Episode 18〜軌跡の光〜
宿の窓から夜風が吹き込む。
ブチネコ亭から、賑やかな声がかすかに聞こえてくる。
「王都に来てもう4日か……」
たった4日でも、僕の心には色濃く残っている。
ここで多くの人に出会った。みんないい人たちだ。王都に着くまでの出会いもそうだ。
「ネイユたち元気にしてるかな……ノールさんも、無事にカナン村についたのかな」
そんな風に物思いに耽っていると、いつの間にかウトウトとし始める。
記憶の断片を思い浮かべながら、まぶたが重くなっていき、夢に入り込むようにそのまま僕は眠りについた。
翌朝、裏の浴場で軽く汗を流す。浴場は目覚めを優しく促すように、朝の光に照らされ、湯気がゆらゆらと立ち上っていた。
汗を流した後に、ブチネコ亭で朝食をとる。いつもの流れだ。
カランカラン
「おはようございます」
「ルーくんおはよ。今日は肉まんにする?」
「……お願いします」
「ふふふ。ほら座って座って、すぐ用意するわね」
王都へ来てすぐ、あの日惹かれた香ばしい匂いが漂ってくる。
楽しみにしていたからか、心なしか一回りほど大きく感じた。
一口食べた肉まんは、やっぱり刺激的な味だった。
「美味しい……」
こんなにも沁みながら食べるものではないと分かっていても、全身で味を噛み締めずにはいられない。
カランカラン
「ルクノウくんいる?」
「あ、リエーフさん。おはようございます」
「噂の肉まん? 今食べ始めたところならゆっくりでいいよ」
「いえ、すぐ食べ終わるので」
「そう? じゃあ外で待ってるね」
迎えに来てくれた人を待たせるわけにはいかないので、急いで平らげた。
「じゃ、行こうか」
「今日もよろしくお願いします」
荷馬車に乗せてもらい、僕たちは王立図書館へと向かった。
「昨日と同じくらいの時間に迎えに来るよ」
「ありがとうございます。では、行ってきます」
手を大きく振るリエーフさんに送り出されて、王立図書館に歩き出した。
「おや、また今日も来たんだね」
王立図書館の扉の前に、昨日と同じ兵士が立っていた。昨日よりも早い時間だったけど、扉はもう開いているようだ。
「おはようございます。昨日の続きを読みに来ました」
「そうかい。今日は利用者が多いと思うが、ゆっくりしていくといい」
この区画を、王女が乗った例の馬車が通るらしく、それまで休憩がてら利用する人が多いそうだ。これもまた祝祭の名物だとか。
街行く人の少し浮き足立つ雰囲気がこちらにまで伝わってくる。
(今日ここで勉強しようとは思わないか……)
僕は兵士に会釈をして、王立図書館の扉をくぐり抜けて、中へと進んだ。
聞いていたように、確かに今日は人が多い。
利用者の服装も昨日とは異なり、どこか輝いて見えた。昨日感じた蔵書の匂いは消え、華やかな香りが入り混じっている。同じ場所にいるはずなのに、全く異なる施設に入ったと錯覚するほどに別世界のようだった。
「あの……」
「あ、ちょっと待っててくださいね! 別のものを向かわせますので!」
司書とのこの会話を、数回繰り返した。
司書も対応に手一杯といった様子で、昨日の男性も見当たらない。
ある程度流れが収まるまで、見つかる訳がないと思いながらも、一人で“アルカナン森記”を探すことにした。
壁一面の本棚に、ずらりと並ぶ背表紙を軽く見渡す。歴史書や偉人伝、物語の記されたものまで様々だ。
もちろん見つかるわけもなく、途方に暮れながらも無意識に背表紙を横になぞる。
ふと、目に留まった本を手に取った。
“アルカナン森記”のような装丁で、奇跡的に見つかったものかと思ったが、全く別の本らしい。
深緑に染められた革に包まれており、表題が淡い黄色で刻まれている。
――“マルガタクトの導き”
頭上の絵画と静かに共鳴しているかのようだった。でも、アルカナン森記に比べれば、厚みは薄く、待ち時間に読むには手頃に思えた。
窓からキラキラと輝く粒のような光が差し込む。衣服の埃とわかっていても、この場所では幻想的に見えた。
差し込む光の先に、昨日と全く同じ席が空いていたので、そこで読むことにした。
表紙を捲ると、見たことのない円形の紋章が描かれていた。
“描かれていた”というよりは――“血塗られていた”ようだった。
書き殴られたような筆圧と、血痕のように見える不思議な模様に、戸惑いを隠せず僕は次のページへと進めないでいた。
模様は、手を合わせた人にも、枝木を広げた大木にも見える。その上に、王冠が添えられていて、陰影のせいか、光が差し込んでいるようだった。
――本が突如、淡い光を放った。
あの日、石碑に触れた時のような淡い光だった。
次第に本は光を強め、周りの一切を包み込もうとした。
僕は慌てて周りを見渡すが、利用客は光に驚くどころか、僕が急に振り返ったことに怪訝そうな顔を向ける。
「あ、すみません……」
(他の人にはこの光が見えていないのか?)
そんなことを思っていると、あっという間に光に視界を塞がれた。
【ついに、見える時が来たのだな】
声のようで、声ではない何かが僕に語りかける。
まるで、闇の中に白く浮かび上がる文字が、視界を支配するようだった。
僕が意識を“声なき声”に向けた瞬間、辺りを包んでいた淡い光が収まった。
――僕は王立図書館ではない別の場所に立っていた。
一面の本――ではなく、一面の緑が広がる。目の前にはどこか見覚えのある景色が広がっていたが、ある違和感を覚える。
絵画を水で濡らしたように、あたり一面の色彩が淡く、そこに佇む僕だけが切って貼られたように浮いていた。
肌を伝うはずの空気はなく、音も匂いも遠ざかっているように感じた。
「王立図書館の中……ではないよね。どこかの森なのかな?それに、さっきの“あれ”は……」
【汝に“記録”を見せよう】
石碑の時とも、精霊の言葉とも異なる確かな意志を持っているように思えた。
その“声なき声”に応えるように、色彩が輪郭を取り戻すように鮮やかになっていく。
足元の緑は、青さを取り戻し、森特有の湿気や草の匂いが鼻をくすぐる。
木々の囁きや鳥の囀りまでもが、息を吹き返したように僕を包む。
すると、風に乗って誰かの話し声が耳元まで届く。柔らかくも優しい話し声だった。
声のする方に目を向けると、そこには――見知らぬ親子の後ろ姿があった。