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第03話「少年は彼女の事を知りたいと願う」

エリィは、不思議な人だ。



晴れた昼下がり、駅前から続く商店街をふたり並んで歩いていた。アスファルトの照り返しが少し眩しいけど、それ以上に眩しいのは隣の彼女だった。


「わぁ!見てくださいシズ君!!飛行機が飛んでますよ!あんなに高い所まで!!すごい!」


空を指差した彼女の瞳は、空よりも澄んでいた。機影を見つけるたびに、目を丸くして、口をあけて、感嘆の声を漏らす。


「あれ……可愛い…!フワフワしてそうです!ぬいぐるみっていう奴ですよね!」


ショーウィンドウの前でしゃがみ込み、ガラス越しに並ぶぬいぐるみに手を伸ばす。頬を寄せるような仕草は、まるで子供みたいだ。


「猫がいますよ!猫です!」


信号を待つ時間、通り過ぎていく野良猫を見つけるたび、まるで幻獣を発見したかのような声量と興奮で僕の袖を引く。


「シズ君!シズ君!食べてみませんか?クレープっていうんですって!」


いつの間にか手にはフルーツたっぷりの三角形。トッピングの色合いに感動して、包み紙の裏までじっくり観察している。


本当に、何を見ても、どこに行っても、常に感動している。 その目に映るものすべてが初めて触れた物のようで、見ているこっちが不安になるほどだ。


僕よりも遥かに年上?の筈なのに、黙っていれば落ち着いた大人の女性にしか見えないのに、外ではしゃぐ彼女はまるで大きな子供だ。


「……少しは静かにしてよ」


僕がぼそっと言えば、エリィはぴたりと足を止めて振り返る。


「シズ君だって、この世界の物は珍しいでしょう?もうちょっと関心もちましょうよ」


拗ねたような顔をしながらも、口元には笑みが浮かんでいた。 通り過ぎていく車の音に紛れて、僕は少しだけ考え込む。


「……うーん。でも、なんとなくは解る。かも」


「列車は人を運ぶ物。飛行機は飛ぶ物。テレビは映像を見る物。ペンは字を書くための道具」


「そんなふうに、言葉の意味や、物の役割が記憶とは別に染みついてる。身体が勝手に思い出してるっていうか・・・」


エリィはじっと僕の顔を見ていた。目を逸らさず、黙って聞いてくれていた。


「ゾハールにも似たような物があったんだと思う。この場所の文明とはそんなに違わない気がする。しいて言うなら、電気って概念はちょっと変かな」


「火や水、明かりは魔導で起こしてたと思う。魔法の力で生活してたんだ。今みたいに電気で全部動いてるっていうのは……たぶん、この世界の特徴なんだろうな」


言葉にしてしまえば少し虚しい。 何も思い出せないくせに“知ってる気がする”ってだけの不確かな認識。それでも。


「……シズ君には、ちゃんとこれまで生きた思い出が、確かにあるんだって解って安心しました」


エリィの声が思いのほか優しくて、僕は振り返る。


「……?当たり前だろ。まぁ、思い出せないけどさ。エリィにだって、あるだろ?」


「あはは……そうでした」


一瞬だけ無言になった後、照れたように頬をかいて、エリィはまた歩き出す。しばらくして、ガラス張りの建物を指さした。


「シズ君。これは何でしょう?」


「映画館、だね。ゾハールにも確か、似たようなのあったかな?」


建物の中から聞こえる音、人の流れ、外に張り出されたポスター。すべてがどこか懐かしい。


「エリィが読んでる小説みたいな創作の物語。あれを舞台にして、映像で観る施設だよ」


エリィはポスターの前で足を止める。胸の前で手を組み、顔を上げた。


「ね。見ていきませんか?」


「……お金そんな事に使っちゃっていいの?それに、今映画見たらだいぶ遅くなっちゃうよ」


時間は現在19時に差し掛かろうとしていた。まだ若干日の光を空の向こうに感じるが、帰る頃には真っ暗になってるだろう。


「少しくらいなら……駄目ですか?」


彼女はしゃがみ込み、僕の顔を下からのぞき込む。


