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第02話「ゾハール大陸の謎」


僕の名前は、シズ・マクレーン。


そうらしい。名前が書かれた封筒が一度だけ届いた。冬華という人からの手紙だったと、エリィが教えてくれた。


年齢は…きっと13か14か、そのあたり。 昔の記憶は、なにひとつ思い出せない。


自分の意識を初めて自覚した時、そこにあるのは痛みと、暗い闇の底。

全身が軋んでいて、呼吸するだけで魂が少しずつ剥がれていくような、そんな感覚がずっとつきまとっていた。


――誰もいなかった。自分だけ。 蹲って、泣いていたと思う。


そのとき、不意に耳に届いた声があった。



「もう大丈夫ですよ」



はっきりとした記憶ではない。でも、その声の温度だけは、残っている。


気づくと、僕は誰かに背負われていた。暖かくて、柔らかくて、どこか懐かしい匂いがした。 それが、エリィだった。


それから二月(ふたつき)程の時間が経ち、僕はエリィと一緒に、日本の小さな町で生活を送っていた。

自分の思い出、過去、親、家族、友達、そういった物が何一つ思い出せなくて不安だったけど。

どんな不安に押しつぶされそうになっても、エリィがずっと傍にいてくれた。それだけで僕の心は随分と救われてる気がする。

そんな話を、素直にできる訳もなく・・・まぁとにかく、僕にとって心強い同居人なのだ。


「シズ君。改めてこれからの事、お話しませんか」


エリィはしゃがみ込むように僕の目線に合わせると、笑顔のままじっと見つめてくる。その距離感に僕の身体が反応した。


「近いって」


肩をすくめながら少し身を引くと、彼女は小さく唇をとがらせて頬を膨らませる。


「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないですかっ」


拗ねたように眉を寄せながらも、どこか楽しそうだ。そのまま三つ編みに整えた髪を指先でくるくると巻きながら、エリィはメガネを取り出し、くいっとかけた。


「エリィって目悪かったっけ」


目を細めて覗きこむと、彼女は胸の前で両手を揃えて小さく笑った。


「いえ、なんとなくこの方が良さそうだったので」


…メガネはただの気分らしい。

まったく何を考えてるんだか。僕はそっと視線をそらしてベンチの背にもたれた。


「・・・続けて」


言うと、エリィはすっと姿勢を正して、言葉の調子を切り替えた。

目の奥に、さっきまでの冗談めいた空気はなくなっていた。



「シズ君の故郷、ゾハール大陸。ここに渡る為の手段を私達は探さないといけません」



そう言いながら、エリィは鞄から端末を取り出して何度かスライドさせる。風に揺れる髪が頬にかかり、彼女は指先で払う。


「冬華が私たちに残してくれたこの世界の金銭と住居のおかげで、当面の活動には何も問題がありません。感謝しないとですね」


彼女の声音に一瞬だけ寂しさが混じっているのを感じて、僕は言葉を返すのを迷った。


あの人からもらったというカバンの中に、今後の生活に必要な物が一通り入っていたらしい。


ほどなく僕たちの家に一通の手紙がいつの間にか入れられていた。

そこには僕の名前と、エリィへの贖罪が詰まっていたらしい。


「魔物のコアにされた影響で、一時的な記憶の混乱があるかもしれないからって。本当に助かりました。私ではシズ君の名前を考える事ができなかったので・・・」


彼女は冬華からの手紙を僕には読ませてくれなかった。

だがエリィのどこか悲しそうな顔を見ると、僕はそれ以上何も言及できなかった。


ジョギングしてる人が何人か目の前を通り過ぎ、少し遠くでは子供たちが遊具で遊んでいた。

二人して適当なベンチに腰を掛け、空をぼんやりと見上げる。雲一つない青空だった。郊外の中心にポツリとある大きな公園はそれなりに人が多い。



「・・・船も飛行機も駄目でした。あと残された手段は・・・」


頭の上に縦に何本も線が入ってる様な苦悩した表情でエリィはうんうん悩む。


外の世界に出てまず最初に心配していた事は僕達の様な異世界の人間はすぐに捕まってしまうのではないか。あの施設からの追手が来るのではないかという事。


だが僕たちを取り巻く環境は想像を遥かに超えて平和だった。エリィの容姿を見て見惚れる人間、振り返る人間こそいるが、誰もそれ以上に気にしようとすらしない。

僕たちの耳はこの世界の人間よりも少しだけ大き目で尖っているが、それ以上に目立つ違いは無かった。


日本という場所でも人間の種族は多様に存在し、肌の色から言語体系も入り混じっており、統一感というものがほとんど無い。それ以前の話として



「ゾハール?何も無いジャングルらしいけど」

                           「ハワイの傍ににあるんだっけ?」


「人間があんなとこに住んでるとか聞いたことないよ」    「しらなーい」


「恐竜がいるんでしょ!映画で見た!」    「何かの勧誘?そういうのいいから」


      「お姉さんめっちゃ綺麗じゃん。話聞くからさ、一緒に遊ばね?」


