Episode 17〜心灯る夜〜
カランカラン
ブチネコ亭の扉のベルが鳴る。
ニャー
そう鳴きながら、看板猫が足元に擦り寄ってくる。
「こんばんは、チャイ」
今日もチャイに迎え入れられて、少し嬉しくなった。
「ルーくんいらいっしゃい! エリーフさんも」
「こんばんは、アシュリさん」
「私はついでかい? 席は空いているかな」
夜は酒場としても営業しているので、朝と比べれば人の密度が高い。
「フフっ、カウンターなら空いてるわよ。相席になるけどいいかしら?」
そう言いながら微笑むアシュリさんの目線の先には、ロンさんとイプシィさんがいた。
「それで、今日の成果はどうだったんだ?」
右隣に座る少し顔の赤いロンさんが僕に聞く。もうすでに商会の方達と数杯呑んだ後だったそうだ。
「森のことも少しずつわかりそうなんですけど、また明日も行こうかと……」
「まあ道中の心配はしなくていいよ。私が責任持って送り届けるからさ」
隣に腰掛けるエリーフさんに優しく左肩を叩かれるが、本当に頼りっきりで申し訳なくなる。
「そうか、エリーフなら安心だな。まあ祝祭が終わる頃に間に合えばいいが」
「そうですね……毎回送っていただくわけには行かないですし、なにより薬草も売りにいく時間も取らないと……」
「あ、薬草なら我々が買い取りましょうか?」
ちびちびと料理をつまんでいた手を止めて、イプシィさんが割って入る。食事の時は案外無邪気な顔をするんだなと思った。
「おお、そういえばそうだよな。ルクノウ、まだ売り先が決まってないならうちの商会に売ればいい。その辺の店より高く売れるぞ」
ドラルド商会は“現地調達現地直送”が売りらしく、仲介の問屋が介入しない分、高く買い取ってもらえるそうだ。それに、保存の効く薬草は旅先では特に売れ行きが良く、さらに上乗せもしてもらえるとか。
「え、いいんですか?それなら早速宿に置いてある袋を取りに行かないと」
立ちあがろうとする僕を止めるように、イプシィさんが声を張る。
「それでしたら! ……コホン。また後日エリーフさんに渡していただければお支払いいたしますよ」
「……何から何までありがとうございます」
「いえいえ、お気遣いなく」
僕はまた席にに戻って食事を取ることにした。
「お待ちどうさん。“大地のプレート”だよ」
いい匂いと一緒に、どこか聞き覚えのある声がした。
「あれ、“肉まん”の……」
顔を上げると、そこにはあの屋台のおばあさんが立っていた。
「あら、あの時の“丁寧な子”じゃないの」
「丁寧な子? おばあちゃん、ルーくんを知ってるの?」
「この子が噂のルクノウくんかい。どうりでどこかで見た顔だと思ったよ。肉まんは美味しかったかい?」
僕に笑いかけるこの人は、どうやらアシュリさんのおばあさんだった。
言われてみれば、笑った時の優しそうな目尻がそっくりだ。
「とても美味しかったです。お金があったら毎日でも食べたいくらいに」
「そうかいそうかい。実はね、この店で朝に食べれば銅貨二枚で食べれるから、この子に頼むといい」
仕事に向かう男手に向けた、朝食の割引だそうだ。旅人の僕がこの施しを受けるのはどうかとも思うが、正規の値段にケチをつけるわけにもいかない。早速明日、調べ物の腹ごしらえにしようと決意した。
「そんなに気に入ってもらえて嬉しいよ。代わりといっちゃなんだけど、今はこのプレートをたんとお食べ」
先ほどからいい匂いがしているこの“大地のプレート”だが、その名の通り、大地の恵みの盛り合わせである。
なんといっても一番の目玉は、牛のステーキだ。
厚く切られたステーキ肉から肉汁が溢れ出し、そこにキノコ類や野菜が浸されるように並んでいる。なんとも食欲を満たす褐色の輝きを放つ。
「い、いただきます!」
「ルーくんは本当に美味しそうに食べるよね」
「たしかに幸せそうな顔をしているね」
アシュリさんとエリーフさんに見つめられたので、逃げるようにロンさんの方を向いた。
「おいおい、俺の方を向くなよ」
ロンさんが優しく笑いかける。それに釣られるように僕たちは笑った。楽しいひとときを過ごした。
「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。何か飲み物を出そうか?」
「いえ、もう宿に戻ろうかと」
「なんだよ、今日は付き合えよ。よっしゃ、マウラさん! ルクノウとイプシィに果実油の炭酸泉割りを! ルクノウは初めて飲むと思うが、入浴用じゃねえから安心しろ」
空いたお皿を下げるマウラさん――アシュリさんのおばあさんに、ロンさんが注文をした。
「あら、私には何もないの?」
「んだよわかったよ……エリーフには果実油の炭酸泉割りを一つ!」
「やったあ!」
二人はいい感じに酔いも回り、それに釣られてみんな少し明るいみたいだ。
「フフっ、賑やかでいいわね」
アシュリさんはそう言い残し、洗い物をするために裏に下がった。
「はいおまちどうさん」
マウラさんが持ってきた“それ”は、水の入った小さな木樽とは異なり、透明な容器――最近王都で作られた“グラス”というらしい――に注がれていた。
一見果実油のような液体に目を凝らすと、小さな泡が絶え間なく立ち上る。
水面を弾けるようなその泡を一口運ぶと、驚くことに口の中でも弾けだす。果実油の芳醇な香りを爽やかにして喉を通る。
「どうだ、うまいだろ? まあうまいって顔に書いているがな」
また顔に出ていたみたいだ。
「果実油は村でもありましたが、こんな感覚のする飲み物は始めてです」
「“森の恵み”には勝てないかもしれないが、うちの炭酸泉との合作はなかなかにいけるんだよ」
ロンさんの得意げな顔に、どこか誇らしさが混ざっているように見えた。
両隣から、プハーという声が聞こえてくる。
「やっぱり、この味が好きだなー」
エリーフさんがしみじみとグラスを見つめて呟く。
「これで一日の疲れも吹き飛ぶってもんだ」
ロンさんがエリーフさんに同調するように笑う。
この光景の中に、自分もいられることが、なんだか少し誇らしい。
僕はそっと、飲み干したカップを置いた。
「兄たちは私が見ておくので、そろそろ戻られますか?」
ひと段落ついた僕を見て、イプシィさんに声をかけられる。
「そうですね……お言葉に甘えてそうさせていただきます」
明日に備えて宿に戻ることにした。
「またご一緒させてくださいね」
帰り際にイプシィさんと握手を交わす。2人とも、隣の人の酔いが移ったのかもしれないと笑い合う。
でも、今日はきっといい夜だった。
とても暖かい気持ちで眠りにつけそうだ。
「炭酸湯にでも入りに行こうかな」
そう呟きながら、僕はブチネコ亭をあとにした。