Episode 2〜黄昏の鐘〜
────────
「……そんな迷信、いつまで信じ続けるつもりなんだ!」
“夕鐘の村”の会合に、一人の若者の声が響き渡る。
「あの鐘が俺たちを何かから守っているなんて、ただの幻想にすがってるだけだ! あんな耳障りな鐘はいっそのこと取り壊してしまえ!」
声を荒げる一人の若者――新たな村長は、改革を望んでいた。そんな村長の言葉に、会合に参加した者たちは、当然のように困惑していた。
「村長……あの鐘は、ご先祖様の代から続く大切な儀式でございます。毎日響く鐘の音が、村の平穏を保ってきたのです。どうか……どうかあの鐘だけは取り壊してはなりません。必ず後世へと守り継がねばならぬのです」
村の長老が若き村長を怯えながらも諭す。
しかし、村長はすがる手をはたき落とし、先人の訴えを遮った。
「その平穏が、どれほどの実りをもたらした?」
ただの若者のわがままであれば、この村の行く末は変わっていたのかも知れない。
「俺は変えたいんだ、この村を。もっと確かな利を求めるべきだ。土地も広大にある。古いしきたりに頼らずとも、この村はやっていける」
確かな信念を持った言葉は、会合に参加したものの心を突き動かした。
――それがすべての始まりだった。
先代の村長をはじめとした長老たちは、最後まで首を縦に振ることはなかったが、民意はそうではなかった。
鐘が櫓から降ろされることになったのだ。
鐘を鳴らすことのないよう縄は断たれ、鐘のある鐘楼は立ち入りを禁じられた。
村は、その日を境に静かな異変が始まった。
子どもたちが咳をこじらせ、何人かは言葉を発さなくなった。井戸の水が妙にぬるく、味が変わったという声が上がった。家畜が次々に病を患い、収穫も次第に減っていった。
「夕鐘を鳴らさなくなってから、何かが狂いはじめた」と、次第に若者の間でも囁かれるようになった。
「……こんなことは偶然だ! お前たちが怯えるから、そう見えるだけだ!」
若き村長は聞く耳を持たない――もう、後戻りはできなかった。
彼自身も、夜になると胸が苦しくなり、眠れない日々が続いた。
しかし、彼が誤ちを認めるには、失ったものがあまりにも多すぎた。
精霊との契りを違えたことで、日々の均衡が崩れたのだ。
そうして村は少しずつ、かつ確実に、干からびていった。
────────
「鐘を鳴らさないだけで、村は衰退したんですか?」
ことの顛末を聞いたルクノウは疑問を口にする。
『その“鐘”が、どれだけの力を持っていたと思う?』
オルガは小さな力こぶを作りながら問いかける。
「力……」
(僕が当時この村にいても、鐘の撤廃に疑問を抱けたのかな……)
『鐘の音がならないことで、“精霊との日々を収める”ことができない。つまり、精霊との生命のやり取りを終えられないということじゃ』
『もうルーちゃんならわかるでしょ?』
精霊と村人の営み。生命のやり取り。そこから導き出される答えは一つ。
「精霊は村人の生命……つまり命を得ていたということですか?」
『そう。それがこの村を襲った力であり、交わされた契りだったのよ』
『精霊が生命力を得ることに制限はなく、それらの悪意なき力は不治の病と化したのじゃ』
「それじゃあ、もうこの村の人たちは……」
『とっくの昔に滅んでいるわ』
オルガは淡々と答える。
「そんな……カノン村の“あの日”にも、こうなる道があったのかな」
『どうじゃろうな。精霊たちは時に無垢な牙を人に向ける。そなたらはよくやってくれておる』
『……ところで、ルーちゃんは明日何をするつもりだったの?』
「今日は出払っているようでしたので、また出直して話を伺おうかと……」
オルガへの返答に、ルクノウは自身の言葉の矛盾に気づく。
「あれ? もうこの村はとっくに滅んでいるんですよね?」
『そうね……でも“貴方”には人の気配がしたのよね』
