子供と魔獣
可愛い幼女と仔犬のじゃれあいは正義。
「おぃちぃっ!」
「美味しい? 良かった!」
私が作ったご飯を、子供が「美味しい」と言って食べてくれるのが、嬉しくて仕方がない。
自分の手料理を食べてもらえるって、こんなに嬉しかったっけ?
そういえば、誰かに飯を振る舞うってこと自体、久し振りだわ。
ましてや、忌々(いまいま)しい「人間」なんかに、物を食べさせること自体、初めてだし。
わらすは、おっきな口を開けて、ほっぺたいっぱいに詰め込んで、夢中で食べている。
小動物みたいで微笑ましくて、ずっと見ていられる。
食い方は、ヘッタクソだけど。
「あ~もぉ……口の周り、ベッタベタだべさ。お顔拭くから、こっち向いて」
「ごめんなしゃい」
汚れまくった口の周りや手を、濡らしたタオルで拭いてあげた。
服も汚れちゃったし、食べ終わったら、着替えさせなきゃ。
今後は、前掛け必須だわ。
こんなこまい(小さい)んだから、テーブルマナーなんて知らないはずよね。
私が、一から教えてあげなくちゃ。
ご飯を食べているわらすを見ているだけで、なんでこんなに嬉しいんだろう。
わらすは嬉しそうに、私に向かって言う。
「こんな、おぃちぃまんま(美味しいご飯)、初めて食べたっ!」
「……初めて?」
わらすの口から放たれた言葉に、ピクリと止まる。
何か、聞き捨てならない言葉を聞いたような……?
わらすは、笑顔で大きく頷いて、たどたどしく、一生懸命語り出す。
「うん。あのね、こんなにあったかくて、おぃちぃの、初めて食べたの」
「お前、今まで、何食べてたのよ?」
「うんとね、えっとね、ゴミ箱かりゃね、ばっちぃまんま拾ってね、もぐもぐしてたの」
「は? なんて?」
「なんもなかったらね、水たまりのお水いっぱいごくごくしてね、ぽんぽん(お腹)いっぱいにするの。そんでね、たまにね、ぽんぽんいたいいたいなったよ」
「何それ……」
信じられない話に、自分の耳を疑った。
えっと、今の話を訳すと……。
ゴミ箱を漁って、汚いご飯を拾って食べていた?
何も食べられなかった時は、雨水啜って、飢えを凌いでいた?
たまに、腹を下して、腹痛に苦しんでいた……?
こんなこまいわらす(小さな子供)が、そんな悲惨(ひさん=気の毒で、見ていられないほど痛ましい)な生き方をしていたなんて。
想像したら、可哀想すぎて涙が出てくる。
そりゃ、餓死寸前になるわけよ。
背を向けて、肩を震わせながら涙をこらえていると、わらすは私が怒ったと勘違いしたらしい。
わらすが泣き出して、謝り始める。
「ごめんなしゃいごめんなしゃい! ばっちぃまんま、もぐもぐしちゃいけにゃいの、知りゃにゃかったのっ!」
「もういいっ!」
私はたまらなくなって、わらすを強く抱き締めた。
「もう二度と、ゴミなんて食わなくていい! 水たまりなんて、飲まなくていい! あったかくて美味しいもの、私が腹いっぱい食べさせてあげるからっ!」
「いいの? おぃちいの、食べていいの?」
「もちろん! 約束するっ!」
「やったぁっ!」
喜ぶ顔が、可愛くて愛おしい。
守りたい、この笑顔。
そこで突然、わらすがキョトンとして、周りを見回し始めた。
何かあったのかと思って、問い掛ける。
「ん? どうしたのよ?」
「あのね、色が見えりゅの」
「色?」
「あのね、ずっとね、真っ暗なとこにいたかりゃね、色がね、見えなくなっちゃったの。でもね、今はね、ちゃんと色が見えるの! また見えるようになって、嬉ちぃっ!」
わらすが、嬉しそうに説明してくれた。
ずっと真っ暗なところにいて、色が見えなかった?
