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カップ焼きそば

作者: A vocado

 雨の降る夕方、クリーム色の雲の下で井出はスーパーに向かっていた。店に入ると右横に特価商品のコーナーがあり、安売りされたカップ麺が積み上げられていた。井出はそのコーナーにある158円の大盛りカップ焼きそばを買いたかったが、わざわざ奥のカップ麺コーナーに行き、そこで同じカップ焼きそばをカゴに入れた。それから2リットルの水を1本手に取りレジへ向かった。


 二割引きの始まる時間帯であったため、レジは混んでいたが井出のカゴを見た客は迷わずその後ろに並んだ。


「カップ焼きそば~体に悪いカップ焼きそば~」


 50代くらいのおじさん店員が井出のカップ麵と水をレジ打ちしながら小声で歌った。あっけにとられた井出は「あ?」と口を開け、彼を睨んだがおじさんは微動だにしなかった。


「221円です」


 井出は彼を睨んだまま250円を出しお釣りをもらい、もらったレシートを丸め、横のゴミ箱に捨てた。店を出るとき、振り返ると、おじさんは井出の方を見てニヤニヤしていた。上の歯を見せ、口角を上げ、目を細めており気味が悪かった。


 次の日も、曇天の中、井出はスーパーに向かっていた。また大盛りカップ焼きそばが安売りされていた。井出は今日も、他の客からの視線を浴びやすい安売りコーナーではなく、わざわざ奥まで行って同じカップ麺をカゴに入れた。マスクを1箱カゴに入れてすいているレジに並んだ。井出の前には2人並んでいたが2人ともカゴの中身は少なく、回転が速そうだった。次が井出の番になり、井出は彼のカゴをレジカウンターに置いた。


 ここで彼はやっと自分の並んでいたレジが例のおじさんのレジだということに気が付いた。ずっと携帯に視線を落としていたためわからなかったのだ。井出は不快な表情を顕わにしながらも、ここでレジを変更することはおかしく見られ、最悪、後ろの客に笑われると考えたため仕方なく並び続けた。


 彼の前にいた30代くらいの男性もカゴ一杯にカップ麺を入れていたが何も言われていなかった。しかし井出はこの日もまた不快なリズムとともに言われてしまった。


「カップ焼きそば~大盛りカップ焼きそば~」


「何ですか?」


 思わず口を出てしまった言葉に、おじさんからの返答は無かった。井出は342円を払いレシートを手で丸め横のゴミ箱に勢いよく捨てた。袋詰めカウンターに移動した後、ふたたびおじさんを睨むと彼はレジ打ちをしながら井出の方を見てニヤニヤしていた。


 5日後、大学の帰りに綺麗な夕焼けを横目に見ながらカップ焼きそばを買いにスーパーへ向かった。今日こそはレジを間違えないようにしようと注意を払っていた井出だが、そもそも例のおじさんがレジにいないことに気が付いた。安堵の表情を浮かべながらレジに並びあと1人のところまで迫ったとき、ある店員が後ろから井出に話しかけた。


「レジ開けますのでお次のかた隣のレジへどうぞ」


 井出は無言で頷き隣のレジカウンターにカゴを置いた。もうお分かりだろう。その店員とは例のおじさんだったのだ。今さら元のレジに戻るわけにもいかず、あの歌を甘んじて受け入れるしかなかった。


「カップ焼きそば~またまたカップ焼きそば~しかも大盛り~」


 腹が立つと同時にこの場から早く離れたいと思った。暴力に手を出す勇気はなく、「チッ」と舌打ちをしてガンを飛ばしたが当然効果はなかった。


「カップ麺1点で126円です。お支払いがセルフに変わりましたのでそちらの5番の機械でお願いします」


 レジ打ちを終えたおじさんが言った。井出は無反応で5番に移動し、さっさと支払いを済ませた。レシートはいらなかったが、不要レシート入れと書かれた箱がいっぱいになって溢れていたので仕方なく持って帰った。いつものようにおじさんは気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


