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第十話 翠の使者

 窓から射す光が鬱陶しくなってきた昼前、ようやく俺はベッドから這い出た。

 ここまで惰眠を貪れる機会は久々だったのでつい寝てしまった。

 何故なら日雇い時代は朝一で冒険者ギルドの始業を待つ列に並んでいたためだ。

 少しでも割りのいい仕事にありつきたい「タイマー」専業はこうしないと食って行けなかった。


 しんどかった数日前を思い出しながら、起き上がって体操をする。

 どこにも違和感はない。

 イザベラの処置が適切だった証拠だ。

 彼女に感謝しつつ、「何かお礼でもしないとな」とぼんやり考えた。


 相互作用が上手く使えるかどうかを試すことはまだ控える。

 シャーロットに神経保護の水薬(ポーション)使用が厳命されているからだ。

 いずれまた検証の準備を整えた上でシャーロットから指示があるだろう。


 軽く身支度を整えるとノックがあり、イザベラと朝食の乗った盆を持ったシャーロットが入ってきた。


「随分と遅いお目覚めね。処置に問題があったのか不安になったじゃない」


「それは……ごめん」


「冗談よ。医療魔術も戦闘用錬金術でも私は一流だから、自分の腕に疑問を感じたことはないわ」


 実はイザベラって天才の部類なんじゃないか。

 普段の水薬(ポーション)絡みの頓狂な物言いからあまり意識したことはなかったが。


「でも水薬(ポーション)……水薬(ポーション)なのよ。あの分野でだけ本来の私の実力が発揮できないの。こんなことはおかしいと思って実験に実験を重ねているわけだけど。何故なのかしら。中々上手くいかないわ……」


