にあるので、各々手持ちの消耗品は惜しまず使ってください」


「へえ。『特異個体』相手にこのまま攻め込むの?」


 リーベの疑問にシャーロットが小さく頷いた。その眼は真剣だ。

 俺たち四人は顔を見合わせる。ヒルダは腕を組み、イザベラは不安なのか小瓶を必要以上にいじる。

 リーベは自分で聞いておいてどこか他人事のようにフォーゲルを撫でた。


「厳しいことを言いますが、『特異個体』に即応できないようでは『高リスク専門ギルド』直属パーティとしての未来はありません」


 シャーロットは決意に満ちた表情で俺たちに告げる。


 だが、その声はわずかに震えている。

 彼女とて、仲間を死地に送り込むことへの感情的な抵抗があるはずだ。


「まあ、やるしかないだろ。俺たちはここまでお膳立てしてもらっておいて、『できません』なんて覚悟でこの誘いに乗ったわけじゃない、だろ?」


「生意気言うねえ。あたしは斬る、殴るしか能がないからな。ハルトの新しい相互作用にでも期待しておくか!」


 ヒルダがばんばん、と大きく二度俺の背中を叩いた。

 一度目は「衝撃耐性」で受けるが、二度目の一撃は受け止めきれず咳き込む。


「大丈夫かしら? 水薬(ポーション)飲む?」


「結構です……」


 イザベラは袋から取り出した色とりどりの鉱石を手のひらに並べて確認し、白衣のポケットにねじ込む。

 ドラゴン遭遇時にも手にしていた鉱石だ。


 水薬(ポーション)以外の得意分野もあるということだろうか。

 まあ、そうでもないとシャーロットから声のかかった理由がわからないからな。


「僕はいつでもいいよ。今日は頼れる仲間も連れてきてるし」


 懐からいくつも巾着を取り出すリーベ。

 多分中身は骨粉だ。


 死後使役される眷属になる契約とはどういったものなんだろうか。


「一応聞いておくけど、万が一に備えて事前に僕と契約しておく?」


「縁起でもないことを言うな」


 まだ出会って二日だが、俺がツッコまないとこの調子が続くことは理解しているので牽制する。

 昨日に比べてやや態度は軟化したものの、死霊術師(ネクロマンサー)関連の話題が出るとヒルダが嫌そうにするからだ。


 緊張をほぐすように軽口を叩きながら準備を整え、俺たちは再び馬車に乗って坑道へ向かう。

 目的地が「深淵の牙」絡みの坑道と知った御者は露骨に嫌そうな顔をしていた。


 昼過ぎ、坑道の案内看板が見えた。

 第三坑道──入り口は自然の洞窟のように口を開けているが、周囲の木々は不気味に枯れており、土は妙に黒ずんでいた。


 馬車が近づくと、地下から低く響く音が混じった。

 獣の遠吠えと地鳴りのような振動。御者が顔を青ざめさせる。


「……いるな。『深淵の牙』」


 俺は独り言のつもりで呟いたが、シャーロットが目を合わせて頷く。


 坑道の入り口には木の杭が打たれ、小さな看板が立っていた。

 『特異個体出没注意』。

 赤い文字がその危険性を示す。俺の手は自然と剣の柄に触れた。心臓が音を立てる。


 静けさに包まれるような感覚の中で各々が装備の最終点検をする。

 だがそれは、平和の静けさではない。何かが、じっと見ている静けさだ。


 「深淵の牙」はもう俺たちに気付いているかもしれない。

 俺たちは慎重に坑道内部へと足を踏み入れた。

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