Episode 22〜神のみぞ知る真実〜
ご覧いただきありがとうございます。
本作につきまして、今後「全編改稿」を予定しております。
Episode 22は、そのひとつの試みとして、今後の方針を反映させた視点(地の文)の書き方になっています。
内容も少し変化したつもりです。
読みやすさも含め、ぜひ感想やご意見をお聞かせくださると幸いです。
ではでは、ごゆるりと。
「お久しぶりです。いや、まだ二日しか経っていませんね。王都へ来てから目まぐるしくて……」
宿屋での会話から、それほど日は経っていないはずだった。
しかし、ルクノウには随分と長い時が過ぎたように思える。
何が何だか分からない状態に陥るほどに。
――“始まり”を観たからだろうか。
『ふふっ。そうですね。あれから多くを知ったことでしょう』
イレーネは柔らかく笑った。
光に照らされたその姿は神々しく、淑やかでもあった。
「宿屋で教えていただいた“始まり”を知りました」
『ルクノウさんなら大丈夫だと思っていましたが、その様子を見るに、長い時を観てきたのですね』
その言葉がルクノウの胸に引っかかる。
あの宿屋でも最後に交わした“大丈夫”という言葉を。ルクノウはその意味をいまだに理解しきれずにいた。
「その……僕なら“大丈夫”というのは?」
『ただの慰めの言葉ではありません。あなたなら、得たものを必ず糧にできる。そう思ったからこその言葉です』
ルクノウは胸の奥で、何かがふっと温かくなるのを感じていた。あの“大丈夫”は、慰めではなく期待だったのだ。
知らずのうちにこの言葉に救われていたのかもしれない。
『ルクノウさんは今回のことで、何か得られましたか?』
ルクノウは、自身が観てきた景色や出来事、それらを含めて一つの答えに辿り着いた。
「“円卓の七賢人”の皆さんは、“エイカシア”なのですね?」
王立図書館の一角は、普段の喧騒を忘れたかのように静まり返っていた。
ルクノウとイレーネ、二人だけの空間。沈黙が一層深く落ちる。
『はい。私たちはエイカシアを“与えられた”者たちです』
「与えられた? エイカシアは一族の姓ではないのですか?」
『そうですね……ルクノウさんは“声なき声”に導かれたのではないですか?』
――“声なき声”。その正体に、ルクノウは思い当たる節があった。
「“マルガタクトの導き”という書物に触れたことで、僕は始まりを“観る”ことができました」
イレーネは少し考え込むように俯いた。
その姿は、ルクノウにはどこか珍しい光景に見えた。
『“マルガタクトの導き”という書物は聞いたことがありませんね。私はてっきり、“アルカナン森記”によってもたらされた結果かと思っていましたが……なるほど、今回は神の悪戯ということでしょうか』
勝手な神がいたものだと、ルクノウは胸の内で呟く。
しかし、イレーネの真剣な眼差しに触れた瞬間、その雑念は霧散した。
『もうお気づきかもしれませんが、“声なき声”の主はマルガタクト。御方はこの世界を創造した神です』
やはり――ルクノウの推測は間違っていなかった。だが、なぜ神が自分にあの景色を見せたのだろうか。
「僕は……“エイカシア”なのでしょうか?」
辿り着いたはずの答えを、ルクノウはあえて問いかける。
だが、返ってきたのは意外な言葉だった。
『そう……とは言い切れませんね。あなたは力を与えられていない。生まれながらにその力を持つ者……とても稀有な存在なのです』
ルクノウは思わず言葉を失う。
自身について、分かっていることなど少ないのではないのだろうか。
『私たちは、神と邂逅した時に名を授かりました。私は……忘れ得ぬ夜に、その声を聞いたのです』
ルクノウは息を呑む。
イレーネはわずかにルクノウから視線を逸らす。その眼差しに、微かな影が差していた。
『……いえ、今はまだ語るべき時ではありませんね。大切なものを失った夜もありました。それでも、時は流れ、心は少しずつ和らいでいくのです』
そう言うイレーネの声は、悲しみではなく、深い静けさを湛えていた。
今は踏み込むべきじゃない。
そう思ったルクノウは咄嗟に言葉を紡ぐ。
「神の声を聞いたとき、僕は“ある家族の幻”と“建国の歴史”を見ました。あれは一体……?」
『それは“記録”の追体験でしょう。神が見せるものは幻ではありません。過去に確かにあった出来事を映すのです』
