Episode 15〜ルフトルディア王立図書館〜
――王都へ着く前に一望した、丘からの眺めを思い出す。
街を囲むように聳え立つ塀に追随するほど、高く積まれた白色の“それ”は、一見王城のようだった。
けれど、“君臨する”という表現がぴたりと当てはまる建造物が目に入った時、“それ”は王城ではないとわかる。
王城は天に届きそうなほど高く、あまりに堅牢で、ひときわ優美であり、他とは一線を画していた。
しかし、“それ”もまた異彩を放つ。
――ルフトルディア王立図書館。
左右対称に組まれた白い石畳の造りに、掲げられた深緑の布が、風に靡いていた。
その中央には、金で象られた、冠を戴く女性の幻影。その姿は人のようでありながら、足元は渦のように、細く唸っていた。
ここ王都ルフトルディアの象徴たる“紋旗”である。
この紋旗が靡くことを意味するところ、王族の所有物であると他ならない。
王立図書館はその名の通り、近衛兵が王族の次に厳重な警備を敷いている場所であり、重要な書物が眠っているとされる。ただ、古くより“本は自ら選びとるもの”という王家の理念のもと、王都の民や旅人でも自由に利用することができる。 これもまた王族の威光でしか成せないことなのだろう。
「何か調べ物かい?」
扉の前で立ちすくんでいると、門兵と同じ格好をした兵士に話しかけられる。
王立図書館に迎え入れてもらうには、この家屋ほどの大きな扉をくぐらなければならない。
「……せっかく森から王都へ来たので、一目見ておこうかと」
「そうかい、君も物好きだね。今は祝祭真っ只中だろ? この時期にここを使うのは、学者先生くらいさ。利用者よりも司書様のほうが多いほどだ。なにより君が今日初めての利用者だから、こうして扉も閉まっているわけだ」
今日は一つ隣の区画を、“あの馬車”が通るらしく、人の流れはほとんどない。どこか申し訳ない気持ちもするが、こればっかりはしょうがない。
「すみません。わざわざ開けていただくことになってしまって……」
「いやいいんだ。誤解を招く言い方をしてしまったね、私も本は好きだ。君も好きなだけゆっくりしていくといい」
目元だけしか見えないけれど、とても柔らかい表情をしていた。
「危ないから少し下がっていてくれ」
「あ、はい」
言われた通り、数歩下がったところで立ち止まる。
「では、開門!」
兵士の号令に答えた扉が、重々しい音を立てながらゆっくりと開く。
どういう原理で開いているのかはわからないが、開いた扉の向こうに人はいなかった。
「ようこそ、王立図書館へ」
兵士の一声で疑問も忘れるほどに、ふわりと、インクと皮の混じった、書物の心地よい香りに包まれる。
「すごい……これが王立図書館」
見たこともない蔵書の数に圧倒される。
中は図書館というよりも城だった。壁一面には背表紙がびっしりと並んでいる。今見える範囲でも相当な数だが、まだ奥へと道が続いており、外からの様子だとこの部屋があと数部屋はあるだろう。
(これは僕1人で見つけるのは無理だな)
この先の苦労を思って、少し苦笑いを浮かべた。
ところどころに移動式の階段が設置されており、それを使って本の掃除をする司書の姿が見えた。
司書だと一目でわかるのは、佇まいからか。それとも見慣れない衣装からか。
おそらく両方だろう。
昨日王女を見ていなければ、王族と見間違えたであろう衣装を身に纏っていた。
丈は長く、白を基調とした外套を縁取るように金色の線が輝く。
憧れを抱かずにはいられない佇まいだった。
ふと天井を見上げると、そこには幻想的といえる絵が一面に広がっていた。頭に王冠を乗せた長髪の男性がひざまづき、男性が敬意を示す先には神々しくも凛とした様子でローブに身を包む人物が立っている。
(……あれ、戴冠って普通は逆じゃなかったっけ?)
「あの絵は“マルガタクトの使者”と言ってね……」
背後から穏やかな声が届いた。
「ひざまづいているのが、次の王となられるお方。今の形式とは逆に見えるだろが、いわば当時の戴冠式のようなものだったそうだよ」
声の主は一人の爽やかな青年だった。度の強い瓶底のメガネに目元を切り取られたように見えるが、整った顔立ちをしていた。
「……ここは別名“知の神殿”とも呼ばれる場所なんです。かっこいいでしょ?とはいえ、堅苦しい場所ではなく、ただの図書館。そう構えないで大丈夫ですよ」
キリッとした顔立ちになった男性は、司書然とした振る舞いだと思った。
「……そう言われましても」
「ハハ。まあそのうち慣れますよ。それで、どのような本をお探しですか?」
ニコッと問いかけられ、その様子がまるで絵から出てきたのではないかとも思ったが、目的を果たすため我に返る。
「……森の歴史について学びたいと思っていまして」
「なるほど。それでしたら……こちらに」
流れるように招かれた先には、これはまた神秘的な絵画が書物を見守るように天井に描かれている。そして、見渡す限りの蔵書。この中に、森のことを詳しく記した書物があるそうだ。
「少々お待ちください」
そう言って、彼は少し目の前から姿が見えなくなったかと思えば、この数ある書物の中から迷うことなく、たった一冊の本を選び、僕に手渡した。
「おそらくこの一冊に全てが記されていると思います。あなたなら真なる答えを……いえ、この本を読み切ることができるかと。どうぞごゆっくり」
「……ありがとうございます」
困惑を滲ませる僕に、青年は笑顔を一つ見せてこの場から去っていった。
手元にある一冊の本は、単純に“本”と呼ぶには分厚く、人差し指から薬指ほどの厚さをしていた。唯一の救いは、ウィル兄さんの言っていた古文書のような昔の言葉ではなく、僕にもわかる言葉で記されていることだった。
(“森について”としか伝えていないけど……ここまで分厚ければ何かわかるのかな)
僕は天井の絵の真下に位置する大きな机で読むことにした。
表紙に目をやると、見慣れたようでもあり、初めて目にするような感覚に陥った。
そこに、“アルカナン森記”と書かれていたからだ。
(アル……カナン?)
先ほどの男性から受け取る際に、「“しんき”と読みます」と一言添えられていたので、このことかと思った。
しかし、“カナン”という名は村の名前だと聞いていたはずなのに、森に使われているなんて、また謎が深まる。
(とにかく読むしかないよね……)
意を決して、重い表紙をめくった。