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廻り返る(めぐりかえる) ~ある魔術師と夜空の魔法陣~  作者: ばななこーひー


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4/4

第4話:新しい魔法陣と、タイムリミット

大分間が空いてしまいました。第4話になります。

お楽しみいただけたら嬉しいです。

「御伽噺でも、神頼みでも構わない。可能性があるなら、それに賭けるしかない」


 アルドは、廻り返りの度に自室の羊皮紙にそう書き殴った。リアと名乗る協力者を得てから、彼の世界は色を取り戻した。孤独な研究は、二人三脚の探求へと姿を変えたのだ。希望は、蜘蛛の糸よりも細く、しかし鋼よりも強靭な輝きを放っていた。


「まずは調査だ」


 リアと名乗る協力者との念話を終えたアルドは、研究者の顔つきに戻っていた。死んだように淀んでいた灰色の瞳に、再び知性の光が宿る。目標は「時の銅版」。初代王が遺したとされる、御伽噺じみた伝承を持つ巨大な円盤。そこから、この閉鎖世界から脱出するための「何か」を探すのだ。


 アルドにとっては1年ぶりの禁書庫へと立ち入り、王国の歴史や古文書を読み耽る。どこにどのような書物があるのかはすでに把握済みだ。数冊読み終えたが手がかりが得られず、書棚に返して伸びをした時、アルドの目に時計が映る。もうそろそろ念話の時間だ。


(俺の時間は無限にある。だが、そう長くはかけられないかもしれない)


 そう、アルドの時間は四時間の巡り返り故に無限とも言えるが、恐らく現実世界のリアは違う。


(俺の予想が正しければ……)


「……リア、聞こえるか」


『はい、アルド様、こんばんは』


 廻り返りを迎えても、リアと名乗る協力者との念話は問題なく繋がるようだ。まるで、一度設定した魔法回線が維持されているかのようだ。


「先程念話を終了してから、そちらでは何時間経った?」


『きっかり三時間半ですね』


 アルドの脳が、研究者としての冷静さを取り戻し、現象を分析する。


「やはり、あの魔法陣が繋がった瞬間から、俺のいる『廻り返りの世界』と、リアのいる『現実世界』の時間流が同期したと考えるべきだろうな」


『同期……。つまり、私たちが話している、いないに関わらず、二つの世界は同じ速度で時を刻み始めた、と?』


「ああ。恐らくは。世界の位相が強制的に合わせられた結果だろう。……好都合なようで、厄介なことになった」


 これまでは、アルドが数千回の廻り返りを重ねる間、現実では二日しか進まなかった。その時間差こそが、彼の絶望の源であり、同時に無限の研究時間を確保する唯一無二の利点でもあった。だが、今は違う。現実世界の時間が同じ速さで流れるようになってしまった。つまり、アルドの側に無限の時間があってもリアの時間は無限ではない。いつまでもアルドにかかりきりというわけにもいかないだろうし、そうだとしても、この先解決するまで、何ヶ月、何年も待てるだろうか。これは実質タイムリミットができたようなものだ。それに、この同期はいつまで続くか分からないし、そもそもこんな不可思議なことが何の代償もなく起こり得るのだろうか。


(つまり、一刻も早く「時の銅版」の謎を解き、脱出しなければならない)


 それから三日間、アルドとリアは互いに連携し、がむしゃらに情報を集め続けた。アルドは初代王の手記の写し、時空魔術に関する異端論文、果ては時計塔の設計図に至るまで、ありとあらゆる文献を記憶し、リアへと伝達する。一方のリアは、その情報を元に、現実世界でしかできない調査を進めた。彼女の「コネクション」は、アルドの想像を遥かに超えていた。


『父……いえ、知り合いの文官にお聞きしたところ……』


『ガルディウス師団長に、それとなく初代王の逸話について尋ねてみました。ひどくご機嫌斜めでしたが……』


『王家に古くから仕える侍従長が、子供の頃に祖母から聞いたというお伽噺を……』


治癒師であるマリアンヌの娘、という立場からは考えられないほど、彼女の情報源は多岐にわたった。アルドは微かな違和感を覚えたが、今はそれを追求している場合ではない。集まった情報は豊富だが、あまりに断片的で、矛盾に満ちていた。


