Episode 9〜風の囃子〜
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今回は「村の真実」のお話を。
ではでは、ごゆるりと。
あれから二日ほど経つのに、一向に王都は見えてこない。
霧が濃く、景色も変わらないので、何度も同じ場所でぐるぐると回っている気分だ。
「もしかして……僕も迷ったのか?」
『やっと気づきおったか』
聞き馴染みのある声がした。
「ファウステルさん……」
(……こんなふうに現れることもあるのか)
『どうしたんじゃ。そなたも薄々気づいておるのじゃろ?』
ファウステルさんは道端の大きな岩に腰掛け、こちらに目をやる。
「……その……数日前に行った村のことを断片的にしか思い出せなくて」
『断片的にとな?』
「はい、宴のことは覚えているのですが、村でのことが少し曖昧で……これも何かの“綻び”なのでしょうか?」
『……そなたはどう思うのじゃ? わしは導き手であって、答えを知る者ではないぞ』
「そう言われましても……」
『ホッホッホ。思うままにすればいいのじゃよ。自ずと道は見えてくるわい』
「思うまま……か」
あの村の違和感、何かを忘れているような。今思えば、村長さんの様子も少し変だった。
『何か思い出したかの?』
「村長さんに、“今日のことを忘れないように”と別れ際に言われまして……」
『ほう……“村長”に、のお』
「……? はい。ノールさんが村のことに対して記憶が曖昧だったことと、何か関係があるんじゃ……」
『まあ、及第点じゃな』
こちらに微笑みながら、髭を撫でる。やっぱり癖だな。
「って、初めからファウステルさんはこのことをわかっていたんでしょ? 意地悪だなあ」
『ホッホッホ。自分で気づくことに意味があるのじゃよ』
「それが忘れることと、どう関係があるのですか?」
『そうじゃな、どこから話すべきか……あの村には、風の精霊との契約がなされておってな』
「精霊……」
『今からずっと昔、精霊と契約を交わすことがそう珍しくない時代の話じゃ』
────────
風の精霊との契約は、当時の村長が執り行った。
風が守護となり、村は穏やかな時を迎えた。
そんな中、今から六十年ほど前に嵐が村を襲った。この災害によって、少なくともカナン村にも被害は出たものの、その比ではなかった。
以降も村の周りで大災害が頻発し、見かねた若き村長――ウジシャが新たに精霊との契約を執り行うことにした。
村に伝わる書物を持ち出し、自身への戒めと引き換えに、村を数多の脅威から守ってほしいと精霊に問いかける。
すると、精霊の姿は見えなかったが、その問いに応じるかのように追い風が吹いた。
それ以降、村が災害に襲われることは二度となかった。
――しかし、代償があまりにも大きすぎた。
風は村の守護を強めると同時に、外界と遮断する“忘却の風”となったのだ。
それが分かったのは、かつて――まだ忘却の風が緩やかだった頃に、とある村から商人が一度だけ滞在したことがあったからだ。
その日は、彼らと酒を酌み交わし夜通し語り合った。朝になると、彼らの様子が少し変だということに気づく。あれだけ肩を組み、語り合った者同士が、まるで他人のように話しているところを目にしたのだ。
――この村のこと自体を、人々は忘れてしまうのだ。自分だけが覚えているという事実にゾッとした。これが戒めなのかと思った時にはもう遅かった。
精霊と会話をすることも叶わず、村は閉ざされてしまったのだ。
────────
「そんな……でも、僕は村に入れましたし、そのことをまだ覚えていますよ?」
『そなたは、“招き入れられた”のじゃよ。それに、全てを忘れてはおらんが、記憶の断片を持っているに過ぎない。じゃが、その断片があれば、またあの村に行くことはできよう』
「言われてみれば……風で道が開けた先に、村がありました。でもなぜそんなことが?」
『それは精霊に直接聞く方が早いじゃろう』
「え? 精霊ですか? でも会話はできないって……」
『そなたなら言葉を聞き届けることができるやもしれぬ』
「それも……“選ばれし者”の力なのでしょうか」
『“選ばれし者”……というよりは、“そなただから”というべきか』