オルガの声色が、不思議と大人びて聞こえた。
「どうして……」
『これが“綻び”よ』
「綻び……」
『“綻び”も様々じゃ。今回に関して言えば、過ちと後に引けぬ後悔に魂が縛られ、取り残されたのであろう』
『貴方にはその綻びを感じる力があるわ。力をどう使うかは貴方次第。きっと答えは貴方の中に』
ファウステルとオルガが顔を見合わせ、微笑む。
『導く者としての助言は以上じゃ。近いうちにまた会えるじゃろう』
「わかりました……僕、頑張ってみます」
ルクノウは戸惑いよりも、自身に課された使命を受け入れていた。
『ルーちゃんならできるわ! またね!』
火の粉がバチッと音を立て、時が再び動き出した。
「……これに慣れる日は来るのかな」
きっと祖先たちは、今もどこかからルクノウを見守っている。
ルクノウは少し考え、明日もう一度村を訪れはことにした。
朝になると、昨日感じた違和感がいっそう増していた。
「これは……一体……」
“人の気配がする”という以前の問題だ。洗濯物が風になびき、そこかしこから香ばしい煙が立ち、食事の匂いが漂う。
歪な光景が広がる中、依然として人影は見当たらない。もちろん、声も一切聞こえていなかった。
「急がないと……」
何故かこの状況のままではいけないという思いに駆られた。そう直感が告げていたのだ。これも“選ばれし者”としての力なのだろうか。
ルクノウは頭で考えるよりも先に、昨日見た鐘のある場所へと足を運んでいた。
「……昨日は錆びていたよな」
そこには――黄金に輝く鐘が掲げられていた。
「私が間違っていたのだ……すまなかった……」
どこからともなく声が聞こえた。初めて耳にする声が。だが、誰も見当たらない。
「私が間違っていたのだ。若さと自信に酔い、改革こそが正しいと信じて疑わなかった。すまなかった。村を、皆を、守れなかった」
また同じ声が、風に乗って耳元へ届く。
(改革……もしかして……)
ルクノウは、昨日ファウステルから聞いた話を思い出していた。
「もしかして、あなたは“夕鐘の村”の村長さん……ですか?」
空へと問いかけるが、返事はなかった。
「願わくば、また皆で安寧の地を築き上げたい……」
これは独白だ。ルクノウに語りかけているのではなく、魂の残穢なのだろう。ルクノウにはそう思えてならなかった。
「……その願いは、きっと届くはずです」
ここに縛られていたのは、なにも村長一人だけではない。結果はどうあれ、多くの村人が若き村長に希望を見出し、共に歩んできたはずだ。そして、これからも。
(今、僕にできることは……)
「この鐘を鳴らせば……」
昨日のほつれが嘘のように、縄は凛々しく伸びていた。
ルクノウは縄を両手で掴み、力一杯に大きく振って鐘を響かせた。
それは“夕鐘”に相応しい綺麗で荘厳な音色を奏でる。
「……ありがとう」
感謝を告げる声がした。ルクノウには、願いの叶った者の声に聞こえた。きっとどこかで安寧の地を築いていることだろう。
村は黄昏に包まれた。
光の粒が黄金に輝く鐘を、いっそう暖かく照らす。
触れることのできない光の粒は、ルクノウの背中を押すように宙へと舞っていった。
どこまでも高く登る光を、ルクノウは目で追っていた。
「どうか、安らかに眠れますように」
祈るよう目を瞑り、手を胸に当てて俯く。
しばらくしてから顔を上げると、そこに村はもうなかった。
まるで最初から何もなかったかのように、森と野の景色が広がっているだけだった。
だが、すべてが消えたわけではない。
足元に目を落とすと、一輪の花が咲いていた。純白の花びらを纏い、控えめに俯いている。
それは――鐘の形をしていた。
どこまでも澄んだ空の下、風がやさしくルクノウの頬を撫でていく。
風に靡いた一輪の花からは、ささやかながらも凛とした、祝福の鐘の音が聴こえた。




