炎と雨
Don’t shoot it at people, unless you get to be a better shot.
(決して人に向けて撃つな、撃たれてもいいという覚悟がなければな)
【憎悪】
凄まじい(モノスゴい)音を立てて、柱と屋根が崩れ落ちた。
なおも、炎は勢い良く燃え盛っている。
狼の遠吠えは、確かに家の中から聞こえていた。
あの中には、Feliciaとワンコがいた。
私はただ、ふたりを守りたかっただけだったのに。
だから、寝室に匿った(見つからない場所で保護した)。
人間に侵入されないように、扉にも窓にも厳重にカギを掛けた。
フェリシアには、「何があっても、絶対ここから出るんじゃない」と、言い聞かせた。
まさか、その全てが仇になる(好意でやったことが、悪い結果になる)なんて。
フェリシアは、私のせいで逃げ遅れた。
私が……殺した。
急に、全身から力が抜け、その場に座り込んだ。
今更、どうしようもない、どうすることも出来ない。
罪悪感に、苛まれる(自分が悪いことをしてしまったという気持ちに、悩み苦しむ)。
私の罪を代弁(本人に代わって弁償する)するかのように、激しい雨が降り始めた。
いや、不甲斐ない(情けない)私を責めているのか。
大粒の雨が、私の体を叩いている。
滝のような大雨なのに、ガソリンの火はなかなか消えない。
まるで炎が、私を拒むかのように。
燃え続ける炎の中で、積み重なった真っ黒に炭化した木材の山が見える。
ふたりはきっと、あの下にいる。
今は、ふたりとも生きてはいまい。
可哀想に。
いくら後悔しても、しきれない。
こんなことで、ふたりを失うことになるなんて。
守りたかった、守れなかった、ふたつの幼い命。
さぞかし熱かっただろう、苦しかっただろう。
苦しみ抜いて死んでいくふたりを想像したら、胸が張り裂けそうだ。
フェリシアとは、もう二度と会えない。
ワンコとも、会えない。
ふたりがじゃれ合う、微笑ましい光景も見られない。
ふたりを抱っこして、愛おしそうに笑うケントも見られない。
四人で、楽しく笑い合うことも出来ない。
幸せだった日々は、もう戻らない。
「せめてふたりが、少しでも苦しまずに死ねていたらいいな」と、願う。
深淵(とてつもなく深い場所)のような、深い悲しみにとらわれる。
堤防が決壊(水の圧力に耐えられず壊れる)したように絶え間なく溢れ出る涙は、雨と同化して地面へ流れ落ちていく。
悲嘆(悲しみなげく)に暮れて震える私の肩に、Kentが手を置いた。
「人間どもを、滅ぼすぞ」
怨恨(深い恨みの感情)がこもった、かなり低い声。
見上げると、ケントが全身に憤怒(激しい怒り)を帯びていた。
コイツの「人間を滅ぼしたい」って言葉は、数えきれないくらい聞いたけど。
ここまで怒りを露わにした形相(恐ろしい顔)は、初めて見た。
フェリシアとワンコの命を、人間どもに奪われて、怒り狂っている。
フェリシアに至っては、理不尽に心を殺された上に、命まで奪われた。
とても許せるものではない。
ケントを見て、私も人間どもへの怒りが、腹の底から湧き上がってきた。
人間どもが、森にガソリンを撒いて火を放った。
人間どもが来なければ、フェリシアとワンコは死ななかった。
人間どもは今もなお、森を破壊し続けている。
愛する我が子を、殺した人間どもは許さない。
怒りにより、体に熱い力が宿る。
メソメソするのは、もうやめだ。
ふたりの仇を討つ(恨む相手に、復讐をする)。
うちの子達を殺したってことは、殺されたって文句言えないわよね。
「Don’t shoot it at people, unless you get to be a better shot. (撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるヤツだけだ)」という、有名な言葉がある。
レイモンド・チャンドラーが書いた、ハードボイルド小説「大いなる眠り」に出てくる探偵、フィリップ・マーロウの名台詞。
この言葉の真意(本当の意味)は「自分が撃たれたくなければ、人に向かって撃つな」
人間どもは、撃たれる覚悟もねぇのに、撃ちたがるバカが多すぎる。
実際に、撃たれてみるまで、撃たれる苦痛が分からない。
撃たれて初めて、撃たれる恐怖と苦痛を思い知る。
「人は撃ちたいけど、自分は撃たれたくない」なんて、ふざけんじゃないわよ。
だったら、私が「撃たれる苦痛」ってヤツを、人間どもに教えてやる。
その身を以て(自分の体で)、思い知るが良い。
ゆらり(ゆっくりと、ひと揺れする)と、体を起こし、立ち上がった。
私とケントは、焼け落ちた家を後にした。
全てが終わったら、フェリシアとワンコの遺体は、手厚く供養してあげよう。
【家が焼け落ちる数十分前】
ここにいたら、フェリシアが燃えてしまう。
こうなったら、仕方がない。
先に、床にクッションを落として、その上にフェリシアを落とそう。
ごめん! フェリシアッ!
