聖女の裁き
正義な聖女を書きたくて
王都には神の声を聞く聖女がいる――。
そんな噂を鵜呑みにして、マイトは貯めていた給金をすべて寄付に回して、聖女に相談をすることが出来る時間を手に入れた。
「――相談は何ですか?」
白金色の長い髪が視線に入ったと思ったと同時に尋ねられる。
与えられた時間は5分。
その5分ですべてを話さないと。
決意を新たに必死に言いたいことを言おうとして、事前に頭にまとめていたのにそれらがすべて消え去って、支離滅裂な言葉を言っていた。
『死にたくないわ……。だって、アンジェリカとフランツとの結婚式を……、二人が並んだ姿を……』
『お母さまっ!!』
『セーチェル!!』
泣いて倒れそうになっていたアンジェリカお嬢さまを必死に乳兄弟のマイトは支えていた。支えることしかできなかった。
ユールフェン伯爵夫人が亡くなったのは10年前だ。夫人は親友の息子と自分の娘の婚約が決まった時喜んだものだ。
『ヒルデはとても頼りになって格好良くて……』
夫人が親友のことを何度も話をしていた。伯爵と結婚は珍しく恋愛だったそうだが、結び付けてくれたきっかけを作ってくれたのは親友だと惚気と共に話をしていたのだ。
親友であるグリーンラバー伯爵夫人も、
『セーチェルが紹介してくれなかったらわたくしは夫に会えなかったのよ』
と同じように夫の自慢をしていて、とても仲が良かった。
そんな二人の子供が婚約した時は両夫人が大喜びをしたものだ。けれど、ユールフェン伯爵夫人はその後肺炎をこじらせて亡くなり、グリーンラバー伯爵夫人もその数か月後馬車の事故で亡くなった。
残されたのは愛する妻の願いを叶えようとする両伯爵とその子供たち。
子供たちも仲良く付き合っていて、亡き夫人たちの悲願も叶うだろうと屋敷勤めの者たちも温かい目で見守っていた。
「だけど、そううまくいかないようで……」
「――何が、あったのです?」
優しく促されて、閊えそうになる言葉を必死に紡ぐ。
「お嬢さまの婚約者が別の女性に入れ込んでいる……そんな光景が何度も見られたんです」
お嬢さまとのお茶会を体調を崩したと休んで、学園で知り合った男爵令嬢と遊びに行ったという姿をメイドが買い物の時に見かけたのを皮切りに、次々と相手の不貞が見つかる。
「お嬢さまもそれに気付いて……いえ、我々屋敷の者が入れない学園内では隠す気もなく一緒にいて、それを咎めると『彼女とは友人だ』と言われたとまで話されて……」
「それは、それは…………浮気男の常套文句じゃない」
聖女が相槌を打つ……後半部分は聞き取れなかったが。
「婚約を相手有責で破棄をしたらと進言した者も居たのですが……お嬢さまは【お母さまが亡くなる時にわたくしとフランツの結婚式を見たかったと言っていたのよ】と言われて……」
夫人の遺言だからと叶えようとするお嬢さまの姿に、それは違うと言っても聞き届けてもらえなかった。せめて伯爵から言ってもらえたらと思ったら反応はお嬢様と同様。夫人の遺言だからと。
「お嬢さまにプレゼントも贈らずに件の男爵令嬢に贈り、贈ったと思ったら明らかにお嬢さまに似合わないドレスや装飾品。そして、極めつけは【お前は何を身につけても似合わないな。ティーナを見習え】とまで言っていたのを傍付きの侍女が聞かされていてっ!!」
聞いた瞬間壁を殴っていた。今も怒りが込み上げると物に当たりたくなるが、ここは王都の神殿だからと必死に耐えている。
「なんでっ……なんでお嬢さまがっ……あんな男と結婚などしても不幸になる未来しか見えないのにっ……」
涙が零れる。必死に耐えてきたのに。
「――分かりました」
握った拳に添えられる絹のような白い手。
「自分を案内してください。伯爵家に」
聖女の声が聞こえる。
「今すぐ、自分のための馬車と護衛を用意してください。――迷える神の子を助けなさいと神は言われました」
相談室に響く声と共に聖女付きの神官と護衛が動き出す。
「――マイト・クロウス。よく来てくれました。【これでやっと夫を殴れる】」
聖女の声が途中から亡くなった伯爵夫人の声そのものに聞こえた気がした。