「飛行機も船もあんなとこに行かないよ。」      「どこそれ?」



誰も何も知らない。

魔法や魔導士。自立して動く機械の魔物。その全てがまるで夢物語の様に。連日エリィは様々な図書館を見て回り、様々な資料を読み漁った。


この世界の歴史。この世界の成り立ち。戦争。事件。あらゆる文献をひっくり返して調べたが、ゾハール大陸に関する資料はほとんどまったくと言っていい程に出てこない。


解った事は、何百年も前に突如現れた新しい大陸で、人が住める様な場所では無いという事。立ち入りが国際的に禁止されてる事。その程度だった。




僕たちの故郷。ゾハールとは、一体何なのだろう。




「・・・それで、今後はどうしようか?」


「どうしましょう」


二人して首を傾げる。だが、僕は提案する。


「……どうしても、ゾハールに帰らなきゃいけないのかな?」


ふいに口をついた僕の言葉に、エリィは目を丸くする。


「ここで普通に暮らしてもいいんじゃない? 僕は、正直、自分が誰だったかなんて……もう、どうでもいい気がしてる」


言葉にしてみて、少しだけ心が軽くなったような気がした。


でも、エリィは静かに首を振る。


「シズ君には、帰る場所があるんです」


膝の上で指を組みながら、目を伏せる。


「あなたのことを大切に思っている人が、きっといます。家族かもしれない、親友かもしれない。だから…帰って、元気な顔を見せてあげませんか?」


僕は黙ってその言葉を聞いていた。風が頬をなでる。ベンチの隣で彼女の手がわずかに震えていた。


しばらく沈黙が続いたあと、彼女がぽつりと言う。


「シズ君。もし私が、どこかに消えてしまったら──探してくれますか?」


僕は、少し驚いて彼女の顔を見つめる。 少し伏せた彼女の眼は前髪で覆われ、その表情はよく見えなかった。


まだ出会ってそんなに長い時間一緒にいた訳じゃない。まだ思い出と言える程の物も、そんなにあるわけじゃ無い。


それは、彼女にとっても同じだ。だけど、短い時間一緒にいても解る事がある。エリィの持つ、優しさと、強さ。慈愛と想い。

自分以外の誰かの為に、常に頑張ろうとする姿。


そんな彼女だからこそ、僕は


「……探すよ。ずっと探すと思う」


それだけ答えた。彼女は息を呑んで、小さな声で笑った。


「あは。うれしいこと言ってくれますね」


僕も、少しだけ笑った。 そして気づいたんだ。たぶんそれは、僕も“誰かに探してほしい”って、どこかで思っていたからなんだ。

まだどうすればいいかも解らない。本当に故郷に帰りたいと思っているかもわからないだけど、エリィと一緒なら僕は。


エリィは微笑みながら、手をぎゅっと握るようにして言った。


「じゃあ、まずは帰る努力をしてみましょう。そこから、やりたいことを探していけばいいんです」


彼女は立ち上がり、遠くを見つめる。


「その時は、私も一緒に考えますから」



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「いたいた。ゾハール人が1……2匹。こんな辺鄙な国で呑気なもんだわな」


大柄な男は双眼鏡を覗きながら、くせ毛の間から覗く鋭い目で二人を捉える。 昼下がりの陽射しが頬を照らすが、彼は無頓着なまま煙草に火をつけた。

ふっと煙を吐き出し、その視線をじっと街路のベンチに留め続ける。


「彼らは要捕獲対象。殺すのは駄目」


隣に立つ女が、冷ややかな声で釘を刺す。 腰まで伸びる長い髪を後ろで結っており、制服の襟元はピシリと皺一つなく整えている。眼鏡の奥から男を一瞥する。目元にある大きな傷が光を弾き、不気味な陰影を帯びる。


男は肩をすくめながら、面倒そうに煙を左右に追いやった。


「ここはゾハールの外だろ?あいつら何もできねぇって」


言いながらも、指先は無意識に背負ったケースのロックをなぞっていた。 そこに収まっている“何か”の重みが彼の背骨を静かに軋ませる。


「それは私たちも同じ。この国での活動は大きく制限されている」


女は視線を下げて、腕時計の文字盤に目を走らせた。 秒針がきっちりと規則正しく進むのを見届けると、わずかに眉間に皺を寄せる。


「どういう訳か、援護は無く、応援も無い。私達二人で彼らを捕獲しないと」


風がビルの隙間を通り抜け、二人の黒服をそっと揺らす。 通行人の誰も、彼らの存在に気づかない。


「私の【レリック】があれば、彼らとの接触は可能だ。作戦は今夜、決行する」


言葉の終わりと同時に、女の指が軽く金属の留め具に触れた。

男は、ただ仰ぎ見るように背中を伸ばしてから答える。


「へいへい。解ったよ姐さん」


ひとつ大きなあくびをして、彼は煙草を地面に押しつけて踏み消す。 吐き出した煙が揺れ、やがて消える直前、ぽつりとつぶやいた。


「ぶっ殺した方が楽なんだが、な」


その言葉は、冗談にも聞こえたし、冗談では済まされない何かにも聞こえる。だが、男の答えは、ただ一つ


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