第03話「幻想世界ゾハール大陸 西部」
古びた屋根のない廃墟がいくつも立ち並び、その隙間で人々が薪火を焚いていた。
路上では取っ組み合いの喧嘩が起き、別の通りでは何かを盗んだらしい人影が怒号を背に逃げていく。
基本的に、治安は最悪だ。
空を見上げれば、巨大な蝙蝠のような生き物が何体も飛んでいた。
この世界でいうハゲタカの類だろう。
死と腐臭を嗅ぎつけ、戦場や貧民街の上を飛び回る、縁起の悪い生き物だ。
ゾハール大陸西部――教会の保護が及ばない区域。
使徒の脅威に常に晒されているこの土地にも、人は生きている。
多くの難民は安全を求めて東を目指す。
だが、国境のように築かれた巨大な城壁が、それを拒む。
教会が派遣する神聖騎士団も、この地では主力とは呼べない者ばかりだ。
結果、この地域にはアゾスの駐留拠点が点在し、日々、断続的に使徒との戦闘が繰り返されていた。
小さな集落の中を、愁夜は猫背気味に歩く。
通りには簡素な屋台が並び、食料や雑貨が無秩序に売られている。
シャツにネクタイ、サスペンダー付きのズボンという簡素な服装。
上着を肩に引っかけたまま、愁夜は小さく息を吐いた。
周囲には魔導士の姿も多く、警戒の視線が自然と集まる。
見渡す限り、いるのはゾハールの民ばかりだ。
――ここは彼らの町で、彼らの土地だ。
それにもかかわらず、教会は主力を寄越さず、危険な仕事はアゾスに丸投げ。
自分たちがいなくなった後のことなど、最初から考えていないのか。
それとも【それができない】と分かっていて、切り捨てているのか。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に小さな衝撃があった。
子供がぶつかってきたのだ。
「ごめんよ!」
一言だけ言い残し、子供はそのまま走り去ろうとする。
「ちょい待て」
愁夜は反射的に手を伸ばし、襟首を掴んだ。
「な、なんだよ! 離せよ、クソ!」
だが、愁夜は動じない。
手甲で受け止めると、電撃は吸い込まれるように霧散した。
――さすがデウス‐エクス‐マキナ。
魔法相手には、やはり心強い。
それにしても、子供ですら魔法を使える。
この土地がいかに危険か、改めて思い知らされる。
「これも持ってけ」
愁夜は反対の手に持っていた、食料品の入った袋を差し出した。
子供は一瞬だけ目を見開き、奪い取るようにそれを抱える。
それを確認してから、愁夜は手を離した。
振り返ることもなく、子供は路地の奥へ消えていく。
――こんなことをしても、何も変わらない。
ただの自己満足だ。
「しゅう君」
背後から声がかかった。
振り返り少しだけ視線を下げると、そこには冬華の姿があった。
冬華の身長は165㎝程で女性の中では比較的高めの部類だが、身長180程ある愁夜はどうしても見下ろす形になる。
「……見てました?」
「見てた」
愁夜の横に立ち、子供が消えていった路地裏の方に視線を向ける。
「財布、よかったの?」
「こっちで使える通貨しか入れてないんで、大丈夫っす」
「ふーん」
少し間を置いて、冬華が言う。
「もっと素直に助けてあげたらいいのに」
「ずっと俺が、この場所に居れる訳でもないんで」
冬華は小さく息を吐き、愁夜へと用事を伝える。
「伝言。シオンが、今日は休暇にしろって」
「どして?」
「この前言ってた救援の二人が来るでしょ。その迎えの準備で忙しいから、今日は町の見回りだけしてろって」
「中央都市の魔導士ですか。土地勘ないでしょうし、案内役は必要ですね」
「……仲良くしてあげてね。約束」
「わはは。冬華さんの友達なら、楽勝ですよ」
親指をグッと立てて愁夜は宣言するが、冬華は浮かない顔のままだ
「だといいな」
少し間を置いて、冬華が続ける。
「ねえ、愁君。私も見回りに付き添っていい?」
愁夜がズイっと冬華に距離を詰める
「それって! デ、デ、デートですか!? 手つないでいいやつですか!?」
「違う! 調子に乗らない!」
冬華は愁夜の顎手を当てて、グイッと手で押し返す。
「愁君、無茶しがちだから。傍で見張っててあげる」
仰け反ったまま愁夜は親指を立てる
「無茶してないです!いつだって俺は身の程はわきまえてるつもりなんですが!」
「してる。自覚がないだけ」
冬華は愁夜から手を離し、俯く。
「些細な行き違いで、少し離れただけで……みんないつの間にか、いなくなっちゃう」
ギュッと片腕を握りしめ、静かに、ポツリと言葉を漏らす。
「もう、そんなの嫌なんだ」
「せっかく私も今ここにいるんだし。傍にいたっていいでしょ」
愁夜は一拍置いて、肩をすくめた。
「……了解っす」
大事な人に心配をかけてる様では、まだ俺も頼りにならないという事だろうか。もっと強くならなければ
2人の間に少々気まずい空気が流れ始めたその時だった。
唐突にズドン!!!!と街中で大きな爆発音が響く。
遠くの建物から煙が上がり、人々の悲鳴が上がった
「何!?」
煙が上がった方角から走って逃げる男の肩を愁夜が掴む
「おい。何があった?」
「騎士団の牢獄から教団の魔導士が逃げ出したんだよ!」
「よりにもよって、魔獣を召喚しやがったんだ!イカれてやがる!」
「なんだってえ?」
グノーシス教団。
デウス派の使徒を支援し、世界の破滅を是とする狂信者たち。
「お前らも早く逃げろ!!」
男は振り払うように走り去る。
その直後だった。
道の脇に立つ廃墟が、内側から弾け飛ぶ。
瓦礫と粉塵を突き破って現れたのは、巨大なライオンのような魔獣だった。
しかし全身を覆うのは、体毛ではなく、鎧の様な鱗。
鈍く光る装甲の隙間から、濁った吐息が漏れる。
その背に、ローブ姿の魔導士が跨っていた。
「道すがらの人間は全員殺せ!!」
魔導士は愁夜達、群衆がいる方向を指差し、魔獣へと命令を叫ぶ
「このまま突っ切れ いけ!!」
愁夜は即座にショルダーホルスターから銃型のマキナを抜き、構える。
「冬華さん!! 下がって!!」
だが、冬華は一歩も引かない。
人差し指を立て、銃の形を作り、魔獣へ向ける。
「───エキドナ」
その一言と同時に、空が鳴った。
ズドドドドドドド――!!
見上げた空には、複数の球形端末。
外装が展開し、無数の銃口が一斉に地上を向く。
幾何学的な軌道を描きながら、弾幕が魔獣へ叩き込まれた。
装甲が砕け、血が噴き上がり、魔獣は断末魔の咆哮を上げて崩れ落ちる。
地面が揺れ、周囲の人々が一瞬、言葉を失った。
愁夜は銃を構えたまま、固まる。
「……ええ?」
冬華は上空を見上げ、満足げに呟く。
「いい子」
そして愁夜に振り返り、胸を張る。
「私が連れてきた、自立起動型のマキナ」
「どう? 強いでしょ」
愁夜は肩を落とし、苦笑いする。
「……最強無敵じゃないですか」
・・・冬華に心配をかけないくらい強くなれる日は、まだ遠そうだ。




