序章 最終話「いつかきっと、あなたにも」
太陽の様に微笑む君の顔は穏やかで優しく、何よりも愛おしい。
思い出の中の君は、いつだって綺麗な姿で僕を受け入れてくれる
「もうすぐ、生まれてくるみたい」
そういって優しくお腹を撫でる君の姿を、何度も何度も思い出す
「名前はそろそろ決まりましたか?」
ごめん。まだ悩んでいるんだ
「私はちゃんと考えましたよ」
頭が上がらないな。どんな名前だい?
「絵梨・・・というのはどうでしょうか」
とてもいい名前だ。それにしよう
「駄目です。あなたもちゃんと考えてくださいな」
叱る様な口調で僕に難題を出す君は本当に楽しそうで
「あなたが悩んで、考えて、この子の事を一生懸命に想って。思いを込めた名前を」
愛しい我が子の名前を、愛しい君と一緒に、考える時間は、本当に楽しくて
「ちゃんと決めてください。それまでは保留ですよ」
ずっとこんな時間が続けばいいと、そう思っていた
「手厳しいなあ」
歌う様に、幸せそうに再び七海は笑う。
「どんな子に育つかな」
お腹を撫でて、未来に思いを馳せる。誰よりも、何よりも大事そうに
「どんな人を好きになるのかな」
そんな日が来た時、きっと二人で慌てふためくんだろうな
「あなたにそっくりな、頑固で卑屈な人になったらどうしましょう」
まったくだ
君の様な、優しい子に育ってほしいと、そう思ってるよ
「はい。私もです」
それが、僕の思い出の中にいる、七海の最後の姿。
七海。 僕の妻。僕の全て。 僕が唯一、心から大切に思える人間だった。
彼女は、子供を産めなかった。
僕よりも先に、行ってしまった。二度と会えない程、遠い場所へ
だから。
僕は、ゾハール人を【材料】にして、七海を作ろうとした。
強い魔力をその血に含む彼らの細胞を、彼女と混ぜ合わせた。 どんな形でもいい。どんな理由でもいい。 それがどんな過ちでも構わなかった。
何でもいい。 彼女に会いたかったんだ。 ずっと。 ずっと。
しかし、それはただの錯覚だった。
「だが、お前は七海じゃない。」
僕は知っていた。理解していた。 目の前の存在が、七海の姿をしていても、七海の声で喋っていても、七海の仕草をしていても。彼女ではないことを。
「その見た目も、声も、仕草も、すべて七海と同じものだが、七海じゃない。」
七海の代わりにはならなかった。 七海そのものにはなれなかった。
それはただの【エリィ】だった。
「だから、死んでくれ。エリィ」
淡々と告げる。 冷たい言葉に、ありったけの殺意を込めて。
「それが勝手だって言ってるんだよ!!馬鹿恭介!!!!」
冬華がありったけの思いを込めて、叫ぶ。
冬華の叫びが図書館に響き渡る。 怒りと決意を込めた、その言葉は剣のように鋭い。
僕の言葉に対する否定。 僕の行動への拒絶。
「エリィが今日まで歩んだ日々も。記憶も。思い出も!エリィだけのものなんだよ!」
僕の執着への――怒り。
「なんでそれが解らないんだよ!恭介!!」
冬華の叫びをかき消す様に鋼の巨人と蛇の攻防が一段と激しくなる。
冬華は必死に端末を操作しながら、ときおり視線をあげて戦場を見つめる。その顔に浮かんでいるのは強い決意と、ほんのわずかな恐れ。
恭介。彼の視線の先にあるのは戦いではなく、その向こうに見える「何か」だった。
吹き荒れる衝撃の余波に、室内の天井が軋む。崩れかけた梁が鈍い音を立てながら傾き、まるでこの戦いそのものを象徴するかのように歪んでいく。全てが壊れる。みんなが死ぬ。このままでは、全部。
「蛇のコア(魔動機)の位置を特定。指定の座標に【ロンギヌスの槍】を発動」
ぼそりと恭介が呟く。そして
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魔導師【シズ・マクレーン】に再接続【aaaaaaaa】 リンク完了。
ロンギヌスの槍強制発動。
【痛い痛い痛い】 【暗い痛いどこ誰どこ】
魔動機出力98%上昇確認。目標。デウス-エクス-マキナtypeD ロック完了
【帰帰痛痛死死】
【助けて】 【\\\\\\】
【助】 【痛】 【僕僕僕死死死死】
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巨人のパイルバンカーが発動し、赤熱した釘が蛇の中心へと撃ち込まれる。
蛇の胴体が悲鳴のような軋みを上げ、衝撃が突き抜ける。その巨体は耐えきれずに弾き飛ばされ、壁を突き破り、瓦礫と共に外へと投げ出される。
数秒間、蛇の鋼鉄の体は微細に痙攣しながら、地面に沈んでいた。壊れかけた装甲の隙間から、内部の機構が火花を散らし、赤い液体が滴り落ちる。蛇の赤い瞳がゆっくりと光を失う。
蛇は再び動くことはなかった。
「っ!!!クッソ!!!!」
冬華は普段の姿からは考えられない程に怒り、そして絶望する。駄目だ。エリィを守れない
───ふいに、倒れていたエリィが、ゆっくりと立ち上がる。
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恭介の言う話を、私は半分も理解できていないかもしれない
それでも、ただ一つ、解る事
私の人生は、あの広い海と青空を見た瞬間に始まったという事だけ
私の生まれてきた意味。私の記憶。私の思い出。私には何も無かった
それでも私は、立ち上がる。
何の為に?誰の為に?
