怪物と終わり
「勇者は倉宮美結の方で間違いない。もう一人は戦いの激化を想定した予備だろう」
ダリアス公爵こと、父の発言だ。そうなのであろうか?確かに倉宮は規格外の強さを秘めている。だが田所も十二分に強くなれる才を持っている。どちらも可能な限りは利用すればいいだけだろう。最初はそう思っていた。
「グレイス、聞けば予備の方にも負けたらしいな。まだ訓練も積んでいない相手に、騎士として育てたお前が・・・」
「どうだグレイス、勇者の修行は。かなり離されちまったんじゃないか?」
「普通の魔法使いくらいにはなった」
父もルーカスもミリアスも予備にご執心らしい。使えるものは使う。それはいい。だが、あの田所は俺とは違う。公爵子息として厳しく教育された俺とは違う。聞けばヤツは前世で商人だったらしい。しかも戦闘経験があるかと思えば、娯楽で剣を扱ったことがあるだけだそうだ。
ふざけるな。なんで俺がそんな相手に負けたんだ。勇者として召喚されたから?なんで俺がそんなやつを鍛えなければいけないんだ。なんで俺があんな奴と協力する必要があるんだ。
幸いにもヤツは勇者のオマケだ。父だけの考えではなく、会議でもそのような話になったらしい。唯一無二の公爵子息である俺とは違うんだ。どこかで蹴落としてやる。戦力になることだけは認めてやる。命までは奪わずどこかで飼い殺しにしてやろう。
話が違う。犬どもを数匹を倒すだけの任務のハズだった。死にたくない。俺は厳しい教育を受けてきたんだ。ここで死んだら何のために耐えてきたんだ。森から出れば兵が待機している。助かるんだ。
後ろで倉宮が転んだようだ。不味い、田所とは違う。アイツは俺と同じ、替えの効かない人間だ。戦おう。俺と倉宮なら時間稼ぎぐらいはできるはずだ。先に行ったルーカスたちが兵を呼ぶまで持ちこたえればいいだけだ。
踵を返す。やるしかない。そう考えたのは俺だけではなかった。田所だ。ヤツが倉宮を逃がしたようだ。それでいい。それが予備のお前の役割だ。こうなれば俺も逃げれる。だが、数歩先に田所の無防備な背中がある。今ならやれる。
俺は田所を刺した。卑怯にも背後から。貴族の誇りを持って育てられた俺が、仮にも仲間を、だ。いや、バーゲストは保存のために可能であれば獲物を生きたまま連れ帰るらしい。下手に戦えば田所はすぐに殺され、俺や倉宮を追ってくる。俺が田所を無力化したおかげで、数匹のバーゲストがアイツを連れ帰るためにいなくなるはずだ。ヤツの犠牲で俺も倉宮も助かるんだ。そうだ、俺は間違ってない。俺は悪くないんだ。
死にもの狂いで走る。ここまでして死んでたまるか。森から出るまで数分のはずだが何十分にも感じた。ようやく外の光が見えた。助かったんだ。
だが、そこに兵士たちの姿はなかった。
「距離を取って、ルーカス!攻撃しなくていい!」
「わかってる!早くしてくれ!」
森から抜けても、そこにも死地があるだけだった。俺の直前に着いたであろう倉宮、戦闘中のミリアスとルーカス。生きている人間はその3人だけだった。周りには、ここにいたハズの兵士たちだった『物』が散乱している。
相手は巨大な黒い怪物、おそらくはあれもバーゲストだ。稀に出現する犬以外の個体。家と見まごう大きさの熊。余りに規格外だが、巻き付いた鎖があれもバーゲストであることを証明している。
だがありえない。森の外で戦闘が起きていれば俺たちにも音が聞こえたはずだ。よく見てみると怪物の身に着ける鎖が淡く光っている。あれは魔法の付与された魔法道具の特徴だ。意識してみると、あのバーゲストの唸り声がこもって聞こえている。
きっとあの魔法道具の効果だ。遮音の魔法。今まで攻撃と防御の手段だと思われていたあの鎖は、狩りのための道具だったのだ。通常の犬のバーゲストでは魔力に余裕がなくて使えなかったのだろう。
ここまで情報を得てやっと理解できた。きっとあのバーゲストたちは追い立てられたはぐれ者じゃない。身分にふさわしいテリトリーを求め、進行してきた強者。そして俺たちは、バーゲストたちの罠にかかった獲物でしかない。少数に誘い込まれ、挟撃された愚かな弱者。こんなことなら数人犠牲にしてでも、森の中で犬の相手をした方がマシだった。そうすれば森に入って、熊から逃げることができていたはずだ。
後悔している場合じゃない。ルーカスが1人で戦っている。ミリアスが魔法を打つための時間を稼いでいるようだ。既にルーカスはボロボロだ。体中から出血しているし、片手で戦っているのを見るに左手が動かないらしい。
バーゲストが両腕でルーカスに掴みかかる。ミリアスの魔法はまだだ。やるしかない。両手で剣を構えて走る。
「クソォオオオ!」
ヤケクソでバーゲストに突進する。その勢いで剣を突き出す。あの巨体は簡単には切れない。勢いをつけて攻撃するしかない。あと一歩のところでバーゲストと目が合う。死を覚悟した。だがやるしかない。狙いは鎖を避けたうえでの首と頭。勢いのままに斜め上に剣を突き出す。この巨体なら外しはしない。
「グォオオオオオオオ!」
剣は首に深々と突き刺さっている。痛みでルーカスが投げ出される。剣を手離してルーカスを掴む。無理やり引っ張ってバーゲストから距離を取る。二人で倒れこみながらも、バーゲストへの魔法の有効範囲からは外れている。
「近づかないで!」
ミリアスが警告をした直後に光が走る。初めて見るが、確かあれは雷槍の魔法だ。光の速さの不可避の魔法。使える者は限られるうえに、ミリアスですら使用するのに時間を要する高難易度の魔法だ。
バーゲストは微動だにせず焼けた匂いを発している。やったんだ。ついに目の前の怪物が命を落とした。なんとか助かったんだ。ルーカスもかろうじて生存している。倉宮も動揺しているが傷は見当たらない。
振り替えると、ミリアスもほっとている。アイツにしては表情に出ていて少し新鮮に感じる。だが直後に驚いた顔に急変する。
俺を見ている?いや、まさか・・・。
「逃げて!2人とも!」
後ろからガリッと音が鳴る。背中が熱い。いや、これは痛みだ。やられたんだ。ゆっくりと前のめりに倒れていく。そういえば遠目に見えた田所もこんな風に倒れていたな。これが因果応報か。
「グレイス!」
ルーカスが剣を構える。俺を庇おうとしているようだ。だめだ、全滅する。ルーカスは満身創痍だし、ミリアスの魔法も間に合わない。倉宮はどうなった?さっきまで動くこともできなかったはずが居なくなっている。逃げたのか?
いや、違う。何かが駆け寄ってくる。倉宮だ。
「はぁああああ!!」
俺と同じように勢いを乗せた斬撃を放つ。だが動きがまるで違う。並外れた身体能力と全身の捻りから放たれた強烈な剣はバーゲストの首を切り飛ばした。
ドサリと落ちてきた首が戦いの終わりを告げる。そこで俺は意識を手放した。