「じゃあ、あの二人……ファウステルさんとオルガさんは、実際にあの場にいたのですね」
『ええ。あなたがどこまで見たかは推しはかりかねますが、私が聞いた話と同じであれば、きっとお二人の功績そのものなのでしょう』
「聞いた話?」
『私がエイカシアとして名を連ねた時、初めてファウステル様にお会いしました。その際、彼が抱える苦悩を打ち明けてくださいました』
森記にも記されていた罪の意識のことだろうか。
『ですが、私も含め皆、そうは思わないのです』
「というのは?」
明後日の方向を向いたイレーネは、何かを思い出すように続けた。
『“あなたが原初で本当に良かった”と、心からそう思っているのです』
ファウステルが“祖先”だからエイカシアとして過ごさなければならないのではない。
ファウステルの“子孫”として、自ら選ぶ力を持ち、その力で道を選び抜く。
後悔を跳ね除ける他の賢人たちはそう考えているということを、ルクノウはイレーネから教えられた。
ルクノウはその言葉を胸にしかと受け止める。
言葉のひとつひとつが、選び抜く力として静かに贈られ、自分の意思で道を選ぶ責任と希望を改めて感じさせられた。
心の奥底で、未来への覚悟がしっかりと芽生えていくのを感じた。
「確かに、あなた方に会えたからこそ僕にも生まれた出会いがあります。それはとても尊く、大切にしたいと思います」
『やはりあなたが八人目で……いえ、選ばれし者で良かった』
“選ばれし者”――何に選ばれ、何を選択すべきか、謎に包まれた言葉でルクノウの胸は不思議な感情にざわつく。
「オルガさんも、ファウステルさんから“真なる選ばれし者”と言われていました。この“選ばれし者”というのは?」
『簡単にいえば、“世界”に選ばれた者ということです』
「世界に?」
ルクノウは今まで、自分は七賢人から選ばれたのだと思っていた。
『ルクノウさんでいうと、我々七賢人に選ばれたのではなく、世界に必要とされた力を有するという意味です』
「でも、エイカシアであるファウステルさんは、自分が選ばれし者ではないと言っていました」
『必要とされていないのなら不要だ。という簡単な話ではありません。あなたや私を導いてくださるファウステル様は、我々にとって、とても必要な存在です』
昔、母が似たような話をしていたことをルクノウは思い出した。人には人の役割があるのだと。
『誰しも“役割”を持って生まれてきます。ですが、その役割にどう気づくかは自分次第で、各々の影響が直接世界に及ぶか、別の誰かに及ぶかは天命を全うせねば分かりません』
「エイカシアもその役割の一つ……ということですね」
『そうですね』
イレーネは穏やかに微笑む。
『ファウステル様はこの“役割”を強要したと悔やんでいます。そんなことはない、とルクノウさん自身がそう思うのであれば、ぜひお伝えください』
「はい。今の自分があるのは、ファウステルさんを含む、皆さんのおかげです」
『まあ、既にどこかで見ておられるかもしれませんがね』
「え?」
『ふふふ』
『余計なことを言うではないわ』
噂をすればというやつだろうか。
「ファウステルさん!」
『ふぉっふぉっふぉ。そんなに驚くことかのお?』
顎髭を撫で、少し豪快に笑うその様子は、若かりし頃の面影を残していた。
『イレーネも悪かったの。そなたにここまで言わせてしまえば、原初としての名が泣くわい』
『いえいえ、我々はいつでもあなたを敬愛しております』
照れ臭さを感じさせる瞳は、光を帯びて未来を見据えていた。
『それで、どうじゃった? そなたは何か得られたかの?』
「はい。僕はまだエイカシアではないのかもしれません。ですが、エイカシアと共に歩むものとして、この世界を見届けたいと思います」
『そうじゃな。その意気じゃ。その目こそ、エイカシアに相応しい者の目じゃ』
ルクノウは深く頷き、心に決意を刻む。
視線を上げようとした瞬間、目の前には誰もいなかった。
一瞬の沈黙の後、図書館は元の賑やかさを取り戻す。
図書館を包んでいた静けさは、祝祭の喧騒にあっけなく呑み込まれていった。
ルクノウが周囲を見渡すと、どこか異彩を放つ一人の人物がこちらを向いて歩いていた。
古めかしいローブに身を纏い、顔は見えないが、少し華奢な背格好をしていた。
そして、仕草なのか佇まいからなのか。
ルクノウは、その人物から目が離せないでいた。