「銅版に願いを唱えると、星になって空に輝く」という子供向けの御伽噺。


「高位の魔術師が儀式を行うことで、天候を操った」という真偽不明の英雄譚。


「初代王が、未来永劫、王国の時間を守護するために設置した巨大な護符である」という、最も信憑性の高そうな説。


 だが、どれだけ情報が食い違っていても、全ての文献、全ての伝承が、奇妙なことに一つの結論へと収束していく。


「……『願いを叶える』、か」


 アルドは、調査結果をまとめた羊皮紙を前に、腕を組んだ。あまりに非論理的で、魔術師としては到底受け入れがたい結論だ。だが、この閉ざされた世界からの脱出という奇跡を望む以上、奇跡の存在を信じるしかない。


「リア、結論が出た。既存の儀式や魔法陣をなぞっても意味はない。言い伝えにばらつきがありすぎる。……ならば、創るしかない」


『創る……ですか?何をです?』


「魔法陣……究極の魔法陣だ。俺が信奉する『魔法陣意匠論』の、その集大成となる魔法陣をあの銅版に刻み、そこに秘められた力を解放する」


 それは、あまりに傲慢で、無謀な挑戦だった。だが、リアの声は、僅かな驚きの後に、確かな信頼を乗せて応えた。


『あなたなら……きっとできます』


 その一言が、アルドの心に最後の覚悟を決めさせた。そこから始まったのは、かつての孤独な研究とは全く異なる、集中的な共同作業の日々だった。もはや絶望はない。羊皮紙に向かうアルドの傍には、常にリアの気配があった。


 一方、セシリアは、研究ノートの上に輝く「思念の魔法陣」から指を離し、ふぅっと息をついた。アルドの声には、もう孤独の影はない。絶望的な状況にありながら、むしろ楽しんでいるかのような、挑戦者の気迫に満ちていた。


(あなたなら、きっと……)


 セシリアは、知らず知らずのうちに綻んでいた口元を引き締めた。自分も、ただ待っているわけにはいかない。彼女は公務の合間を縫って、王立図書館の貴賓室に籠っていた。父王に「古代魔術が現代にもたらす恩恵について、改めて学びたくなりましたの」と、もっともらしい理由をつけ、禁書庫への立ち入り許可さえ取り付けてある。


「……あったわ」


 黄ばんだ羊皮紙の束の中から、彼女は一枚の設計図を見つけ出した。それは、「時空安定装置」の初期設計図。初代王の直筆サインが記されている。アルドが巻き込まれた事故の、その根源。彼女は、そこに描かれた複雑な魔力回路を、自身の知識と照らし合わせながら、必死に解読していく。


『ここの螺旋構造、あなたの初期の論文にあったものと似ていますね。でも、より洗練されている……』


「当然だ。あれは若気の至りだ。美しさを追求するあまり、機能性との両立を疎かにしていた」


『ふふっ、今のあなたも、十分お若いと思いますが』


『この部分は、まるで絵画のよう。魔法陣にこんな意匠を組み込むなんて、普通は考えもしませんわ』


「……だろうな。だが、これが俺の理論の核だ。機能と美しさは、対立する概念じゃない。完璧な機能は、必然的に美しさを内包する」


 リアとの対話は、アルドの思考を加速させた。彼女は魔法陣意匠論の支持者というほどではないが、彼女の純粋な感性、そして時に高度な芸術的素養からくる的確な指摘は、アルド自身が見落としていた新たな視点を与えてくれた。


『名前は付けないのですか?』


 設計に没頭するアルドの気配を念話越しに感じながら、リアが問いかける。


「具体的な名前は、術者の意識をその『言葉』に縛り付ける。純粋な『願い』だけを銅版に刻むには、余計な概念は不要だ。……それに」


 アルドは口ごもり、少しバツが悪そうに付け加えた。


「……また、ネーミングセンスを笑われるのも癪だからな」


『あら、私は素敵だと思いますけれど。『廻り返り』』


 ノイズ混じりの笑い声が、心地よく脳内に響いた。


 そして、現実では王国祭六日目。アルドの目の前に、一枚の羊皮紙が置かれていた。そこに描かれた魔法陣は、もはや人間の設計物とは思えなかった。それは、宇宙の法則そのものを描き出したかのような、神々しいまでの調和を湛えていた。