私はただ、願う
目の前で苦しむ人達を、ただ安心させたくて。
その為だけに、今日この瞬間を生きよう。
きっとそれが、私が皆を守る、ただ一つの理由。 それだけでいい。
今はまだ。それだけで。
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「安心してください。冬華。私が。守るから。」
「みんなを、守ります」
みんなを守る、盾を。
それは願いであり、揺るぎない約束。
エリィは静かに呟くように詠唱した。恭介が口にした、彼女の魔法の名を。初めて自分の意志で。
「アイギス」
足元からまばゆい光が湧き上がる。複雑に組み上げられた魔法陣が床一面に広がり、紋様が静かに輝きを増していく。空間が震え、魔力の奔流が膨れ上がる。温かな光が彼女の体を包み込むと、それは確信に変わる。
これが私の魔法。本来私が持つ力。
鋼の巨人の体に向けて、私は手をかざす。それだけで盾は動いた。
鋼の巨人は突如として飛来した盾の突撃に阻まれ、一瞬、その動きを止める。まるで時が止まったかのように、辺りに沈黙が訪れる。
盾が閃光となって唸りを上げ、巨人の頭部を一閃する。
重厚な装甲が裂け、鈍い金属音が響き渡る。続けて両腕が弾け飛び、砕けた装甲の破片が宙を舞う。さらに、巨人の両脚が切り裂かれ、崩れるように胴体が地面に落ちた。
それはまるで支柱を失った城のように、無力に転がるだけの存在となった。
その光景を、恭介と冬華は茫然と見ていた。
巨人の胴体だけが残り、冷たい光を失った機械の目が虚空を見つめる。
エリィはゆっくりと足を引きずりながら、少年のもとへ向かう。
少年の体に巻き付いていた無数のワイヤー。その束縛の冷たさを感じながら、彼女は静かに掌を掲げる。顕現した盾の輝きが、優しく彼を包み込むように現れる。
「もう大丈夫です。」
囁くような優しい声。 ワイヤーが切り裂かれると、少年の体はゆっくりと地に落ち、彼の表情は安らかだった。
エリィは微笑みながら、まだ目を覚まさない少年をそっと引きずり出した。まるで、大切なものを抱くように、慎重に。
「冬華、恭介。」
エリィは静かに二人の名前を呼んだ。
「私達は、ゾハール大陸に行きます」
誰かの幸せを願い、私の気持ちに従い生きる事。
それが今の私が選ぶ道
「この子を、故郷に返してあげたいんです。」
彼女の瞳は確かな決意に満ちていた。それは戦いの果てにたどり着いた一つの答え。未来へ歩み出すための決断。
図書館の崩れた壁の向こうには、まだ戦いの余韻が漂っている。しかし、彼女の声はそのすべてを覆い尽くすように穏やかだった。
「いつかまた、会いにきます。だから」
「また一緒にコーヒーを飲みながら。お話をしてくれたら嬉しいです。」
その言葉は、恭介に向けたものであり、冬華にも向けたものだった。彼女は目の前の二人に、ただ願うように言葉を紡ぐ。
その言葉は、恭介に向けたものであり、冬華にも向けたものだった。彼女は目の前の二人に、ただ願うように言葉を紡ぐ。
冬華の瞳が揺らぐ。彼女の唇は震え、小さく動いた。
「・・・・・待ってる。ずっと」
エリィは微笑んだ。冬華の目に涙が浮かび、唇を噛みしめる。
しかし、恭介は何も言わなかった。何も言えなかった。
彼の視線は、ただ遠くを見ていた。そこには未来ではなく、過去があった。彼の奥底に沈んだ七海への執着が、その瞳に静かに揺れている。
「恭介。ごめんなさい。あなたの大事な人を、お借りします。」
彼女は穏やかに言った。だがその声は、決して恭介の願いを肯定するものではなかった。
「教えてくれたんです。私に流れる、七海という人の記憶が」
恭介の体がわずかに動く。
まるで反射のように、彼の口から言葉が零れ落ちる。
「待て。連れて行くな。」
それは切実な願いだった。懇願に近い。