痛いかもしんないけど、我慢して。
フェリシアの服を咥えて、ちょっとずつ引っ張って、ベッドの上からフェリシアを床へ落とした。
ドスンッと、思ったより大きな音がした。
うわっ、痛そう。
大丈夫だったかな、これ。
ちゃんと、クッションの上には落ちたけど。
起きなかったってことは、痛くなかったのかな。
フェリシアの顔に鼻先を近付けてみると、ちゃんと息をしている。
良かった、生きている。
あとは、フェリシアを引っ張って、外へ出るだけだ。
そう思って、見回してみたら、いつの間にか、周りを火に囲まれていた。
パチパチと音を立てて燃える火が、熱くて怖くて近付けない。
出られそうなところは、どこにもない。
「きゅ~んきゅ~ん……っ!」
なんだかやたら熱くて、ハッハッと荒い息を吐きながら、舌を出す。
自分を落ち着かせようと、乾いた鼻を舐めた。
いくら舐めても、不安や恐怖は収まらず、ちっとも落ち着かない。
舐めても舐めても、周りが熱いからすぐ乾いていく。
どうにか、フェリシアをベッドから下ろせたのに、逃げられない。
ごめん、黄目。
約束、守れなかった。
ひとりじゃ、フェリシアを守れない! お願い、誰か助けてっ!
「わぉおおおおおおおおおぉ~んっ!」
上を向き、助けを呼ぶ為、懸命に遠吠えをする。
大好きなフェリシアを、死なせたくないんだ!
フェリシアを助けてくれっ!
祈りながら、吠え続ける。
どうか、この声が赤目と黄目に届きますように。
その時、不思議なことが起こった。
突然、おれを中心に、不思議な緑の光に包まれた。
まるで、緑のボールの中にいるみたい。
なんだこれ?
ワケが分からず、首を傾げる。
「わぅん?」
吠えるのを止めたら、「緑の」が消えた。
なんだか分からないけど、「緑の」は、おれから出ていたみたい。
もう一度、吠えてみる。
「わんっ!」
あれ? 今度は出ない。
なんだったんだ? 今の。
いやいや、そんなこと考えている場合じゃない。
早く、助けを呼ばなければ。
「助けて」と、想いを込めて遠吠えをしたら、またさっきの「緑の」が出た。
どうやら「助けて」って、お願いしながら遠吠えすると、「緑の」が出るらしい。
でも、なんで?
よく分からないけど、悪いものではない気がした。
この「緑の」がなんであろうと、助けを呼ぶのが先だ。
しばらく吠え続けているうちに、気が付いた。
「緑の」の中には、火と煙が入って来ないし、熱くもない。
もしかして、「緑の」がおれを守ってくれているのか?
ってことは、これさえあれば、フェリシアを守れる。
これで、おれもフェリシアも、助かる。
もう、怖くない。
おれは嬉しくなって、フェリシアの側で遠吠えし続けた。
【温かい水】
上から温かい水が、いっぱい落ちてくる。
水のおかげで、だんだんと周りの火が小さくなってきた。
これなら、もうすぐ火は消えるだろう。
良かった、これでやっと遠吠えを止められる。
口を閉じると、おれとフェリシアを包んでいた「緑の」が音もなく消えた。
やれやれ、疲れたな。
遠吠えって、結構体力使うんだよね。
ずっと休まずに吠え続けてたから、もうクタクタ。
喉も嗄れて痛いし、喉も渇いた。
水が飲みたい。
ちょうど、近くに水たまりがあったから、その水を飲む。
うげ……なんだこりゃ?
臭いし、苦いし、変な味がして、めちゃくちゃマズいんだけど。
とても飲めたもんじゃなくて、ペッペッと吐き出した。
上から水が、ざぁざぁと音を立てて落ちてくる。
あ、これで良いじゃん。
上を向いて、大きく口を開けると、水が口に入ってきた。
ざぁざぁの水は、なかなか飲むのが難しかったけど、どうにか飲めた。
もういいよ、水を止めてくれ。
こんなにたくさん、いらない。
体がぐっしょり濡れて、毛が張り付いて気持ち悪い。
ブルブルしても、どんどん水が落ちてくるから、キリがない。
これじゃ、フェリシアが濡れちまう。
そうだ! フェリシアは無事かっ?
すぐ側で寝ている、フェリシアの顔をペロペロ舐めてみる。
でも、フェリシアは起きない。
困ったな、いつ起きるんだろ。
フェリシアが寝てると、つまらない。
なんだかおれも、眠くなってきた。
ずっと吠え続けて、疲れたんだ。
とりあえず、フェリシアを守れたから良いや。
フェリシアが少しでも寒くないように、ぴったりとくっついて寝る。
くっつくと、あったかい。
おやすみ、フェリシア。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
不快なお気持ちになられましたら、申し訳ございません。