「僕……だから?」
『まあ、いずれ分かることじゃ。少し長居しすぎたわい。風がまたそなたを村へと導いてくれるじゃろう』
森がざわめくと、ファウステルさんの姿はもう見えなくなっていた。
気がつけば、濃く立ち込めていたはずの霧が、さっぱりと無くなり、空は晴れ渡っていた。
「……風が導いてくれる。か」
気の向くままに、風の吹く方へと進んでみることにした。
しばらくすると、風が陽炎のように揺らめき、草木をざわめかせながら吹き抜けて、道を作り出した。
再び村へと招かれたのだ。
「まさか……あんたは旅人かい?」
あの日と同じく、酒場の店主に声をかけられた。
「はい。お久しぶりです」
「ん? 久しぶりだなんて……変な子だね。おい、お前たち……」
「すまないね……私の客人なんだ」
今にも叫び出しそうな店主を、村長――ウジシャさんが遮った。
そこで僕はハッとした。
(どうして今まで名前を忘れていたんだろう)
「あら残念。村長に客人なんて珍しいね。」
そう言いながら、両脇に酒樽を抱え、店主は戻っていった。
「……ルクノウ殿。聞きたいことがおありでしょうが、まずは我が家へお越しいただけますか」
ウジシャさんに連れられ、以前と同じ道を辿る。
「ルクノウ殿は、カナン村から来られたのでしたね」
ウジシャさんは席へ着くなり、話し始めた。
「はい。僕はカナン村から王都へ行く途中で、ここへ」
「ルクノウ殿は、精霊を見たことがありますかな?」
ファウステルさんの話を思い出す。
「……いえ、実際に人の形をした精霊を見たことはありません」
「姿は見えなくとも、声を聞くことができるのではないのですか?」
ウジシャさんの語気が少し力強くなったのを感じた。それに、何かを急かすような口ぶりだった。
「……なぜそのようなことを聞くのですか?」
僕がそう聞くと、ウジシャさんは視線を落として、こう答えた。
「“カナンの使者より導きが在らんことを”」
まるで、何かを唱えているかのようだった。
「この村に古くから伝わる書物に記された一文です。ルクノウ殿は、精霊との誓いに気づいているのではありませんか? 私に課された戒めのことを」
ウジシャさんは、懺悔するかのように視線を落として目を伏せていた。僕は少し考え込んでしまい、二人の間に沈黙が流れた。
ウジシャさんは俯いたままでいて、僕の答えを待っているかに思えた。しかし、現状を把握することに遅れを取った原因は、そこにあった。
ただの沈黙ではなく、祖先たちが現れる前の静寂とも異なる異質な空間。ウジシャさんは答えを待っていたのではなかった。
ただ時間が静止しているようだった。
【選ばれし者よ、我らの導きに耳を傾けよ】
声ではない何か、光に照らされるように浮かび上がる文字のような。
(あの石碑の時みたいだ……)
【違えた約束などない。一体誰が咎めようものか】
「……あなたはいったい?」
僕の問いに答えはなかった。一方的だが語りかけるような言葉に耳を傾けるほかなかった。
【刹那の契約は重すぎたのだ。我々は、新たな風が吹くことを願う】
暖かい風が吹き抜けた。声の主が去ったように感じた。
今の“声なき声”が風の精霊なのだろうか。
ふと我に返ると、ウジシャさんが落とした視線を上げて、答えを待つ姿勢をとったことに気づいた。考えを巡らせ、僕はこう答えた。
「僕は、精霊に導かれてここへ来たようです」
「やはり……そうでしたか」
「精霊と直接的な会話をしたわけではありませんが……新たな風が吹くことを願っているようです。こうして僕が再びここへ来れたのは、きっとそういうことなのだと思います」
「やはり、あなたは“カナンの使者”様だったのですね」
「いえ、そんな大それたものではありませんよ」
「しかし、“新しい風”とはどうすれば……」
「そのことなんですが、“古い書物”が鍵なのではないでしょうか」
「古い書物……なるほど、少々お待ちください」
ウジシャさんは、何か考え方をした後で、書物を取りに、席を外した。
ウジシャさんが書物を手にして戻ってきた。
それと、幼い少年を連れて。
「ルクノウ殿は覚えておられないかもしれませんが……」
「ネイユ……ですね」
ウジシャさんは、驚いているようだった。