「ここに置いて行け。頼む」
「お願いだから、行くな。」
届かない。もうどこにも
「───行かないでくれ」
彼の声はしがみつくように、低く、苦しげだった。
感情が軋む。祈る様に絞り出される。
エリィは、恭介に向き合い、ずっと心の中にあった言葉を投げかける。
ただひとつだけ。殺意以外の感情をこめて、あなたから貰ったもの。。
「恭介」
「私に名前をくれたあの瞬間のあなたは。きっとその名前を大事に付けてくれた。そんな気がするんです」
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駄目です。あなたもちゃんと考えてくださいっ
あなたが悩んで、考えて、この子の事を一生懸命に想って。思いを込めた名前を
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七海。僕は
恭介の体が震えた。過去の記憶が、心の奥底から呼び起こされる。
彼は、ただ苦しげに息を吐いた。目の前の彼女が、誰なのかを、確かに理解しながら。
恭介は膝から崩れ落ちた。彼は、そのまま動かなくなった。
少年を背に、エリィは最後に冬華と恭介を見る。
彼女はゆっくりと歩き出す。
地上へと続くエレベーターへと向かい、少年と共に外の世界へ旅立つ。
扉が閉まる瞬間、冬華の瞳から涙がこぼれ落ちる
「さようなら。姉さん。」
外の世界へ
地上に到着した時、最初に出た場所は、薄暗い場所だった。
頭上には巨大な橋が伸び、その下を行き交う風が冷たく肌を撫でる。上から響くガタン、ゴトンという重い音が、エリィの胸の奥に響く。目を向けると、橋の上を巨大な鉄の塊が通り過ぎていく。その速さに戸惑いながらも、エリィはゆっくりと足を踏み出す。
すぐに人の往来の多い場所に出た。
街のざわめきが押し寄せる。すれ違う人々の足音がひどく雑然としている。遠くで響く雑踏の声、車の通る音、誰かの笑い声、怒鳴り声。すべてが混ざり合い、無数の意志が交差している。
こんなにも多くの人が、それぞれの人生を歩んでいる。 目的を持ち、どこかに向かっている。何かをなすために、ただ日々を過ごすために。
エリィはその風景を見つめる。自分がいた場所とはまるで違う、広がり続ける世界。その人々の流れの中で
これから自分がなすべき事を考える。
その背中から、かすかな声が聞こえた。
「う・・・ん・・・」
エリィは立ち止まり、そっと背中の少年の顔を覗き込む。
「おや。目を覚ましましたか」
少年はゆっくりとまばたきを繰り返しながら、視線を動かす。眠気の残る瞳で、目の前の世界を眺める。
「・・・ここは、どこ?」
かすれた声。その不安が、空気に溶けるように伝わってくる。
「僕は、誰?」
その言葉がエリィの胸に静かに響いた。
「あらら。あなたもですか」
エリィは困った様に微笑みながら答える。その声には優しさが滲んでいた。
「君は・・?」
「私はエリィ。あなたを故郷まで送り届ける為に、一緒にいます。」
少年は彼女に体にその身を預けながら、少しだけ不安そうに尋ねる。
「・・・家に帰れる?」
その問いに、エリィは少しだけ考える。
「解りません。でも、きっと何とかしますから。安心してください。」
少年は静かに息を吐き、微かに安堵の色を見せる。
「そっか・・・うん・・・」
かすれた声が、夜の喧騒に溶けるように響く。
そう言うと、再び背中から寝息が聞こえてきた。
エリィはふっと息をつき、微笑む。空を見上げる。そして。
人の波に紛れ、どこかへと歩き出す。
これから何が起こるか分からない。
辛いことや悲しいことが、たくさんあるかもしれない。
それでも、歩き続ける。
私は前を向く。
これから始まる旅に、ほんの少しの期待を抱きながら。
どこまでも、歩き続けた。