「……できた」


 アルドは、震える声で呟いた。リアに完成を告げようと、琥珀を握り直した、その時。


──ゴォォン……。


 無慈悲な鐘の音が、設計の完了を祝福するかのように鳴り響いた。


──────────────


「よし、理論は完成した。問題は、どうやってこれを実現するかだ」


 廻り返りの直後。自室に戻ったアルドは、早速リアと作戦会議を始めた。机の上には、完成したばかりの魔法陣の設計図が広げられている。


「この魔法陣を、時計塔の『時の銅版』に刻む。一分の隙もなく、完璧にな。そのためには、次の廻り……四時間を全て使い切る覚悟がいる」


『四時間、ですか……』


「ああ。幸い、俺の魔力操作技術なら可能なはずだ。この数千回の廻り返りで、俺の指先は、思考と完全に同化している」


 問題は、そこではなかった。


「……だが、魔力が僅かに足りない」


 アルドは苦々しく呟いた。廻り返りの世界では、彼の魔力は午後八時の状態にリセットされる。この魔法陣を四時間かけて完璧に描き切り、発動させるには、可能な限り魔力伝達効率のよい、正確な魔法陣を描いたとしても彼の魔力量では少し心許ない。


『それでしたら、私の魔力をお送りします。治癒師は、魔力伝送の魔法陣の扱いに長けていますから』


「なに?」


 アルドは目を見開いた。他者から魔力を受け取る。その発想はなかった。


「だが、どうやって?この念話の回線は、音声情報の伝達だけで精一杯のはずだ。魔力のような高密度のエネルギーを送れるとは思えない」


『ですが、試す価値はありますわ』


 リアはそう言うと、一旦通信を切った。アルドは不安げに琥珀を見つめて待つ。数分後、再び彼女の声が響いた。


『アルド様、今から魔力を送ります。……いきます!』


 琥珀が、ふわりと温かくなった。微弱だが、確かに魔力の流れを感じる。だが、それは冷たい回路に染み渡る清水の一滴のようで、決定的な解決策には思えなかった。


「……だめだ、リア。これでは気休めにしかならない」


『そんな……』


リアの落胆した声が伝わってくる。焦りと沈黙が二人を支配する。その時、ふとリアが呟いた。


『アルド様、この研究ノート……裏のページはどうして白紙なのですか?』


「裏?ああ……あの魔法陣を描いた後、同僚に嘲笑されて、すっかり描く気をなくしてしまったからな。ほら、そのページの裏を透かすと念話の魔法陣が見えるだろう?それで1ページ飛ばしただけなんだが……それがどうしたんだ?」


 唐突な言葉に、アルドは眉をひそめた。


『はい。仰る通り光にかざすと、表に描かれた『思念の魔法陣』と、裏ページに透けて見える前のページの走り書き……それらが重なり合って、まるで一つの深い森のように見えます。平面なのに、奥行きがあるような……とても、美しい』


リアは、うっとりとした声でそう言った。その言葉が、アルドの脳内で閃光となって弾けた。影。寄り添う、もう一つの魔法陣。


「……奥行き?」


 アルドの手が止まる。リアは、魔術的な整合性の話などしていない。ただ、彼女の卓越した美的感性が捉えた「印象」を語っているだけだ。だが、その言葉が、アルドの思考に新しい方向性を与えた。


「……そうか。俺は、いや、俺達は魔法陣を『平面』でしか捉えていなかった」


 なぜ、魔法陣は平面に1つずつ描かねばならない?なぜ、回路は互いに触れ合ってはいけない?アルドの脳内で、バラバラだったピースが猛烈な勢いで組み合わさっていく。アルドの声は震えていた。それは恐怖ではなく、真理に触れた研究者特有の歓喜だった。


「リア、あんたは天才だ!」


『えっ?わ、私、何かしましたか?』


「ああ、してくれた!……頼みがある。俺の『思念の魔法陣』の裏のページ、そこに、俺の言う通りに魔力伝送の魔法陣を描いてくれ」


 アルドの言葉は、魔術の常識を根底から覆す、あまりに大胆な提案だった。だが、リアの声に戸惑いはなかった。


『……やってみます』


 再び、通信が途切れる。アルドは、心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、固唾をのんで待った。数分が、永遠のように感じられる。そして。


ドクンッ!


