15
【 悪寒 】
「キョーコさん、大丈夫? 」
マブチは足に力が入らないような様子のキョーコを心配しながらも、そこにあるものから意識が離れなかった。少しだけ気持ちを落ち着けて、意を決しコンロの下を覗く。
そこにあったのは、ジップロックに入れられた、人間の薬指だった。そこには結婚指輪がついていたことを匂わせる、くぼみのようなものが出来ていた。
「……なんで、これがここに」
そのマブチの呟きは、キョーコが胃の内容物をその場に吐き出してしまったことで誰にも聞かれることなく搔き消された。マブチにその一部がかかったものの、マブチにそれを気にしている余裕は無かった。頭の中に流れ込んでくる自らの記憶。『秘密』の全貌がもう少しで掴めそうな、若干の曇りを残した解決。
◇
「マブチ君! 」
「……っ! 」
その場に意識が残っていなかったマブチのことを呼び戻したのはユリカの声だった。先ほどまで自分が介抱していたはずのキョーコのことは、アサヒが面倒を見ているようで、流し台のところで口の周りを流すキョーコの傍で立っていた。
「何回も呼び掛けたのに、どうしたのよ」
ユリカの表情はマブチを全面的に心配しているというよりも、侮蔑、嫌悪、疑念。そんな負の感情を持ったものに見えた。それを見てマブチは、今自分が置かれている状況を察する。
「あなた、もしかしてそれを見て、『秘密』のことを思い出したって言わないでしょうね?」
ユリカはそう言って、コンロの下側に置かれているジップロックを指さす。マブチにはこの状況を覆すほどの言い訳を立てることが出来なかった。それを認めることはつまり、マブチ自身がこの物騒な物体に対する関与を肯定することに繋がるからである。
それを理解した上で、マブチは言った。
「ええ、僕の『秘密』に関わるものです。でも、それが何なのかを皆さんに細かく伝える必要は無いでしょう? 」
「……あなた、本気で言ってるの?」
ユリカの表情は本格的に、人を蔑むそれに変わった。ユリカからすればマブチの言動は、人間の指がジップロックに入れられているという非現実的すぎる状況を受けて入れている人間がいるという証明に他ならないからだった。
「でも、僕は相変わらず全てを思い出したわけじゃありません。その状況で、僕のことを完全に悪だと言い切れますか? 」
マブチの表情は、ユリカと反比例するように悪魔的なものになる。まるでこの場の空気を楽しんでいるかのような、猟奇的な笑顔を向けていた。完全に開き直ることを決意したその男は、その状況で3人に提案を持ち掛ける。
「僕たちは、協力関係なんですよね? だったら、一刻も早く僕のことをこの館から追い出すように動けばいいじゃないですか」
「私たちのことを脅すつもり……? どうせ今の状況じゃ、キョーコちゃんを無理に動かすわけにはいかないし、あなたに協力するのは無理よ」
「そうですか。だったら、明日まで待ちましょう。僕のために協力、してくれますよね? 」
ユリカは、人の笑顔は時に悪事を働くときのそれよりも凶悪であることを理解した。そう思えるほどに、『秘密』を思い出しかけたマブチという男の人間性は、歪んでしまっていたからだ。もう、元のマブチの面影は無くなり始めていた。
「……分かったわ。だけどとりあえず今日は、これ以上『秘密』を探すのはやめにしましょう。それが私からあなたに出す条件よ」
「……そうですね。お荷物を抱えての移動は逆に非効率ですし、そうしましょう。それじゃあ、また明日。あ、食事は自分の部屋で勝手にとるのでお気になさらず」
そう言ってマブチは手をひらひらと振ってキッチンから出て行った。その際彼は、コンロの下側にあるジップロックを抜け目なく回収し、それ以上他人に詮索させないように行動したのだった。
バタンッ!
多少強引に閉められたキッチンの扉は、マブチとそれ以外を遮断する心の壁を表しているようにも思われた。ユリカは緊張から解放されたようにゆっくりと息を吐き出すと、先ほどまで具合の悪そうにしていたキョーコの方を確認する。傍に立っていたアサヒは、豹変したマブチ相手に何も言葉を発することのできなかった自分の無力さに憤っているようだった。
「ごめんなさい、私のせいですよね……」
キョーコは自分がマブチの『秘密』の手がかりを見つけてしまったことに引け目を感じているのか、そう言った彼女は今にも泣きそうだった。
「マブチ君がああなったのは私たちの責任じゃないわ。あれが、『本当の彼』に近いのよ。だから、あなたも気を落とさないで」
ユリカはキョーコのことを抱きしめると、キョーコも行き場を見つけたようにユリカの背中に手を回した。その状況で誰も言葉を発さないまま、数分の時が流れた。
「これから、どうすんだよ」
アサヒが絞り出したように言ったその言葉に、ユリカは残酷な現実を突きつける。
「マブチ君に、従った方が良いでしょうね。あのジップロックの正体は分からないけれど、彼に関わっているのなら、彼が普通じゃないのは間違いないわ。幸い、私たちの部屋には彼は入れない。それに、今協力者を失うことは彼にとっても痛手でしょうから、きっと何もしてこないわ」
それまで最終決定を行ってきたマブチが居なくなったことで、精神的にも行動的にもユリカが支柱とならなければならず、3人は結果的に、いくつかの決め事をしたうえで各々の部屋に戻ることを決めた。
決め事の内容は、部屋から出る回数を最低限にすること。ユリカはああ言ったものの、確実にマブチが手を出してこない確証は無く、それ故に自分たちで身を守る必要があると考えた。そして、部屋を出ざるを得ない場合は、マブチの部屋側の階段を使用しないことを共有した。勿論これも確実ではないが、他に考え付いた方法よりは効果があると判断しての事だった。
「じゃあ、また明日になるわね」
それぞれの食事となるものを持った状態で、キッチンを出る前にユリカはキョーコとアサヒに話しかけた。2人の顔は依然として暗いままである。引け目を感じるキョーコと、マブチと親しくしていたアサヒ。彼らに同情はするものの、自分までそれに流されてはいけない、とユリカは線引きをした。
「私たちが協力して館を探せば、明日にはマブチ君は自分の『秘密』を思い出すでしょう。その後に何が起こるかは分からないけれど、彼が居なくなった後に、私たちだけで『秘密』を探すのよ」
だからこそ彼女は、別れの言葉を前向きなものにした。彼らが希望を持って自分と向き合えるように。ユリカは、それだけを願っていた。
それからすぐに夜は更け、館での2日目は過ぎ去ってしまった。
◇ ◇ ◇
【 アイテム⑥ ジップロックに入れられた薬指 】 を入手しました。
目次より、「20」へお進みください。