僕の身長は150㎝程だが、エリィは170㎝程ある。いつもは大きな彼女が僕よりも小さく縮まって懇願の眼で僕を刺してくる。


その顔を見ると、断れない。あの目で見上げられると、こっちの理屈なんて全部流されてしまう。


「……わかった、付き合うよ」


言えば、エリィはぱっと顔を明るくして、嬉しそうに息を吸い込む。


「やったぁ!」


その声には、天井のない喜びがこもっていた。 僕は少しだけ口元をゆるめて、彼女の後を追った。



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僕たちが見た映画は、一人の男の人生を静かに辿る、穏やかな物語だった。


演者が暴れ回るような派手なアクション映画で良いんじゃないか。


そう提案してみたけれど、エリィがカタログの写真をじっと見つめたまま「これがいい」と言ったのだから、仕方がない。


物語は、病気でハンデを抱えた少年が、走ることをきっかけに人生の歯車を動かし始めるところから始まる。

部活動、戦争、事業、出会いと別れ。彼は次々に人生の節目をくぐり抜けていく。

どれも美談というほどではないけれど、それでも確かに、前に進み続けていた。


彼を支えるのは、純粋さと誠実さ、そして人と人とのつながり。

何度も傷つき、何度も失い、それでも優しさに触れながら未来へ歩き続けた彼の背中には、目には見えない重さと温かさが確かにあった。


彼はずっと、幼なじみの女性を思い続けていた。彼女は波乱に満ちた人生を歩み、すれ違いと再会を繰り返しながら、ついに子どもを授かる。


だけど、その幸せが永遠に続くことはなかった。


彼女は死を迎え、彼は新たな立場として人生と向き合い直す。



人生の意味を問う場面が何度かあった。 でも、彼は問いに答えようとする代わりに、その都度、ただその瞬間に誠実に向き合っていた。



それがきっと、この物語の根幹なのだと思う。


僕は、演出が上手いなとか、このシーンはどうやって撮ったのだろうとか、そんなことばかり考えながら観てしまう。


役者の感情の乗せ方や、カットの切り方まで気になってしまう。

ちょっと冷めた見方だってことは自覚してるし、自分のそういう性格を少し嫌に思うこともある。

でも、そういう性分なんだから仕方ない。


手元の飲み物をストローで吸い上げる。溶けた氷がカラカラと揺れる音が、場内の静けさにやけに響く気がした。 ふと、横に目を向ける。




エリィは泣いていた。




薄暗い客席の中、エリィは真っすぐスクリーンを見つめていた。

体のどこにも力が入っていないようでいて、それでも座り姿勢は端正で、背もたれにも触れていなかった。


光に照らされた横顔はとても静かだった。 鼻をすする音ひとつ立てず、崩れそうな表情も見せない。


ただ頬を伝う雫だけが、彼女の感情を物語っていた。


僕は隣で、何度か彼女の方を盗み見る。


言葉にできない空気が、座席の間に静かに降り積もっていた。


何ということもない。ただの映画だ。


だけど彼女は、まるで自分自身の話かのように感情を重ねている。

痛みや喪失や、微かな希望まで。


スクリーンの向こう側に生きていた男の人生を、ひとつひとつ追体験しているように見えた。


――僕は、エリィのことを何も知らないんじゃないか?


そんな考えが、ふと心の奥からこぼれてきた。


彼女は僕と出会う前、あの場所で何があったんだろう。

どんな経験をしてきたのか。 それをちゃんと知ろうとしたこと、あったかな。

たまに、過去の話題になると彼女は少しだけ目を伏せる。


それ以上は、詳しく話してくれたことはなかった。

もし、話してくれたら。もし、僕を頼ってくれるのなら。


何ができるかはわからないけれど── それでも、話がしたい。


彼女のことを、もっと知りたい。


そう強く願った。


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