「これは、これは聖女さま。いきなり私の家に来ると先ぶれがあって驚かされましたが……」
最上級の応接間にユールフェン伯爵が聖女を出迎える。その近くには事前に先ぶれで連絡していたグリーンラバー伯爵。そして、アンジェリカお嬢さまとその婚約者のグリーンラバー伯爵子息フランツ。そして、件の男爵令嬢も居た。
「突然の訪問お許しください。――神が迷える神の子を救えと告げられたのです」
聖女の柔らかな声。彼女は聖女の証と言われる黄金色の左目と蒼い右目という左右に異なる瞳で部屋を見まわして、
「――では、言葉を伝えます」
と言ったと同時だった。聖女の細腕が、ユールフェン伯爵を思いっきりビンタして、
「【ったく。何考えてるのよ。この抜け作!! わたくしが見たいのは、アンジェが幸せな結婚式を挙げる前提でのフランツとの結婚なのよっ!! 何で遺言だからって、アンジェが不幸にしかならない結婚を続行しようとしているのよっ!!】」
ビンタしたと思ったらどういう手段かユールフェン伯爵を床に叩き付けて、その上に馬乗りになって攻撃を続ける。
「あれっ……? 聖女の目って、黄金と青だったのに……なんで緑に……」
変わっているのかと疑問を漏らすと、
「その切れ技。その口調っ!! 怒った時のセーチェルそのものだっ!!」
最初は動揺していたユールフェン伯爵だったが、嬉しそうに顔を緩ませてそんなことを叫ぶ。いや、そんな悦入っている顔で言われても正直、今回の件で忠誠心が低下していたけど、ますます下がっていく。
「そう言えば、奥様の目は綺麗な翡翠色でした」
何度も伯爵を諫めて、聞き入れてもらえなかったせいか髪の毛が薄くなってきた執事がポロリと涙を浮かべて声を漏らす。
「【アンジェの幸せのために婚約を解消しなさい!!】」
「分かったよ。セーチェル」
幸せそうな表情で告げて聖女に抱き付こうとするユールフェン伯爵の手からすり抜けて、聖女の瞳が今度は紫色に変化する。
「紫……それは……」
今までカヤの外だった。グリーンラバー伯爵と子息が反応すると、聖女の蹴りが子息のお腹に当たる。膝蹴りではなく、ヤクザキックだったよなと思わず現実逃避したくなる。
「【馬鹿息子が。婚約者がいるのに他の女性にうつつを抜かして、それで浮気じゃないとどこの口が言えるんだ】」
お前には失望したと冷たい視線を向ける聖女。
「はっ、母上……」
「【好きな女性が出来たなら彼女を認めさせる努力をすればいいのにそれもせず、諫めるアンジェリカ嬢を責めるなどそんな息子に育つなんて思わなかった】」
お前にはがっかりだと告げると、
「【こんな馬鹿にアンジェリカ嬢は勿体ない。さっさとこちら有責で婚約を破棄しろ】」
グリーンラバー伯爵にそれだけ告げるともう言いたいことはないとばかりに黙る。
「そんなっ、ヒルデっ!! もっと私と話してくれっ!!」
聖女の足元に縋るような姿勢になるグリーンラバー伯爵。
そんな彼を放置して、聖女の瞳がまた翡翠色に変わり、
「【――アンジェ……アンジェリカ。幸せになって。幸せになれないのならわたくしの言葉はなかったことにしなさい】」
優しく慈愛を含んだ声とともにお嬢さまに背中に回される腕。
「お母さま……」
お嬢さまの目から涙が零れる。
「――と言うことで、以上が神の御許にいる迷える子の言葉です」
聖女の目の色が戻るとともに告げられる言葉。
「神の言葉に従いなさい」
そんな声と共にすぐさま婚約破棄の手続きがされた。
その間ずっと空気扱いだった男爵令嬢は慰謝料を請求されてようやく口を挟めるようになったが、聖女の護衛に黙らされたとか。
「マイト。ありがとう」
お嬢さまが感謝の言葉を述べる。
「いえ、家に仕えるものとして当然のことをしただけです」
「だけど、その為に貯めていたお金まで……」
申し訳なさそうに告げるお嬢様に、
「ならば、笑ってください。――幸せな笑みを見たくてしたことなので」
そうだ。それが見たかったのだ。
そう告げるとアンジェリカお嬢さまは顔を赤らめて、
「貴方ってとんでもない口説き文句を言うのね」
と小さく呟いたのだった。
憑依系聖女。