それを聞いて、察した。
恐らく、捨てられる直前まで、毒親から虐待されていたのね。
「ずっと真っ暗ところにいた」ってことは、たぶん、暗い場所に閉じ込められていたのよ。
しかも、物心付いた頃から、ゴミしか食べさせてもらっていなかった。
自分の子供にゴミ食わすって、どんな親よ。
きっと今まで一度も、親の手料理を食べたことがなかったんだ。
しかも、水たまりを飲んで飢えを凌ぐなんて、あり得ない。
幼児期は、栄養が一番大事な時期なのに。
それで、栄養失調による一時的色盲(いちじてきしきもう=栄養が足りないことが原因で、色が見えなくなる病気)になったに違いない。
なんで、虐待されたのか。
なんで、捨てられたのか。
気になり出すと、無性にわらすのことを知りたくなった。
でも、それを聞くのは酷(こく=思いやりがない)だわ。
前に一度「なんで捨てられたのか」って聞いたら、泣きそうな顔で黙り込んだ。
自分が捨てられた理由なんて、言いたくねぇべな。
出来れば、傷付けたくない。
悲しい顔をさせたくない。
私が見たくない。
わらすの悲しい顔は、私まで悲しくさせる。
胸が締め付けられるように、苦しくなる。
わらすには、笑顔が良く似合う。
見てるこっちまで、つられて笑顔になってしまう。
わらすの笑顔を見ると、胸が温かさで満たされる。
わらすはただそこにいるだけで、私に幸せをもたらしてくれる。
ひとりで暮らしていた時は、ちっとも笑えなかった。
ずっとひとりぼっちで、退屈で、寂しくて。
「どうやって、今日を生きようか」と、いつも考えていた。
青い空を流れていく雲を、ひたすら眺めている時もあった。
風でざわめく草木の音や、鳥の鳴き声を聞いて過ごす時もあった。
あとは、たまに「魔女狩り」などと称して、魔族の領域へ侵入して来る人間どもを、ぶっ殺すくらいか。
殺した後は、虚しさしかなかった。
なんにもなかった。
ただ息をして、食べて、寝て、生きているだけだった。
でも今は、この子がいる。
喜怒哀楽が分かりやすくて、コロコロ表情が変わる。
舌っ足らずで、甘えん坊で、すぐ抱っこをねだるし、撫でて欲しがるところが、可愛い。
ずっと見てても、飽きない。
この子がいるだけで、笑顔になれる。
今まで数えきれないほど殺した、「人間」なのに。
この子と出会ってから、色褪せていた世界が、鮮やかに色付いて輝き始めた。
色を見失っていたのは、私も同じだった。
この子を捨てた親は、とんでもない大バカ野郎だわ。
わらすを飼い始めてから、一週間後。
木の実や野草を集める為に、わらすと仲良くおててつないで、お散歩をしていた。
わらすは、森の中をお散歩するのが楽しいらしく、ご機嫌で歌なんて口ずさんでいる。
魔族には、「音を奏でる」という文化がない。
楽しげに唄うわらすを見て、改めて「人間なんだな」と、思った。
何かを見つけては、興奮気味に報告してくるのが、可愛い。
見慣れた森の風景も、わらすがいるだけで、新しい発見がある。
「あ、わんわんだ! わんわんがいるよっ!」
わらすが、生い茂った藪を指差した。
藪の側に、ワンコのこっこ(犬の子供)が一匹転がっていた。
※人間の子供は「童」
動物の子供や魚卵は「仔子」
一見すると、ワンコに見えるけど、コイツの正体は「魔獣」
見た感じ、生後三~四週間ってとこか。
周りに、魔獣の親や兄弟はいない。
どうやら、親兄弟とはぐれてしまったようだ。
わらすが嬉しそうに、こっこを拾い上げて、私に見せてくる。
「わぁ、可愛い、わんわんっ!」
「コイツはワンコじゃなくて、魔獣のこっこよ。お前も、親から捨てられたのか?」
こっこの鼻を、うりうりと指で突っつくと、キュンキュン鳴いて嫌がる。
わらすが怒った顔をして、こっこを私から離す。
「お姉しゃん! わんわんイジメちゃ、めっ!」
幼児に、怒られてしまった。
でも、怒った顔も可愛い。
わらすとこっこが、じゃれているのも可愛い。
わらすとこっこのセットは、なまらめんこい以外の何物でもねぇべさ。
もう、反則レベルで可愛い。
……わらすを拾ってから、何回「めんこい」って言ったのよ、私。
しょうがねぇべや、可愛いもんは可愛いんだもん。
わらすはこっこと遊んだ後、もう一度、私にこっこを見せてくる。
「ねぇ、お姉しゃん、このわんわん、拾っちゃめ?」
初めてのおねだり。
こんなん、断れるわけがないでしょ。
いや、でも、ここは心を鬼にして、ちゃんと躾なきゃ。
私が「わらすのおねだりに弱い」と悟られたら、おねだりばっかりするワガママな子に育ってしまう。
ここは、ビシッと厳しく言わなきゃ。
「お前も拾われた分際で、何言ってんの? 拾って、お前にワンコ育てられんの?」
真面目な顔を作って言い聞かせると、わらすは残念そうな顔をして、しゃがんでこっこを地面に降ろす。
早くも懐いてしまったのか、「離れたくない」とばかりに、こっこはわらすの足にしがみついた。
わらすはこっこの頭を撫でながら、優しく言い聞かせる。
「ダメだよ、わんわん。ママのところへお帰り」
「くーんくーん……」
しかし、こっこはわらすから離れない。
このやりとりを見て、私は深々とため息を吐く。
「あのね、私は『飼っちゃダメ』なんて、ひとことも言ってねぇべや。『育てられんの?』って、聞いたのよ。ちゃんとお世話出来るんなら、飼って良いわよ」
「え? 良いの?」
私は力なく笑い、わらすとこっこの頭を優しく撫でて、念を押す。
「いい? このワンコだけだからね? 次、拾ってきても飼えないからね?」
「やったぁ! あぃがとぅ、お姉しゃんっ!」
わらすは大喜びで、こっこを抱き上げた。
「わんわん! これから、よろしくねっ!」
こっこも嬉しそうに「わんっ」とひと鳴きし、わらすの顔を舐めながら、しっぽをブンブン振った。
これから毎日、わらすとこっこがじゃれる光景が見られるなんて、めちゃくちゃ幸せなんだけど。
ここが、天国か。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、申し訳ございません。