第一話 高級弾除けのハルト
俺がこの異世界に転移して一年が経った。
経緯は単純。マンホールに落ちたら異世界だった。終わり。
職業は未だに日雇い。
チートも最強武器も強力な眷属も、何も寄越さなかった自称女神とやらには未だに恨みがある。
そんな気持ちを抑えて俺は今日も冒険者ギルドの門を叩く。
受付の列は、朝から陰気なため息に満ちていた。
ギルドの壁には「本日の面接日程」とか「スキル申告は正直に」と張り紙。
俺は応募用紙を受け取ると、隅の椅子に腰を落として、いつもの儀式を始める。
前の世界の履歴書に相当するものだ。
まずは名前、年齢、前職……前職?
かつては右から左にチェックした書類を流す係をしていたが、異世界で書く話ではない。
問題はその下、「所持スキル」の欄である。
どう足掻いても俺のスキルはその記入欄の三倍分はある。
自称女神が俺に寄越したスキルの山だ。
字を縮め、行間を詰め、最後は「裏面に続く」と記入。
「俊敏」「鷹の目」「火耐性」「衝撃耐性」「耐魔力」「頑強」。
これですら序の口だ。
書いているだけで疲れてくるし、普段発動しなさすぎて存在を忘れてしまったスキルすらある。
ステータスオープンのような便利な代物はこの世界にはない。
魔術師は自動筆記で書いてしまうらしいが、俺に魔術の素養はなかった。
これらのスキルはどれも便利だが、どれも決定打ではない。
目がよくなり、素早くなり、火傷しづらい。
そもそもこういったスキルは戦闘職の補助スキルなんじゃないのか。
裏面にびっしり書き終えて、にこやかな金髪の受付嬢に提出。
順番を待ってCランクパーティの面接に挑む。
いきなり上位パーティ所属は難しいと感じ、打算からの応募だった。
*
机の向こうの面接官は、裏返した用紙に目を丸くし、それから表情が曇った。
「ハルト君ね。随分とスキルが多いな。で、決め手は?」
「ええと、全部ですかね……」
「つまり、どれも決め手じゃないってことか」
面接官を務める剣士に返す言葉もない。
「壁役志望なら、せめて戦闘用のB級スキルを身につけてくれないかな」
俺のスキルはどれも補助や常時発動の習得の楽なスキルで、CかD級評価が妥当のものだった。
それがいくら寄り集まろうと、たった一つのB級スキルに価値があると見なされる。
スキルを増やそうと毎日剣の素振りをしていたこともあったが、何も得られなかった。
努力の方向性がまずわからない。
「うちは即戦力が欲しい。君は『タイマー』上がりだろ。殲滅戦の数合わせには向いててもチーム戦歴が薄い。壁役に欲しいのは壁の後ろを守る覚悟だ。被弾に強いだけの壁はただの石だよ。じゃあ、次の人」
腕組みをした面接官の言う「タイマー」というのは「対魔物要員」を指す日雇いのことだ。
しかしこの面接官に言い返せないのが悔しい。
「耐性」スキルの多さから被弾して仲間を庇うのは得意だ。
だからこそ、「タイマー」としてよく雇われる。
だが彼が言うように、そこに「仲間を守る」という信念めいたものはない。
その仕事限りの冒険者と組むことが大半だからだ。
そして「タイマー」とはいえ、ギルド経由の仕事はスキル数に応じて依頼料が上がる。
補助枠でも数は数。結果、俺を雇う料金は高い。
だが俺に渡される報酬は他の「タイマー」と大差ない。ほとんどがギルドに持っていかれる。
結果ついたあだ名が「高級弾除け」。
現場ではそう揶揄される。
俺も今では笑って流す。心の奥のどこかで、否定したい気持ちがあっても。
夕方鳩が手紙運んできた。採否結果は「保留」らしい。
安宿のベッドは今日もぎしぎし鳴いた。天井の染みはなんだか見慣れた日本地図に似ている。
その日暮らしで精一杯。元の世界のことを考える余裕すらない。
右から左に書類へスタンプを押していた頃は、仕事が退屈でも給料日は来た。
こちらでは仕事も自分から探さないといけないし、給料日もない。
俺はぼんやりと「タイマー」の依頼表を眺める。
派手な討伐は大手パーティが総取りし、残りは護衛や遺品回収、罠外し。
俺に回るのは、決まって危険度が「低から中」の魔物の群れ相手。
低級の魔物がいくら群がっても俺に傷を負わせることはない。いかにも俺向けの仕事だ。
すると鞄から折り畳んだ紙が滑り出た。
事故報告書。
先月の現場で提出したやつだ。文字はギルド書記の代筆で妙に達筆。
内容は簡潔で冷たい。
「依頼遂行中にドラゴン個体と遭遇。対象A(俺)ブレス直撃。被害状況……対象Aは無傷。同行者軽傷。撤退判断は適切」
自分で読み直しても冗談に思える。
あの熱と轟音の渦のなかで、俺は確かに立っていた。
小竜の火球で火傷したことのある俺が、ドラゴンのブレスを受けきったという事実は未だに信じられない思いがある。
だが、今でも思い出す。
焦げた肉と硫黄の匂い。渦巻く炎の暴風。叫び、逃げ惑う仲間たち。
そして、俺の中で「火耐性」「衝撃耐性」「耐魔力」「頑強」。
四つのスキルがかみ合うように重なり、未知の感覚と共に不可視の鎧が俺を包み込んだ感触があった。
気が付くと俺は生き残り、奇跡的に仲間から重傷者は出なかった。
けれどその感覚を他人に説明できない。
面接で言っても「運が良かったね」と笑われるのが関の山だ。
そして扉が、二度、控えめに叩かれた。
この時間に?
