Episode 13〜星詠の巫女〜
――イレーネさんとの出会いは、村を旅立つ“あの日”にまで遡る。
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まるで世界そのものが息を潜めたような静寂の中に、一つの円卓が浮かび上がる。
七つの椅子に――七つの影。“円卓の七賢人”と称される彼らが見つめる先に、僕は立っていた。
パチンと鳴らされた指に呼ばれたかのように、僕の目の前にも椅子が現れた。そこに座るよう促され、腰を下ろす。
『“おじいちゃん”と私の自己紹介は……今更不要よね?』
腰掛けたばかりの椅子からスッと立ち上がったオルガさんは、こつこつと小さな音を立てながら手を後ろに組んで歩き出した。
「お名前と僕の祖先ということくらいしか知りませんけど……」
僕は面々を順に眺めるように答えた。ファウステルさんとオルガさん、それと一人の女性を除き、深く被ったローブのせいか、他四名の顔はよく見えなかった。けれど、まるで見定めるかのような視線が僕に向けられている。
『十分十分! 細かいことを“今”話してもしょうがないもの! それじゃあまず最初に……』
オルガさんが歩みを止めたのは、その一人の女性の後ろに立った時だった。
その女性は、夜空を身に纏ったような藍色で、輝く星の刺繍が施されている衣装をしていた。耳元には八方向に光を放つ星の飾りが揺れている。
『この子はイレーネ。“星詠の巫女”っていう珍しい力を持った凄い子なの。ま、私には敵わないけどね!』
なぜ鼻高々なのか、今の僕にはわからない。
『フフっ。オルガ“様”よりご紹介に預かりました、イレーネと申します。どうぞよろしく、ルクノウさん』
僕に笑いかけるその顔は、整った顔立ちに深く影を落とすよう、すっと高く通った鼻筋をしており、琥珀色の美しい肌が星の耳飾りと相まってよく映える。
『見ての通り、この子の出自はちょーっと特殊でね。南方から北へと渡ってきた一族の血を引くの。で、その一族が“星詠の巫女”ってわけ』
どうよ凄いでしょ。とでも言いたげな顔をしているオルガさんを、イレーネさんは微笑ましく見つめていた。
「あの……“星詠の巫女”っていうのは?」
『それについては、私から……』
僕の質問に対してイレーネさんが控えめに挙手をする。
『かつて一族は、“星詠”という力を日常の一部と捉え暮らしてきました。その力は簡単に言えば、“星の声が聞こえる”というものでした』
「星と会話をするのですか?」
『直接会話をするわけではなく、あくまで“啓示”のようなものです』
(“精霊の声”のような感じなのかな?)
『人々が星の光を見上げるように、星もまたこちらを見ているのです。それも、遥か先の未来と共に』
「では……未来を知ることのできる力ということでしょうか」
『少し違いますね。未来への“警告”とでも言いましょうか』
未来への警告。その一言に胸がざわついた。
『……残念ながら、未来について星から具体的なことは聞けません。自らが考えて選択することを星は望んでいるのです』
「精霊も、星も。僕に何を求めているのでしょうか……何に選ばれ、何を選べばいいのか」
『フフっ。ルクノウさんは知識欲のあるお方なのですね』
「すみません。少し気になってしまって……」
『いいのですよ。それもまたあなたの魅力なのですから』
王都へと旅立つ決意をしたものの、いまだに揺れていた心を温かく包み込んでくれた気がした。(僕にも……何かできることがあるのかもしれない)
『はいはい。イチャイチャするのはその辺で! じゃあ次は……』
またオルガさんがこつこつと音を立てて歩き出す。
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「イレーネさんがどうしてここに?」
意外な人物に驚きつつも目的を問いかける。
『ルクノウさんにお話しておきたいことがありまして……ちょうどいい機会が巡ってきましたので、お伺いに』
窓から空を仰いだ後、視線を僕に戻しながらイレーネさんは答えた。
「話しておきたいこと……」
『まずは“星の啓示”について』
「……星から言葉が?」
『はい』
僕を安心させるようにイレーネさんは優しく頷いた。
『その前に、ルクノウさんは森の名前をお聞きになられましたよね?』
「森の名前……あ、さっきロンさんに聞きました。まさか森に名前があるなんて知らなくて」
『“奏耀の森”から来たのでしたね』
「はい、そのように聞いています」
『ですが、実際にカナン村があるのは――“襉凪の森”なのです』
「え……どういうことですか?」
(あのウィル兄さんが……嘘を?)
