第十一話 アズールの憂鬱
秘書を追い出し、執務室の扉が閉まるとアズールの微笑が消えた。
温厚でいて朗らか。冒険者たちの憧れ「翠蒼の剣」の蒼剣アズール。
その彼が、決裁書類の積み重なった机を指で叩き続けている。
無表情を保ち、怒りを押し殺すように。
(何という失態だ……!)
アズールはギルド評議員として与えられた執務室にいた。
(あの幽霊屋敷が何で売られている? あのインチキ家主が……!)
アズールは「例の屋敷」を自腹を切って借りていたはずだった。
何年もの間、ずっと。
だがシャーロットの提示した金額に目のくらんだ家主は、契約を反故にして彼女に売ってしまったのだ。
「潰してやる……!」
静かに立ち上がるアズール。
彼は家主は無論、シャーロットもまとめて廃業させることにした。
始めは周辺の商会などに圧力をかけ、依頼をシャーロットへ極力回さないようにする程度のつもりだった。
だがアズールの汚点ともいえるあの屋敷で、自身の過去に触れられるかもしれないこと。それを彼は特に恐れていた。
(死人にも口はある……)
短時間で様々な可能性について思案し、熟慮を重ねたアズールは一つの結論に到達した。
「……死霊術師を消すか」
すると追い出した秘書の制止を振り切って、執務室に初老の男が入ってきた。
(クラウス……!)
アズールの表情がさらに険しくなる。
老獪なギルドの評議員、クラウス。
整えた白い口ひげ、その装いは派手過ぎず品のある佇まいだ。
だがその目は、素材を値踏みする商人のように冷たい。
アズールを評議員に推薦したのは彼だったし、アズール自身もその程度の恩恵はあって当然だと思っていた。
「蒼剣アズールとあろうものが、そう苛立ってはいけないよ。皆は君に『英雄』として振る舞ってもらいたいのだから」
「元はといえばあなたの蒔いた種です」
「なら君に刈り取ってもらおうか。共犯者アズール」
言い返されて口を閉ざすアズール。彼はクラウスに逆らう術を持たない。
逆にクラウスにとってアズールの失脚は自身の地位を危うくする。
二人は利用し合う関係だった。
「わかっているな? ヴェルデは……」
「当然です。理由を付けてすぐ遠方へ行かせます。兄は少し真っ直ぐすぎる」
「君はあれと違って優秀な弟だ。いい加減『正義』など捨て現実を見るべきだとは思わないか」
短い沈黙の後、アズールは答えた。
「ええ……本当に」
一方、その頃。
翠剣ヴェルデは、既に特級リスク対策社の屋敷を訪れていた。
アズールは訪問を取りやめたつもりだったが、その様子を見たヴェルデの独断だった。
「アイツを取り巻く後ろ暗いウワサと、アンタらを快く思わない連中について......かな」
アズールについて語るヴェルデの声は、いつもの豪快な笑みとは裏腹にどこか重かった。