宿の主人はノックをしない。宿代を催促するときは勝手にドアを開ける。
「開いてます」
入ってきたのはギルドの金髪受付嬢、シャーロットだった。
いつも俺が応募用紙を渡している人。
仕事中はマニュアル通りの笑顔。そして今は制服ではなくこの世界ではカジュアルな服装。
表情は冷たく、昼間とは雰囲気が正反対に感じる。
だがそれ以上に受付嬢がいきなり訪ねてきたことに驚いた。
「夜分に失礼します。あなたの部屋、合ってますよね……『高級弾除け』のハルトさん」
「……その呼び方、公式ですか?」
「非公式ですよ。でも分かりやすいから」
彼女は椅子を引き、迷いなく腰掛けた。
テーブルの上で、いつの間にか彼女は報告書を開いていた。
「これ、あなたの事故報告ですよね。ドラゴンのブレス直撃からの生還。書記の誤字じゃない。現場の証言もありました」
「はい。たまたま、運が良かったんだと思います」
「運? あれはどんなに強運でも、『耐性』スキル程度での生還は不可能な状況です。複数のスキルが同時に限界を超えたと考えるのが妥当ですが、通常ありえません。少なくとも、わたしの統計では」
統計という単語がこの世界に似合っていないのに、シャーロットが言うと説得力がある。
そして彼女は笑わなかった。薄笑いを浮かべる面接官とは違う。
本気で俺と向き合っていると感じる。
「どこでそんな情報を? 受付の仕事は事故報告にまで目を通すものなんですか」
「純粋な興味です。正直なところ今の職位では閲覧不可な書類も漁っています。全てはわたしの『計画』のために」
懐から書類棚のものと思われる複製鍵をくるりと指先で弄び、俺に見せつける受付嬢。
あのにこやかな受付嬢が裏で完全にアウトな所業に手を染めていることに驚き、ツッコもうとするが、機先を制したのはシャーロットだった。
「単刀直入に言います。わたしは新しい冒険者ギルドを立ち上げるつもりです。既存のギルドが受けない依頼を受け、取りこぼしの利益を拾う。既に腕の良い冒険者を引き抜き済みです。そして最後の一席を、あなたに託したいと思っています。」
「俺に? 壁として?」
「壁ではなく、スキル連鎖の核として」
俺は笑いかけたが、彼女の本気の態度を前にすると笑えなかった。
スキル連鎖の核? 意図が読み取れない。ただ彼女はまっすぐと俺を見ていた。
「報酬は『タイマー』より不安定。でも、あなたのスキルは“数えて高く売る”より、組んで跳ねさせた方が儲かります。所感ですが、あなたの持つ数十のスキルの中にはもっと強力な組み合わせがあるはず。それは他の誰にもない強みです。その価値を証明する機会を差し上げましょう」
「……面接は?」
「不要です。履歴書はもう何十枚も受け取りましたから。裏面も含めて、ね」
ただの壁ではなく、石でもなく戦力として期待されて、求められている。
この俺が。
「受けます」と言いかけて、胸に再びドラゴンと向き合う光景が浮かんだ。
恐れから手が震え、言葉が一瞬止まった。それでも期待が背中を押した。
新しいギルドで名を上げれば、当面の金は転がり込んでくる。
まとまった額があれば元の世界への帰り道を探す余裕もできる。
この話を逃せば、二度とチャンスは巡ってこないかもしれない。
なら今夜は、危ない方に賭けてみる。
転移直後──期待だけが空回りした頃の、あの身を焦がす野心が蘇る。
弾除け以外で頼られたのなんて、いつ以来だ?
結局のところ俺は「彼女の期待に応えたかった」のだ。
理屈は並べたが、決め手はそれだ。
「分かりました。受けます」
それを聞いた受付嬢は初めて少しだけ笑って、立ち上がった。
いつもの形式ばった笑みとは違う、おそらく本心からの笑顔。
「では明日の午前。あなたの新しい仲間に会ってください。でも気を付けて。彼女たちは強力ですが、それぞれがパーティを追放された方々です」
シャーロットが席を立ち、扉が閉まる。
「えっ……?」
パーティ追放って、相当の問題児じゃないか。
そんな問題児たちと「タイマー」上がりの俺でやっていけるのだろうか。
だが今さら後悔しても遅い、石の転がる音がする。
転がしたのは、俺だ。