 家に帰ってレシートを捨てると、井出は違和感のある数字を目にした。半信半疑でゴミ箱からレシートを拾い上げるとそこにはカップ焼きそばが126円と示されていた。今日も安売りが行われていたが値段はいつもと変わらず158円だった。おじさんのミスかと思ったが、別の可能性も考えられた。


 翌日、井出は真相を確かめるためにまたカップ焼きそばを買いに行った。また安売りされており、値段は変わらず158円だった。井出はあえて携帯に視線を落としながらおじさんのレジに並び、自分の順番になると顔を上げ、「うわっ」という表情を見せ不本意に並んでしまったふりをした。


「カップ焼きそば~今日も今日とてカップ焼きそば~」


 いつものようにおじさんは小声で歌った。


「126円です」


 井出は終始何も言わずにただおじさんを睨みながら3番の機械で会計を済ませた。


 井出はニヤケ顔のおじさんを見ながら店を出た。そして確信した。おじさんはカップ焼きそばを二割引きにして売ってくれている。あの気味の悪いニヤケ顔を思い返すと優しい笑顔のようにも見えてきた。


 井出はこれを続けようと考え、次からは携帯に夢中になったり、すいているので仕方なく並んだふりをしたりして、おじさんにレジ打ちをしてもらった。カップ焼きそばの2割引きを井出が気づいたということを、おじさんに気づかれないようにするために、時には他のレジに並び怪しまれないようにした。もし、おじさんにバレたり感謝を伝えたりすれば、このサービスが終わってしまうのではないかと考えたからだ。こういった類のものは対象者、つまり井出にバレることなく実行することで、実行者、つまりおじさんは充実感を得ることができるのだ。


 相変わらずおじさんは例の歌を、歌詞を若干変えて歌った。値段はほとんどの場合126円で、カップ焼きそばの安売りが行われていなくても二割引きは変わらずに続いた。


 この二割引きがおよそ一カ月続いたある日、いつものようにカップ麺コーナーでカップ焼きそばをカゴに入れていると、カップ麺の品出しをしていたおばちゃん2人がバイト募集のことについて話していた。


「新しいレジ係、募集するみたいね。人手足りてるみたいなのに」


「募集するのは1人だけみたいよ」


「あら、そうなの」


「噂だと今日で田中さんがクビになるらしいのよ」


「え! どうして?」


「レジで勝手に値段を割り引いてたそうよ」


「うそ! そんなことしなさそうなのに。知り合いの客にサービス感覚でやってたのかしらね」


 井出はカップ焼きそばをカゴに入れたまま立っていた。なにやら考えているようだった。


「あら、邪魔だったわね。ごめんなさい」


 おばさんが井出に謝り移動したが井出はまだ動かずにそこにいた。田中さんが例のおじさんであると判断した彼は今日がおじさんの最後の出勤日になるかもしれないと考え、ここぞとばかりにカップ焼きそばをカゴに詰めるだけ詰め込みレジに並んだ。同じカップ焼きそばが15個ほど入ったカゴを持つのは気が引けたが、今日で二割引きが終わってしまうと思えば吹っ切れた。これからは定価で買うことになる。


 レジカウンターにカゴを乗せた。胸のネームプレートには田中の文字があった。井出は、何回もレジに並んだものの、おじさんの名前には興味が無かったことに気が付かされた。


「袋2枚お願いします」


おじさんが袋を2枚カゴに入れてレジ打ちを始めた。おじさんはいつものように歌い出した。


「カップ焼きそば~カゴ一杯のカップ焼きそば~レジ打ちするのも恥ずかしい~」


 後ろの客もカゴを見て嘲笑していた。


「1890円です。6番へどうぞ」


 井出は終始おじさんの目を見ていた。会計を済まし1つを除いて袋に入れた。おじさんの方を振り返るといつものようにニヤニヤしていた。


 店を出る直前、カゴを移動させていた従業員に声をかけた。


「このカップ焼きそば、必ずあの田中さんに渡してください! 必ずです」


「え? どういうこと?」


 井出はその言葉を無視して店を出た。


「あなたのと比べたら2割にも及ばない、僕の感謝の気持ちです」


 自動ドアが閉まり切る前にそう言って、井出は右手に1つのカップ焼きそばを持ち自宅まで走って帰った。

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