『順を追って説明しましょうか』
イレーネさんから聞いた話はこうだった。
二千年ほど前、この世界は今よりも根深く自然と共に歩んでいた。
しかし、綻びの顕現をきっかけに調和が乱れ始める。そこで、世界に“秩序”をもたらすため、王都〈ルフトルディア〉を支柱とするため建国し、森に名前を授けることで世界は事なきを得る。
これが――奏耀の森と襉凪の森の誕生である。
「森を二つに分けることで綻びは収束したのですか?」
『収束というよりは、人々と精霊との棲み分けと言いましょうか』
ふと夕鐘の村を思い出す。あの村も、棲み分けの影響を受けていたのかもしれない。
「ということは、カナン村のある“襉凪の森”にだけ、精霊の棲家が? 森の名前の由来も気になりますが……なぜ、王都を支柱としているのですか?カナン村の、あの祠であれば……」
次から次へと疑問が湧き出てくる。僕の中の何かが崩れてしまいそうな感覚になりながら。
『……そうですね。そのあたりはもう一つのお話ししたいことと重なりますので、また後ほど……どちらにせよ、“綻びから世界を守るために国を興した者たちがいた”とだけお伝えしておきます』
「……わかりました」
僕が動揺してしまっていたのか、それを見透かすようにイレーネさんが続けて答える。
『クウィルツさんですが……王立図書館で厄災について調べていた際に、森の名とその意味について知ったのでしょう。村に、そしていずれ王都に向かう貴方に火の粉が降り掛からぬよう、奏耀の森から来たと言っていたのではないのでしょうか』
「そうなのでしょうか……なんとも兄らしいというか、どこまでも先を見ている人ですから」
『フフっ、そうですね』
慈悲深い眼差しを向けられたからか、村に帰りたくなった。
『少し話が逸れてしまいました』
「そうでした、星は何と?」
空気が一変したのを肌で感じた。
『……今からする話を、決して口外してはなりません。それに、必ずそうなるとも限らないことを心得ていてください』
「……はい。わかりました」
今から僕は、僕の使命に触れるのだろう。
『“星の啓示”について、簡単に言うならば……いずれこの世界を、綻びが覆い尽くすでしょう』
「えっ……綻びが覆い尽くすってことは、世界が滅びるということですか?」
『先ほども言いましたが、これは“確定した未来”ではありません。このままではそうなってしまう“仮定”の話だと理解してください』
突然告げられた“起こりうる未来”に、先程まで溢れ出てた言葉は止まった。
『この世界は幾重にも連なる綻びにより保たれています。奏耀の森と襉凪の森もその一つです。その歪な調和が整い始めたことで、更なる綻びを生んでしまうのです。まるで皺寄せのように』
心のどこかで誰かの役に立っていると思っていた。僕はまだ何も知らないのに。この世界のことも、使命も――僕自身のことも。
この旅は、綻びを知る力を持った自分にしかできないことだと勘違いをしていたんだ。僕が綻びを紡ぐことによって、世界のどこかで新たな綻びが生まれ、誰かの未来が終わりを迎えるとしたら?
僕がしてきたことは――罪なのだろうか。
でも、ネイユとの出会いやウジシャさんの気持ちを無かったことにはできない。
見て見ぬ振りなんて――僕にはできない。
確かにそこに想いはあったんだ。
『……貴方自身を責めてはいけませんよ』
心の声を見透かすようにイレーネさんに諭される。
「ですが……」
『この使命と宿命を背負い、そうしてこの世界を紡ぐことで今へと渡してきたのです。それが、エイカシアの……』
イレーネさんは、視線を一度扉の方へと向け、何かを確認する仕草を見せる。
『すみません。ついつい話し込んでしまったようです。続きはまた今度にしましょうか』
「エイカシアとはいったい……」
『ひとまずは旅の目的通り、王立図書館へ向かってください。そこには“始まり”が記されているでしょうから。きっと、ルクノウさんなら大丈夫です』
イレーネさんは僕の言葉を遮って、少し急ぐように言葉を結んだ。
コンコンコン!
強く扉を叩く音が部屋に響く。
「おーい!ルクノウ!休んでいるところすまねえがちょっと出てきてくれねえか!」
外からロンさんの声がする。何やら他の話し声も聞こえてくる。
ふっと空気が軽くなったのを感じた。
先程までイレーネさんの座っていた椅子に目をやると、そこにはもう誰もいない。
(イレーネさんの言葉は……王立図書館に行けばわかるのかな)
「……今行きます!」
僕は扉の方へと駆けていく。