 琥珀が、先ほどとは比較にならない熱量と光を放った。アルドの腕に、外部からの魔力が、清流となって流れ込んでくる。それは圧倒的な奔流ではない。だが、乾いた身体に染み渡るように、彼の魔術回路を隅々まで満たしていく、確かで力強い流れだった。


「……成功、したのか……!?」


 これならば、究極の魔法陣を完璧に起動できる。僅かに足りなかった最後のピースが、今、埋まった。


『……アルド、様……聞こえ、ますか……?』


 だが、流れ込んでくる魔力と引き換えに、リアの声は酷く途切れがちになり、弱々しくなっていた。


「リア!?どうした!」


『魔力、伝送……中は……念話、が……不安定に……』


 そういうことか。一本の回線を、逆方向のエネルギーが奪い合っているのだ。魔力を送るか、言葉を交わすか。どちらか一方しか、完全には機能しない。


「わかった。一旦伝送を止めろ」


 魔力の流入が止まり、リアの声が明瞭に戻った。


『申し訳ありません……どうやら、両立は難しいようですわ』


「いや、十分だ。道は拓けた。念話と魔力供給の時間をきっちり分けて管理すればいい。これなら、やれるぞ!」


 希望が見えた。分厚い雲の切れ間から、確かな光が差し込んだ。アルドは興奮を隠しきれずに叫んだ。そう、この時の彼は、まだ知らなかったのだ。この希望が、残酷な真実と引き換えであることを。


──────────────


 それから数回後の廻り返り。王国祭は最終日であれう七日目を迎えた。アルドは、いつものようにリアからの呼びかけを待っていた。だが、繋がった瞬間に聞こえてきたのは、押し殺したような、嗚咽だった。


『……っ……ぅ……』


「リア!?どうしたんだ、何があった!」


アルドの脳が、瞬時に警鐘を鳴らす。琥珀の向こう側で、何かが起きている。


『ごめ、なさい……なんでも、ない、です……』


「言え。何があった」


 アルドは、有無を言わさぬ強い口調で命じた。沈黙が、心を抉る。やがて、リアは途切れ途切れに、絶望的な事実を告げた。


『……アルド様の、ご容態が……。先ほど、マリアンヌ……母が診察したのですが……』


「俺の……身体が、どうした」


『……生命力が、急速に、失われている、と……』


 頭を、鈍器で殴られたような衝撃だった。


「なぜだ……?俺の身体は、ただ眠っているだけのはずじゃ……」


『原因は……おそらく、私との接続に……。母は……このままでは、もって……あと、半日……と……』


 半日。十二時間。それは、廻り返り三回分。そして、そのタイムリミットは、奇しくも王国祭の終わりを告げる時刻と、完全に一致していた。


「……そうか」


 同期だ。この世界との同期が、現実世界の自分の命を蝕んでいるのだ。やはり代償はあったのだ。しかも最悪な方向で。


(証拠は……これか)


 アルドは、自らの胸元で淡く輝き続ける「暁の琥珀」に触れた。初めて繋がったあの日から、この琥珀の脈動は、一度も消えていない。それは、二つの世界が接続され続けている証であり、同時に、彼の生命が削られ続けている証でもあったのだ。


「……落ち着け」


 アルドは、自分でも驚くほど、静かな声で言った。


「まだ、三回も残っている。絶望するには、早すぎる」


 不思議と、心は凪いでいた。死の恐怖は、この数千回の廻り返りの中で、とうの昔に乗り越えていた。問題は、自分が死ぬことではない。このまま廻り返りを抜け出せず、リアの想いを無駄にしてしまうことだ。


 ……リアの想い。アルドは、思考の片隅で、彼女との会話を反芻する。高度な魔術知識や芸術への感性を持ち、王族しか知り得ないようなの情報を、彼女はあまりに自然に口にする。ガルディウスを呼び捨てにしそうになったり、古参の者や位の高い人物とも親しげなコネクションを持っていたり。治癒師マリアンヌの娘というには、あまりに……。


(……まさか、な)


 突拍子もない仮説が、確信に近い手触りを帯びて頭をよぎる。だが、今はそれを確かめている時間はない。


「リア。作戦の最終確認だ。俺たちは、あと三回の廻り返りで、全てを終わらせなければならない」


『……はい』


 涙声の中に、強い意志が宿るのを、アルドは確かに感じた。


 大きな希望。そして、それと同じだけの、命を賭した不安。


 残された時間は、十二時間。


──最後の戦いが、今、静かに始まろうとしていた。

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