第09話「エルフは世界の真実を知る」
魔物を倒した私は夜の岐路を歩く。先ほどから無線機に何度か呼びかけてみたが、恭介も冬華も返事はない。
二人とも寝てしまったのだろうか。村は驚くほど静寂に包まれている。
歩きながら星を見る。冷たい風が吹き抜ける。草の香りを感じる
でもなぜだろう。
いつも感じる、違和感。
村に感じる違和感。
不自然な。何か。
私はおそらくそれを理解している。【気付かないフリ】をしている。だがそれでも。
私は冬華と恭介の事が、それ以上に放っておくことができなかった。
目覚めたら忘れる夢の情景が思い出せないのに、忘れられない。
「エリィ」
名前を呼ばれ、ぼんやりと後ろを振り返ると、冬華がいた。
「話がしたいんだ。すごく、大事な話。」
「今じゃないと駄目なの。だから、何も聞かずに私についてきて」
冬華は穏やかに笑っていたが、どことなく悲しそうな顔をしていた。私はふいに彼女の頭を撫でる
「冬華、安心してください。私は大丈夫です」
そういって笑顔を作る。それでも彼女の表情は陰ったままだ。
私は冬華に連れられ、村の図書館に入る。
図書館の中は、いつもよりひんやりとした空気が漂っている。
壁に並ぶ書棚の影が長く伸び、月明かりが窓から薄く漏れていた。
「エリィ。私と、恭介以外の誰かと、話した事はある?」
「いえ。」
「他に誰も、いませんから」
その答えを聞いても振り返る事なく、冬華は歩き続ける。
そう。この村には【恭介と冬華だけ】しかいない。
私の頭の中にある、鍵がいつの日かカチリと開く感覚があった。
魔物との戦闘。想像力の向上。何がきっかけかは解らない。私の認識を阻害してた何かは、いつの日か消えていた。
だが、私は何も言わなかった。それ以上に私は二人の事が心配で、気がかりだった。
天井まで続く本棚がまるで壁のように並び、まっすぐに延びる通路。やがて奥にある吹き抜けの広い空間に私達はたどり着く。
「私の話を、まず最後まで聞いて。」
目が合った瞬間、その瞳の奥に沈んでいたものが、わずかに揺らぐ。 言葉にする前から伝わってくる 決意と覚悟。
冬華は端末を操作し、淡い光を放つ画面が空中に浮かび上がる。この世界の全貌。地図上に大陸がいくつも並び、海がその隙間を埋めるように広がっていた。
「これが地球の姿。そしてここが私たちがいる場所、日本」
画面がゆっくりとズームし、大陸の輪郭が詳細に浮かび上がる。広がるユーラシア大陸、その東の端に小さく存在する島国。冬華の指がそこを示す。
「でも、あなたのルーツはここにはないの。」
彼女が端末を操作すると、地図の海の部分に存在しないはずの大陸が現れる。まるで空から落とされたかのように、不自然に海の中央に浮かぶその土地。
大陸の形は他とは異なり、異質な構造をしていた。
「これが【ゾハール】今から200年くらい前かな。この世界に突如現れた・・・【異世界】」
そこに広がる宗教、文化、歴史のすべては、この世界には決して存在しないもの。
それはまるで、夢の中の幻想が現実になったかのような、未知なる領域。この世界の常識が通じない、もう一つの世界。
「・・・エリィは、エルフなんかじゃないの。あなたのルーツは、ゾハール人。」
「私達は、嘘をついた。本当は魔物・・・機械兵器を使ってあなたを殺そうとしてたの。」
「エリィみたいな強い魔法使いを、単独で倒せる力を持った、【デウス-エクス-マキナ】を作る為の実験場。それがこの場所、東京新宿区地下75階に存在する施設。
更に冬華は軽く端末を操作する。本棚が音を立てて移動し、隠された通路が露わになる。
「この通路の先にあるエレベーター。中に入って・・移動できる箱っていうのかな。そこから【外の世界】に出れる」
冬華は穏やかに、吐き捨てる様に、言葉を紡ぐ。
「私を殺して、ここから逃げて。」
「あなたの人生は、あなただけの物。誰かのいいなりなる必要なんか、無いんだ。」
彼女の声がほんのわずかに掠れる。 震えまいと、必死に平静を保とうとする意志。
「恭介は、ごめん。今は村にはいないの。だから私を殺せば、もう追ってはこない。元々この施設の存在を知ってる人は、ほとんどいないから」
「だから。お願い。もう終わりにしたいの」
最後の言葉は、息と混ざるように吐き出される。
冬華の目に宿っていたのは、これから死ぬ為の覚悟だけだった。しかし
私は大きく深呼吸し、胸元のリボンを整え、そして彼女の傍に歩み寄る。そして、そっと頭に手を置いて、彼女を撫でる。
