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Episode 6〜風の囃子〜

「まさか……あんたは旅人かい?」


 あの日と同じく、ルクノウは酒場の店主に声をかけられる。


「はい。お久しぶりです」

「ん? 久しぶりだなんて……変な子だね。お前たち……」

「すまないね……私の客人なんだ」

 今にも叫び出しそうな店主を、村長――ウジシャが遮った。


 そこでルクノウはハッとする。


(どうして今まで名前を忘れていたんだろう)


「あら残念。村長に客人なんて珍しいね」

 そう言いながら、両脇に酒樽を軽々と抱え、店主は店へと戻っていった。


「……ルクノウ殿。聞きたいことがおありでしょうが、まずは我が家へお越しいただけますか?」



「ルクノウ殿は、カノン村から来られたのですよね?」


 ウジシャは席へ着くなり、話し始めた。


「はい。僕はカノン村から王都へ行く途中で、ここフウライ村へ」

「……ルクノウ殿は、精霊を見たことがありますかな?」

 ウジシャは矢継ぎ早に質問を続ける。

「……いえ、実際に精霊を目にしたことはありません」

「姿は見えなくとも、声を聞くことができるのでは?」

 ウジシャの語気が少し力強くなったのを感じた。それに加え、何かを急かすような口ぶりだった。


「……なぜそのようなことを聞くのですか?」


 ルクノウからの問いに、ウジシャは視線を落として、こう答えた。


「“カノンの使者より導きが在らんことを”」


 まるで、何かを唱えているかのようだった。


「この村に古くから伝わる書物に記された一文です。ルクノウ殿は、この村と精霊との誓いに気づいているのではありませんか? 私に課された“戒め”のことも」


 ウジシャは懺悔をするかのように視線を落として、目を伏せていた。

 ルクノウは返答に困り、二人の間に沈黙が流れる。

 

 ウジシャはしばらく俯いたままでいて、ルクノウからの答えを待っているかに思えた。

 しかし、現状を把握することに遅れを取った原因は、そこにあった。


 これはただの沈黙ではなく、祖先たちが現れる前の静寂とも異なる異質な空間。


 ウジシャは答えを待っていたのではなかった。

 ――時が静止しているようだった。


[選ばれし者よ、我らの導きに耳を傾けよ]


 声ではない、光に照らされるように浮かび上がる文字のような何か。

(あの石碑の時みたいだ……)


[違えた約束などない。一体誰が咎めようものか]


「……あなたはいったい?」

 ルクノウの問いかけに答えはなかった。

 一方的だが、自身に語りかけるような言葉にルクノウは耳を傾けるほかなかった。


[刹那の契約は、人間には重すぎたのだ。我々は、新たな風が吹くことを願う]


