唐久利さんは鈴木君と仲がいい
担任がホームルームの終わりを告げ、日直が号令をかけて、僕たちは学校という拘束から解き放たれる。教室のあちこちで、生徒たちが自分の今日の残り時間の使い方の方針に従って各々に動き始める。そそくさと教室を出る者、部活の準備を始める者、ぼんやりと伸びをする――僕のような――予定を持たない者、そして、友人と予定を話し合う者。同じクラスの唐久利さんは、僕の隣の席に座る鈴木に近付いて話しかけた。
「鈴木君、一緒に帰らない?」
鈴木はにこやかに応じる。
「うん、いいよ。高橋もどう?」
鈴木はこちらに話を振ってきた。唐久利さんは表情を変えずに僕をジーッと見つめる。『断れ』という情念のようなものがひしひしと伝わってきた。僕は唐久利さんの視線を受け止め、鈴木に答えた。
「じゃ、お言葉に甘えて」
唐久利さんは視線を鈴木に戻す。彼女の表情は変わらない。鈴木は教科書類を鞄に詰めると、椅子から立ち上がった。
「行こうか」
鈴木の言葉に唐久利さんがうなずく。やっぱり表情は変わらない。内心の豊かさに比べて、それを表情に出す機能が彼女には欠けているのかもしれない。
鈴木と唐久利さんが並んで歩き始める。鈴木は背の高いほうではないが、それでも唐久利さんは鈴木の頭一つ分低い。ふたりの背を見ながら僕は独りごちる。
「……お邪魔なのはわかってるんだけど」
少なくとも唐久利さんは鈴木とふたりで帰りたいのだろう。ふたりだけの時間を過ごしたい、そんな彼女の気持ちを尊重したい気持ちもある。だが、本当に申し訳ないんだけど、僕は僕の好奇心を抑えられない。ふたりの関係を、その行く末を、見届けたいと思ってしまうのだ。なぜなら、唐久利さんは――
「――ロボ、だからなぁ」
唐久利 ロボ美。僕のクラスメート。入学式のときからまるで当然のようにこのクラスにいて、二学期の今も僕らと同じように勉学に励んでいる。おうとつのまったくない円筒形の胴体を持ち、首はなく胴の上に直接半球状の頭が乗っている。腕に関節はなくどこからでも柔軟に曲がり、手はC字型をしている。足は短く、二足歩行が苦手なのか平坦な場所ではかかとについたローラーを使って滑るように移動する。高精度のカメラアイと集音機を持ち、その気になれば十キロメートル先を歩く人間の顔を識別することも、五キロ圏内の井戸端会議の会話を聞き分けることもできるとか。軍事衛星にリンクすればその性能は飛躍的に上昇し、彼女単独での作戦行動も十分可能だと言われている。制服に隠れて見たことはないが、背中には着脱可能な使い捨て飛行ユニットがあり、マッハ一.二で十分間の連続飛行が可能らしい。確かに彼女の背中には不自然な盛り上がりがあった。申し訳程度につけられた頭のリボンが彼女の性別を辛うじて主張している。
一学期の最初の日、明らかに異彩を放つ彼女の姿に、僕は思わず、
「あの……ロボット、ですよね?」
と声を掛けた。唐久利さんは「えっ?」と驚いたような声を上げて動きを止める。教室内は奇妙な緊張感の静寂に包まれた。皆、気になっていたのに聞けずにいたのだろう。唐久利さんはせわしなくカメラアイを動かし、答えに困っているようだった。何とも気まずい、しかしなかったことにもできないその沈黙を破ったのは、隣の席にいた鈴木だった。
「やめなよ。外見の特徴を捉えてラベリングするなんて、いいことじゃないよ」
僕は慌てて鈴木を振り返った。
「いや、そんなつもりじゃ……」
僕は彼女をラベリングしたかったわけではなく、真実を知りたかっただけだ。しかし鈴木は、強い調子で僕をたしなめた。
「人は生まれ、成長し、老いて死ぬ。外見はその過程で日々変転していく仮初に過ぎない。僕たちが大切にしなければならないのはそんないくらでも変わる表面的な事象じゃなく、心持つ命としてどう生きるか、どう生きていくのか、そういうことなんじゃないかな?」
鈴木の真剣な眼差しに飲まれ、僕は「ロボットは外見変わらないんじゃ……」という言葉を飲み込んだ。唐久利さんのカメラアイの焦点が鈴木の顔に固定される。誰もが動きを止めたままの教室で、誰かがポツリとつぶやいた。
「……じゅ、住職」
高校生活の初日、鈴木のあだ名は全会一致で『住職』に決まった。
「お手をどうぞ」
「あ、ありがとう、鈴木君」
校内のあちこちにある小さな段差に遭遇するたび、鈴木は唐久利さんの手を取って支える。この学校は歴史が古く教師たちは伝統を誇るが、バリアフリーという観点から言えばただ前時代的なだけだ。唐久利さんがひとりで自由に移動するのは難しいことが多く、鈴木はそのフォローをこなしている。鈴木の態度はクラスメートにも伝播し、二学期になった今は唐久利さんが困っている様子であれば誰かしらフォローする雰囲気が生まれていた。無論、唐久利さんもただ助けられているだけではなく、自分ができる分野では他のひとを積極的に助けている。体育の時間に気分が悪くなった女子生徒を抱え、公道を爆走して病院に搬送したときはちょっとした話題になった。女子生徒はすっかり回復し、唐久利さんにとても感謝していた。
