24
【 マブチの真実 】
馬渕康平には、2つ歳の離れた馬渕洋平という兄がいた。洋平は誰もから尊敬されるような、勉学、運動、その容姿に至るまで秀でたものを持つ人間だった。康平はそんな兄のことを、昔は尊敬し、憧れの対象にしていた。
「お兄ちゃんみたいに、勉強が出来るようになるにはどうしたらいいの? 」
「お前は俺の弟だ。いつか同じように出来るようになるよ」
「お兄ちゃんみたいに、サッカーが上手くなるにはどうしたらいいの? 」
「サッカーだけじゃなくて、いつか他の運動も試してみたらいいじゃないか」
「兄さんって、昨日も女子に告白されてたよな」
「顔はそんなに変わんないだろ。康平にもいつか彼女が出来るよ」
いつかって、なんだよ。俺は、馬渕洋平みたいには出来ないのかよ。
馬渕洋平の弟、というレッテルは、年を重ねるごとに康平の重荷になっていった。期待は重圧に、尊敬は嫉妬に、そして憧れは恨みに。
洋平が第一志望で合格した県随一の名門校に、康平は受からなかった。両親は気にするなと言った。
洋平が現役で受かった難関の国立大学に、康平は浪人しても受からなかった。両親は気にするなと言った。
洋平が内定をもらった一流企業に、康平は書類選考の段階で落とされた。両親は、もう何も言ってくれなかった。
洋平は、大学の時から付き合っていた彼女と結婚し、子供が出来た。市の中心部から少し離れたところに、30年近いローンを組んで、一軒家を建てた。
康平は、地元の中小企業に辛うじて内定をもらった。実家には居づらく、木造建ての六畳一間のアパートで独り暮らしをした。
「俺って何のために生きてるんだろう」
ある日、そう思った。子供の頃は、みんなに等しくレールが引かれていて、その中から自由に未来を選べるんだと勘違いしていた。でも、同じ遺伝子を持つはずの兄と同じレールさえ走れない。いや、それどころか、レールなんて最初から準備されていなかったようにも思えた。
兄に対する様々な思いは、自分の不遇な現状から、全て憎悪へと変わった。兄さえいなければ、洋平さえいなければ、自分はもっと……。そんなことばかり考えるようになった。
そして康平は思った。だったら、兄になってしまえばいい。自分の居場所なんか捨てて、兄の居場所を奪ってしまえばいい。
そう決めてからの行動は、早かった。康平は、洋平を自宅のアパートに適当な理由をつけて呼び出した。洋平は弟のためならば、と二つ返事で了解した。
そして、家を訪ねた洋平を、康平は調理用の包丁でブスリと刺した。赤い血がアパートの床に飛び散り、洋平は苦しそうな顔を浮かべた。
そんなことも気にせずに、康平は何度も、何度も何度も何度も何度も刺した。兄であった肉塊が、人の形を留めぬように刺した。今まで感じた恨みの数だけ刺した。兄の感じたであろう幸せの数だけ刺した。
言葉も返さぬ肉塊を見て、康平は生まれて初めて、「生きている」と感じた。鉄の匂いのする赤い海の中で、康平は自分の中の曇りが晴れたようにさえ感じた。その時すでに、康平は、兄の居場所を奪うという当初の目的などどうでもよくなっていた。
洋平の体を、時間をかけて切り刻み、運びやすい大きさにまで切り分けた。洋平は最後まで、傷つけられまいとしていたのか、左手だけをかばうようにしており、その結果彼の左手は傷一つないきれいな状態で残っていた。
康平はそれをジップロックに入れ、コンロの下の方にあるスペースへと放り込んだ。残りの体は、時間をかけて、アパートのすぐ近くにある山の中へと捨てた。
馬渕洋平は死んだ。それと同時に、心の中の馬渕康平も死んだ。今まで生きてきたうえでの憧れ、目標、嫉妬の対象である兄が死んだことで、康平は既に生きる気力をなくしていた。
そして康平は、夜道の道路に飛び込んだ。道を走る車に追突し、死んでしまってもいいと思った。しかし、何の因果か、天は康平を生かし残した。
病院に搬送され、清潔な白いベッドの上で目を覚ました。医者に名を尋ねられた。その時偶然にも、解体した時に回収したのか、洋平の身分証を持っていたのだという。そして康平は、自らを偽って答えた。
「……馬渕、洋平です」
そう言って、洋平は微笑んだ。高揚感が、罪悪感を凌駕した。
◇ ◇ ◇
目次から「25」へお進みください。