 暖かい風が吹き抜ける。

 ルクノウは、声の主が去ったように感じた。

 今の声の主は、風の精霊(シルフ)なのだろうか。


 ルクノウがふと我に返ると、ウジシャが落とした視線を上げていることに気づいた。

 今度こそ、答えを待つ姿勢をとっていたのだ。


「僕は、精霊に導かれてここへ来たようです」

「やはり……そうでしたか」

 求めていた答えだったのだろうか。ウジシャの顔には安堵の色が窺えた。


「精霊と直接的な会話をしたわけではありませんが……新たな風が吹くことを願っているようです。こうして再び僕がここへ来れたのは、きっとそういうことなのだと思います」


「しかし、“新しい風”となると、我々はどうすれば……」

「そのことなんですが、先ほども話に出た“古い書物”が鍵なのではないでしょうか?」

「古い書物……なるほど、少々お待ちください」

 ウジシャは何か考え事をした後、思い立ったように席を外した。


 ウジシャは書物を片手に戻ってきた。

 それと、幼い少年を一人連れて。


「ルクノウ殿は覚えておられないかもしれませんが……」

「ネイユ……ですね」

 ウジシャは、驚いている様子だった。

 無理もない。“戒め”によって何度も忘れ去られるところを見てきたのだろう。


「お兄ちゃんは、ぼくのこと知っているの?」

「ああ。一緒に冒険に出る約束をしたからね」

「冒険行きたい!」

 ネイユがぱあっと笑う。

「大きくなったらね」

 二度目の“初めての約束”をし、あの日と同じように笑い合う。


「しかしどうして、ネイユを覚えておられるのですか?」

「これも精霊の導きなのかもしれません」

「なるほど……私がネイユを連れてきたのは他でもありません。新たな風に吹かれる象徴は、ネイユにこそ相応しい」

「でも……サイカさんではなくネイユなのですか?」


 サイカの名を呼ぶルクノウに、ウジシャは少し驚く。


「……サイカには、ネイユを支える者であって欲しいのです。サイカの“強さ”と、この子の“優しさ”があれば、きっと」

「ネイユはそれでいいの?」


「うん! ぼくはおじい様が悲しまないように、セイレイさんにお願いするの!」


「そうだよね……それはネイユにしかできないことだね」

「でしょ?」

 得意げに笑う幼い少年は、この村の新たな希望になるのだろう。


 ウジシャがネイユに書物を渡すと、強くも心地の良い風が吹き抜けた。

 

 書物は呼びかけの道具でしかないのだろう。

 本来、契約の正しい手順などはなく、正き心こそ、風に守られるべき象徴であると、ルクノウにはそう思えた。


「あれ? なんでルクノウがここにいるの?」

 先程まで得意げだったネイユの顔が、不思議そうにルクノウを見つめる。


「おいおい、旅人の坊主じゃねーか! こんなところで何してるんだ?」


 まるで見計らったかのように、サイカが割って入る。

「……お別れを言いそびれてたと思いまして」

「律儀なヤローだな。わざわざ気にする必要はねえよ。早く行かないとみんなにバレて、また宴が始まっちまうぞ?」


「……それはいい! サイカ、村のみんなに宴を……いや、“祭り”をすると言ってきておくれ」


 ウジシャが何かを閃いたように明るく話す。


「なんでまた突然……」

 サイカは少し困惑していたが、ウジシャの熱量に押され、伝言を渋々快諾した。


「ルクノウ殿。偶然か何かの巡り合わせか。今日は風の精霊(シルフ)を祀る祭りの日なのです。異変以来、廃れていましたが、感謝を忘れぬため、年に一度、この日に祭りを開くことにします」

「それは大賛成です。ぜひ、参加させてください」


「ルクノウ……難しい話終わった?」


 ポカンとした顔のネイユが、ルクノウとウジシャを交互に見る。


「ではルクノウ殿、祭りまでネイユと遊んでやってくれませんか?」

「今度は用意を手伝わせていただきます。行こうか、ネイユ」

「うん!」


 日が暮れ、祭りが始まる。

 先日の宴とはまた違った様相で、祭囃子が鳴り響く。


「久しぶりだね。旅人さん」

 朝に会った店主にルクノウは声をかけられる。

「はい。お久しぶりです」


(もう誰も、忘れなくて済むんだな)

 そんなことを考えていると、ルクノウは思わず笑みが溢れる。

「おや? なんだか嬉しそうだね。そんなに祭りが楽しいかい?」

「すごく楽しいです」

「そうかいそうかい。それじゃあもっと料理を作らなきゃならないね」

 店主は腕を捲りながら、店の方へと下がっていった。


「ルクノウ! 約束、忘れていないよね?」

 ウジシャを連れたネイユが、ルクノウへと駆け寄る。

「うん。いつか一緒に旅する日を、楽しみにしているよ」

「僕も楽しみ!」


「ルクノウ殿。此度はどうもありがとうございました。あなたが居たから、今のこの村があるのです」

「いえ、そんな。僕は大したことをしていませんよ」


 ルクノウの目に映る祭りは、熱を帯びつつも和やかな空気に包まれていた。

 一期一会とは言わず、ずっと覚えていたくなる。そんな夜だった。



「では、また」

 早朝、ルクノウはフウライ村を立つことにした。

「本当にありがとうございました」

「気をつけてね!」

「王都でも元気でな!」

 送り出してもらうことがこんなにもいいものだと、ルクノウは改めて感じた。


「皆さんもお元気で!」



 追い風が吹いて草木を分け、道が開ける。

 まるで背中を押してくれるような風だった。

「……ありがとうございました」

 ルクノウの言葉はおそらく届かないだろう。 

 しかし、今はただ感謝を伝えたかった。


 風が髪を揺らし、頬を撫でた。

 今度は足を止めることもなく、振り返りもしない。

 また会える。ルクノウは強くそう思った。



 ルクノウの見据える先は――王都〈ルフトルディア〉

 ここでも新たな風が吹く。

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