無事に正門に辿り着き、鈴木と唐久利さんは並んで歩いている。校外にもいたるところに段差はあり、唐久利さんにこの町は不親切だということに改めて気づく。今までそんなことを考えたこともなかった。自分を基準にしていると見えないことがたくさんある。でも鈴木は、それを最初から気付いていたみたいに、平然と行動している。大人だな、と思う。年齢ではなく、精神が大人。自然とそうありたいと思えるような成熟が鈴木にはある。
ふたりはゆっくりと並んで帰り道を歩く。僕は少し後ろからふたりについていった。鈴木は唐久利さんの歩く速さに合わせていて、たぶん唐久利さんはわざとゆっくりと歩いている。帰り道の時間が少しでも長くなるように。
他愛ない会話をしながら、鈴木と唐久利さんは川沿いの公園に差し掛かる。ふたりは必ずこの公園を横切って帰るのだ。近所の人の散歩コースになっているこの公園は、他の場所よりも静かに時間が流れている。
歩きながら、ときどき唐久利さんの手が動き、そして何もできずに下ろされる。きっと、手をつなぎたいけれどその勇気がまだ足りない、といったところか。鈴木は気遣いという点では優れた男だが、感情の機微には疎いようだ。唐久利さんは表情が動かないから、特に分かりづらいのだろうけど、こうして後ろからふたりを観察していると、唐久利さんは動作でこんなにも豊かに感情を表現している。鈴木はそれにもっと気付かないといけない。
「それでね、エミったらひどいのよ。私に海水浴は無理だなんて言うの」
言葉が途切れることを恐れるように、唐久利さんはしゃべり続けている。話が続く間は別れが来ないのだと信じているかのように。川沿いの道を歩いて公園を出れば、そこにはいつも黒塗りのリムジンがいて、彼女を回収するのだ。だから僕たちは、この公園の先にいる唐久利さんを知らない。どこに住んでいて、どんな生活を送っているのか、それが僕たちに知らされることはない。唐久利さんが少し早口になる。鈴木はそれを穏やかにうなずきながら聞いている。
ロボットは心を持つだろうか? その答えを僕は知らない。でも、唐久利さんは確かに心を持っているのだと思う。そう思う根拠を、僕は一つだけ持っている。ある日の放課後、人気もまばらな教室で、唐久利さんは小さくつぶやいた。
「上手に笑えたら、よかったのに――」
そのつぶやきを僕は、聞いてしまったから。
「あっ」
唐久利さんが小さく声を上げる。公園の出口が視界に入り、そこには見慣れた黒塗りのリムジンがある。黒のスーツにサングラスをかけた屈強な男が二人、さりげなく周囲を警戒しながら背筋を伸ばして立っていた。いつもと同じ風景。いつもと同じ別れが、今日もそこに存在している。唐久利さんがわずかに視線を落とし、足を止めた。断ち切るまでに少しだけ時間が欲しいのだろう。
「鈴木は、さ」
僕はふたりの後ろから鈴木に声を掛けた。ほぼ気配を消していた僕が声を出したことに驚いた様子でふたりは振り返る。
「唐久利さんのことを、どう思っているの?」
唐久利さんが一瞬固まり、そしてわたわたとせわしなく両手を動かした。いったい突然何を言い出すの、と言いたいのだろうが、言葉になっていない。鈴木は「そうだね」と思案げな表情を浮かべると、ちょうどいい言葉を見つけた、という様子でうなずき、僕に答えた。
「美しい、と思っているよ」
「えぇ!?」
唐久利さんが思わずといった風情で驚きの声を上げる。どうやら唐久利さんの想定にはない返答だったらしい。僕はじっと鈴木を見る。慎重に言葉を選び、鈴木は話を続ける。
「唐久利さんの言葉には嘘や偏見や、嫉妬や虚栄心がない。唐久利さんはとてもフラットに世界を見ている気がするんだ。清かにわたる風のように自由で、澄んだ水のように公正だ。きっと唐久利さんは、魂が美しいのだと思う」
唐久利さんが「た、たましい……」とつぶやく。嬉しいような、ちょっぴりがっかりしたような、そんな声だ。鈴木は僕を堂々と見つめ返し、ふと思い出したように言葉を加えた。
「それと、唐久利さんはとても声がきれいだね。話をしていてとても心地がいい。ずっと聞いていたいような、素敵な声だ」
「えっ?」
唐久利さんが鈴木を見上げる。鈴木は唐久利さんのほうに向きなおった。ふたりの視線が交わり、唐久利さんが固まる。固まった唐久利さんを、鈴木は不思議そうに見つめる。
「はっ――」
ぎこちない仕草で、唐久利さんは両手で顔を覆った。
「はずかしいーーーっ!」
絶叫と共に唐久利さんの背中のブースターが唸りを上げる。炎と煙と轟音が唐久利さんを一瞬で空へと運んで行った。晴れた夏の空に白い航跡を描いて、唐久利さんは遠く彼方へと姿を消した。
「おお、飛んだねぇ」
唐久利さんの消えた空の向こうを見上げて、鈴木が感心したように言った。僕も同意の気持ちで返した。
「うん、飛んだなぁ」
黒塗りのリムジンの前で待機していた黒服たちが慌てて車に乗り込む姿が見える。大人たちの事情など知ったことじゃない僕たちは、唐久利さんが残した飛行機雲が消えるまでずっと、ただ空を見上げていた。