「冬華。肝心な事が、一つ抜けています」
「それが解らないと、私はここを出ていく事ができません」
「冬華は【私が誰なのか】知っているんでしょう。それを・・・あなたは教えてくれませんでした。」
ビクリ、と彼女は動揺する。
目覚めて最初に空に向かって問いかけた答え。鏡を見ながら何度も聞いた答え。それを、彼女に問う。
「私は、誰ですか?」
それは、それだけは、言えない。怖い。言いたくない。でも、言わなきゃ。嘘はつかないって決めたんだから
でも怖い。あなたの【顔と声で】もし怒りをぶつけられたら、悲しまれたら、私は
「このまま殺して。お願い。」
どうしてだろうか。この子を今は安心させてあげたいと、そう願う。だから私の体は勝手に動いていた。
私は冬華をゆっくりと抱きしめた。
「冬華。大丈夫。大丈夫ですよ」
冬華の肩が微かに震えた。言葉にならない恐れが、その奥で必死に抵抗しているのが分かった。
何かを言おうとして唇が小さく動く。その言葉は音にならず、ただ息だけが漏れる。
「私は、自分が何のために生まれてきたのか、なぜここにいるのかよりも――」
「あなたが、その事で苦しんでいるのなら、私は放ってはおけないんです。」
その言葉に、冬華の胸が押しつぶされる。守ろうとしている。何もかもを受け入れて、受け止めようとしている。
「だからこそ、本当の事を知りたい。あなたを安心させたい。」
「変ですよね。どうしてでしょう。あなたと恭介を見てると、どうしても放ってはおけない」
冬華は小さく唇を噛みしめた。心の奥深くに沈んだ秘密を、とうとう目の前で掘り起こされる瞬間。
自分でも蓋をしていたものが、もう誤魔化せない。それほどにエリィの言葉は真っ直ぐだった。
「私は大丈夫です。だから安心して。泣かないで。一緒にいますから」
エリィは、本当に何も知らない。それでも彼女はここにいる。自分のために。
エリィの優しさは、彼女の優しさなのか、彼女の中に残っている■■なのか、私には解らない、でも
「エリィ・・私は・・・」
図書館に轟音が響き渡った。
壁が爆発するように弾け飛び、何百冊もの本が宙を舞う。砕けた木片と紙の破片が降り注ぐ中、それは姿を現した。
「足止めに魔物を使うのは考えたね、冬華。でもね。僕も、ずっと用意してたんだよ。彼女を殺す為の魔物を。デウス-エクス-マキナを」
煙が晴れると、そこに立っていたのは鋼の巨人。 両脚で地を踏みしめ、人の形をしているが、どこか異様に歪んだ作りだった。
右腕には分厚い盾、左腕には巨大な銃。そして背中には鋼鉄の箱。おそらく幾重にも兵器の詰まったコンテナがいくつも並んでいる。
顔と思しき部分には、ぎらりと赤い一つ目。血のような光が揺らぎながら、グリグリと動き、冷たく私を視認する。
破壊された壁の向こうで恭介はうつろな表情で私達を見ていた。
「恭介!!!」
冬華の叫びが、静まりかけた空間を切り裂く。
「もうやめよう。やめようよ!彼女を自由にしてあげて!!こんな事、間違ってるよ!おかしいよ!!!」
「やめる?何を?」
静かな問いかけ。しか、その声には何の感情もなかった。 まるで言葉がただの音の羅列になったかのように、恭介は虚ろに問い続ける。
「どうして?何故?」
冬華は激昂し、腹の底から言葉を紡いだ。
「恭介だって解ってるんでしょ?こんな事、七海姉さんは望んでない!エリィだってきっと!」
言いかけて、彼女は息を詰まらせた。 しまった
駄目だ。そんなことを言ってはいけない。今はまだ。今は――。
■■■ ■■■
どんな子に育つかな
■■■■■■
どんな人を好きになるのかな
あなたにそっくりな
■ ■■ ■■■
■■■■■■
泣かないで 傍にいます
ずっと 一緒に
■■■ 頭が痛い。 眠れない。
僕の中で君は決して歳を取らないし、衰えないし、死なない
だから僕は
「エリィ。」
それは、まるで朝のコーヒーを勧める時のような、穏やかで柔らかな声だった。
だが、この言葉の向こうにあるものを、私は知っている。
ゆっくりと顔を上げる。恭介の瞳と視線を交える。
「なんですか。恭介」
「僕はね。君が大嫌いなんだ」
あなたから溢れる、私への殺意。
顔を手で覆い、長い前髪を上にあげ、恭介の両目が露わになる。片目から出た赤い涙が頬に跡を残す。
血のような色をしたその涙は、何かを手放すように落ちる。
「ここで、死んでくれ。」
衝撃音。 地面が震える。 鉄が軋む。心の中の何かが。すべてが、壊れていく。