「お兄ちゃんは、ぼくのこと知っているの?」
「うん。一緒に冒険に出る約束をしたからね」
「冒険行きたい!」
ネイユがぱあっと笑う。
「大きくなったらね」
またあの日のように笑い合う。
「しかしどうして……ネイユを覚えておられるのですか?」
「これも精霊の導きなのかもしれません」
「そうなのですね……私がネイユを連れてきたのは他でもありません。かつて自分は選ばれたと思っておりました。しかし、私ではなかったのです。新たな風に吹かれる象徴は、ネイユにこそ相応しい」
「でも、サイカさんではなくネイユなのですか?」
「……サイカには、ネイユを支える者であって欲しいのです。あの子の“強さ”と、この子の“優しさ”があれば……きっと」
「そうですか……わかりました。ネイユはそれでいいの?」
「うん! ぼくはおじい様が悲しまないように、セイレイさんにお願いするの!」
「そうだよね……それはネイユにしかできないことだね」
「でしょ?」
得意げに笑う幼い少年が、きっと、この村の希望になるのだろう。
優しい風が僕たちを撫でるように吹き抜けた。
「あれ? なんでルクノウがここにいるの?」
先程まで得意げだった顔が、不思議そうにこちらを見つめる。
「……ネイユがこれからも強く歩んでいけるように、背中を押しに来たんだ」
「なんだよそれー」
ネイユは少し恥ずかしそうにしていた。
「おいおい、旅人の坊主じゃねーか。こんなところで何してるんだよ」
「サイカさん……お別れを言いそびれてたと思いまして」
「律儀なヤローだな。わざわざ気にする必要ねえよ。早く行かないとみんなにバレて、また宴が始まっちまうぞ?」
「……それはいい! サイカ、村のみんなに宴を……いや、“祭り”をすると言ってきておくれ」
ウジシャさんが何かを閃いたように明るく話す。
「なんでまた突然……」
サイカさんは少し困惑していたが、ウジシャさんの熱量に押されて、村のみんなへ伝えに行った。
「ルクノウ殿。偶然か何かの巡り合わせか。今日は風の精霊を祀る祭りの日なのです。異変以来すっかり廃れていましたが、感謝を忘れぬため、年に一度、この日に祭りを開くことにします」
「それは大賛成です。ぜひ参加させてください」
「ルクノウ……難しい話終わった?」
ポカンとした顔のネイユが僕とウジシャさんを交互に見る。
「ではルクノウ殿、祭りまでネイユと遊んでやってくれませんか」
「行こうか、ネイユ」
今度は僕たちも、祭りの準備を手伝った。
日が暮れ、祭りが始まる。
先日の宴とはまた違った様相で、祭囃子が鳴り響く。
「久しぶりだね。旅人さん」
朝に会った店主に声をかけられる。もう忘れることはないみたいだ。
「はい。お久しぶりです」
思わず笑みが溢れる。
「なんだか嬉しそうだね。そんなに祭りが楽しいかい?」
「すごく楽しいです」
「そうかいそうかい。それじゃあもっと料理を作らなきゃならないね」
腕まくりをしながら、厨房の方へと下がっていった。
「ルクノウ殿。此度はどうもありがとうございました。あなたが居たから、今のこの村があるのです」
「いえ、そんな、僕は大したことはしていませんよ」
「ルクノウ! 約束忘れてないよね?」
ネイユが割って入る。
「うん。いつか一緒に旅する日を、楽しみにしているよ」
「僕も楽しみ!」
とても和やかな時が流れた。
「では、また」
早朝、僕は出発することにした。
「本当にありがとうございました」
「気をつけてね!」
「王都でも元気でな!」
今度は、みんなに見送られながら。
追い風が吹いて草木を分け、道が開ける。まるで背中を押してくれるような風だった。
「……ありがとうございました」
多分僕の言葉は届かない。でも、今はただ感謝を伝えたかった。
また、風が髪を揺らし、頬を撫でた。でも足は止めないし、振り返らない。また会える。そう強く思えたから。
――見据える先は王都〈ルフトルディア〉
ここでも新たな風が吹く。
ここまでご覧いただきありがとうございます!!
次回は「王都ルフトルディア」のお話を。
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またのお越しをお待ちしております!!