Episode 16〜アルカナン森記〜
“アルカナン森記”は誰かの手記のようだった。
表紙に著者名が記されていなかったので、誰が書いたのかは今のところわからない。内容は所々難解で、歴史書のようでもあった。
でも、読み手に語りかけてくるような、そんな熱のこもった文章だった。
時間を忘れて読み進めるうちに、およそ半分というところまできた。読むことに夢中になっていた自分に、ふと驚く。
館内を歩いてきた方に目をやると、開いた扉がうっすらと見える。辺りは茜色に照らされていた。
この“アルカナン森記”の中で、気になる節がいくつかあった。
――特にこの三つ。
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【アルカナン森記】
かのもの、あまねく声に耳を傾け、されど世界は流れゆく。
渦中に佇む影は、世界を平和へと導くのか。
はたまた、破滅か。
選び抜いた者のみぞ知る結末に、御方は何を思われるか。
――アルカナン森記 第一節 森の黎明
始まりの地は“アルカナンの森”平原。
そこに芽吹く小さな部落に光が灯る。
誰も予期せぬ突然の出会いであった。
未だにこの出会いが正しいものなのか、過ちであるのかは胸の内に問うても答えは見当たらない。
御方との邂逅を経て力を得た私に、“聖霊”によって聞き届けられた声が、とある選択を迫る。
お前は秩序か混沌のどちらを選ぶのかと。
“聖霊”が私に提案したのは、“精霊”との棲み分けであった。
だがそれと同時に、閉ざされる未来や、切り離される未来も存在するという。
この世界の行先が、“消えゆく未来”でないのならば、一つの道を選ぶほかない。
選択によって招かれる結末は、永劫に等しい時を流れてもなお、誰にもわからぬ、まだ見ぬ先の話である――
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ただ一人によって、森は姿を二分する。
――アルカナン森記 第五節 森の乖離
こうして、数々の協力を経て王都ルフトルディアを築き、世界は遂にその時を迎える。
我々は、アルカナンの森を混沌から秩序へと変えるべく、二つの名を授けた。
――襉凪と奏耀。
名を授けるということは、その名が意味を成す役割を与えるということ。
“襉凪”は、精霊が棲まう地として、かつてのアルカナンの森の面影を残し、人々は精霊の加護の元に、清らかな命を紡ぐだろう。
“奏耀”は、人々に光が射す地として、精霊の干渉は次第に薄れゆく。だが、人々にとって新たな時代を迎えることとなるだろう。
さらには、アルカナンの森が小さな村として姿を変えた。
思わぬ未来であったが、これもまた世界に必要な過程なのだろうか。
新たな姿となった村は、私の始まりの地である“あの祠の石碑”に記録の一部を遺し、いずれ満ちる時に備え、眠りにつくだろう。
私はこれから歩まねばならない。
この身に流れる罪深き血を清算するために。
それが贖罪の代わりになるのであれば。
決して許されざる業の深さを拭うことはできない。
他の誰が許そうとも――
だが、この世を選んだのは他でもない私自身である。
選び抜いた者の使命を果たすべく、運命の元に脈々と流れるであろう血縁を辿り、我々は導かねばならない。
今が遥か昔となる頃に、世界はどう移ろうているだろうか。
私は未だ自らの行いを問い続けている。
この問いに対して、答えは見つかるのであろうか。
今もなお深く眠る“彼女”のために、どうか秩序と安寧の世が、変わらぬままであることを祈る――
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あれは夢か。はたまた現実か。
あの日、石碑が私を選んだのだ。
声なき声が私に問いかけ、答えを迫った。
――アルカナン森記 第七節 森の意志
思えば、私の選択は犠牲の上で成り立つ平和であった。
だが、彼女を眠らせることが、世界を救う唯一の道だったと信じている。
いや、そうでなければならないのだ。
彼女の意思を尊重したことに後悔はあってはならない。
この眠りは犠牲ではないと、強く前へ進んだ彼女を誇りに思う。
私は、選ばれた。
ただ、それは“選ばれし者”としての使命に過ぎなかった。
本当に選ばれるべきは、彼女だったのだ。
世界が求めたのは、私の力ではなく、彼女の“在り方”だったのだ。
我が血を継ぐ者たちよ。
使命を背負う宿命は、誇りか、それとも――
ああ世界よ。
いずれまた誰かが、貴方と対峙する時が来るだろう。
その時こそ彼女の、いや、我々の意志を、真に問うがいい。
――エイカシアの名の下に。
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“彼女”とは一体誰なのか。
――“エイカシア”なのだろうか。
それとも、この著者こそがエイカシアなのか?
でも、“エイカシア”という名前にしては内容に少し違和感があった。
どこか“役割”のような、そんな違和感が。器とは一体……
この本の著者が意味する罪とは?
僕と同じで、綻びに対しての罪の意識だろうか。不思議と他人ごとには思えなかった。
はっきりと“線”にはならない“点”がいくつも漂っているようだった。頭に浮かぶこの仮説は、まだ仮説の域を出ない。
――“円卓の七賢人”と“エイカシア”の関係性について。
(読み進めることで核心に迫れるといいけど……)
どこか晴れない気持ちを抱きながら、また明日来ると伝え、先ほどの男性に預ける。
「では明日、お待ちしておりますね」
「……ありがとうございます」
彼の表情が一瞬読めなかったが、にこやかな顔で手を振って送り出してくれた。
門兵に一礼をし、扉をくぐる。
道の向かいにエリーフさんの乗る荷馬車が見えた。
「浮かない顔をしているね。まだまだ調べたりないって感じかな?」
「はい……なので、明日も来ようかと」
「じゃあ明日も送って行ってあげるよ」
「いやいや、それは悪いですよ。ここまで歩いて1時間もかからないでしょうし、僕1人で……」
「いいのいいの! こういう時は素直に甘えるもんだよ。それに、祝祭が終わるまでは私の出番はないから暇なのよ」
エリーフさんは会計頭で、表立って商売をするのは基本的にドラフさんなのだそう。
だからと言ってこんなにも甘えていいものなのか。
「もー! ルクノウくんはまだまだ子供なんだから、大人に甘えることも特権だよ」
「そう……なのでしょうか」
「そうそう。歳の割に達観してるところあるよねー。今夜はブチネコ亭でパーっとしちゃいましょ!」
エリーフさんはそう言うと、ブチネコ亭へと荷馬車を走らせた。