「イザベラ、そこまでにしてください。まずはハルトさんの食事が先です」


 黒髪を振り乱して水薬(ポーション)の世界に入りかけたイザベラを制したシャーロット。

 彼女はパンとスープの乗った盆をベッド横のテーブルに置く。


 パンを食べながら俺はシャーロットに質問した。


「今日は何か予定はあるのか?」


「一時間後に当ギルド『特級リスク対策社』の今後についての展望を軽くお話しようかと。後は今後受けようと思っている依頼について」


 要するに会議か。

 まあ、昨日俺があんなことになった以上すぐに次の依頼というわけにもいかないだろう。

 リーダーを名乗り出ていきなりこれとは、責任を感じる。


「その前にハルトさん。リーダーとして、最初の仕事をしてもらいたいと思います」


「え? 何だろう。ああ、みんなに心配かけたことを謝らないとな」


「いいえ。ヒルダのメンタルケアです。任せましたからね。それでは」


 あ、忘れていた。

 昨日俺の見舞いにヒルダだけが来ていなかった。

 シャーロットの言い方だともしかしてめちゃくちゃ責任を感じていたりするんじゃないか。


 シャーロットは勢いを付けて振り返り、金髪を揺らして部屋を出ていく。

 イザベラも錬金術の原料についてぼそぼそと何かをつぶやきながら後に続いた。


 二人を見送った俺はパンを押し込んで、スープを流し込むと急いで自室を出た。


 *


「おーいヒルダ、いるかー?」


 俺がヒルダの部屋の前で呼びかけると、一秒も経たないうちにドアが弾けるように開いた。

 迫るドアが俺の鼻に直撃しそうだったところを、「反射」スキルで半歩下がる。


 本来の「反射」スキルの効果はこの程度だ。

 魔物の放つ一撃を回避しながら攻撃を両立させるなんて芸当は「相互作用」でないと成立しない。


 通常レベルの「スキル」の発動自体は問題ないようだ。

 常時発動型のスキルもあることだし、生きているだけで神経が摩耗していったらたまらない。


「ハルトぉー! 無事だったのかよぉ……あたしのせいでお前が死んだらって思ったら……わぁー!」


 飛び出てきたヒルダの突進には敵わなかった。

 押し倒されるように廊下に倒れたが、「衝撃耐性」が働いて痛みはない。


「大丈夫。お前がリーダーとして認めた奴がそんな簡単にくたばるわけない、だろ?」


「当ったり前だ! バカー!」


 ヒルダは馬乗りになってポカポカと俺の胸を叩く。

 彼女の泣き腫らした目から、どれだけ心配をかけたか察した。

 ヒルダを慰めるため頭をなでるべきかやめるべきか、逡巡する俺の右手が不自然に上下する。


 そしてそんな俺たちを冷ややかな目で見る者が一人。


「へえ。急に仲良くなったんだねえ。昨日殺し合ってた二人が。ふーん」


 リーベだった。本当に一晩中肖像画の近くで過ごしたらしく、眠そうにしている。


「いや、あれは殺し合ってたわけじゃなくって……」


「傍から見れば変わらないよ。死霊術師(ネクロマンサー)だって仲間が死ぬのを見るのは悲しいんだから」


「で、その……何の用だよ! またあの肖像画の話をして怖がらせるつもりか!?」


 ヒルダが飛び起きてリーベに用件を問う。

 というか、ヒルダはアレを結構怖がっていたのか。

 実は死霊術師(ネクロマンサー)嫌いも怖いからじゃないだろうな。


「違うよ。会議の予定変更だって。今すぐ食堂に集合。なんかすごい人が来ちゃったみたい」


「すごい人って誰だ?」


 俺の問いにリーベも難しい顔をして答える。


「『蒼翠の剣』のヴェルデだって」


「はあ?」


 A級パーティ「蒼翠の剣」のヴェルデ。

 翠剣ヴェルデの異名を持つ、エメラルドから切り出した巨大な宝剣を振り回す偉丈夫。

 このゴストリン周辺の男なら誰しも一度は憧れたことのあるヴィリディアン兄弟の兄の方。


 その弟──アズールの名を呼び続ける肖像画。

 酒場で「蒼翠の剣」の名を出した嫌がらせ集団の存在。

 そして、その「蒼翠の剣」による直接の接触。


 何かが繋がっていくと感じるのは俺だけだろうか。


 ヒルダとリーベを連れ立って食堂へ移動する。


「ねえ、あの肖像画がヴェルデを見てなんて言うか試してみない?」


「なるほど。その怨念というか、執念があの兄弟に向いているのか、アズール一人に向いてるのかってことだろ?」


「いやさ……あたしたちの家なんだから、変な実験はあんまりさあ……」


 なるほど。ヒルダはお化け系の話が苦手だということがハッキリした。

 理由は単純明快。暴力が通用しないからだろう。


 そんな言い合いをしていると食堂前まで着いた。

 イザベラとシャーロットは着席しており、向かいには四人の男が横に立って並んでいる。


 一人は見間違うはずもない、翠剣ヴェルデだ。

 横に並ぶ冒険者風の男達が小柄というわけでもないのに、頭一つ分身長が高い。

 そしてその全身を分厚い筋肉が覆っている。

 低ランクにありがちな「力自慢の一撃特化」の過剰な筋肉の付き方ではない、実戦と鍛錬に裏打ちされた見事な肉体だとすら思う。


「おう、狂犬。今はこんなところにいたのか」


「やめてくださいよ。それいい意味じゃないですから……」


 ヴェルデとヒルダは知己のようで、向こうから手を振り声をかけてきた。

 彼の声は初めて聞いたが、低い声で朗らかに笑っている。

 魔物との戦いでは鬼神の如き力で大剣を振り回すというのだから、オンオフがしっかりした人物なのだろう。


 ヒルダと違って。


「ねえ、ヒルダが敬語を使ってるよ……!」


「……うるさい」


 俺はヴェルデの連れた男たちの顔を眺めて、あることを思い出す。

 検証後の酒場でつっかかってきた連中だ。


「全員揃いましたので、本題に移りましょう。ヴェルデさん」


「そうだな。おい、お前ら」


 ヴェルデが連れの三人を一瞥しただけで、彼らの表情が一瞬こわばった。

 三人の冒険者が一斉に頭を下げる。


「申し訳ありませんでした!」


「これは一体? 『蒼翠の剣』があの幼稚な嫌がらせの関与を認めると?」


「いいや、けじめだ。喧嘩に負けた捨て台詞で俺たちの名前を使って『蒼翠の剣』の名前に泥を塗った。無論こいつらと俺たちは何の関係もない」


「ならこれは『蒼翠の剣』がとりなした彼らと私たちの和解……と考えていいのでしょうか? しかし、それならリーダーのアズール氏に来ていただくのが通例というものですが」


 ヴェルデは少し考え込んでから言った。


「最初はそのつもりだったんだが……直前で急用が入ったとかでなあ。まあ忙しいからな、アイツは。行き先を聞いてから馬車を降りたっつうのが気になるが……おい、お前ら。いつまでいるんだ。さっさと帰れ」


 ヴェルデが三人の冒険者を追い返す。

 彼らは俺たちに会釈しながら足早に去っていった。


 怪しいぞ。

 行き先がこの屋敷だとわかったら来るのをやめるだと?

 明らかに何かある。


 ワケありなのはこの屋敷だけじゃない。

 アズール自身も相当なワケありなんじゃないか。


 横に立つリーベもこちらに軽く目配せをする。

 彼女もこの違和感に気付いている。おそらくシャーロットも。


「翠剣ヴェルデ──あなたがここを訪ねたのは、ただ彼らに謝罪をさせに来たのではないのでしょう?」


「相変わらず勘が良いなあ、シャーロット。お前さんが依頼を再調査させて危険度が変わった話なんて一度や二度じゃない。惜しい人材だと思うぜ。でも、あそこにいたくないってお前さんの気持ちもわかるがな」


 ヴェルデは冒険者ギルドとシャーロットを取り巻く何かを知っている様子。


「アズールの目の届かない場所でしておきたい話がある」


「具体的には、何を」


「アイツを取り巻く後ろ暗いウワサと、アンタらを快く思わない連中について......かな」

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