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7.

 二週間が経った。

 慧一とはメールすら接触していない。

 今までだって些細な事での口喧嘩は良くあることで、一週間何も連絡しなかった時もザラにある。

 そんな時は必ず慧一の方からなんらかの行動があり、先に謝るのも彼の方だった。

「紫乃はプライドが高いから、自分が悪いと思っても自分からは絶対頭を下げたりしないだろう?俺は別にそこは拘らない性格なんだ」と、彼は笑った。

「だけど、俺はそういう紫乃が好きなんだよ。おまえの美しいところだと思う」

 …「好き」だと言ってくれた。「美しい」と言ってくれた。

 そこの言葉に嘘はないはずだ。

 俺は、この二年間ずっとあいつを見てきた。

 慧一の暗い部分だって知っていて、見て見ぬふりをしてきたのは自分だ。だけど、そこを含めての宿禰慧一という男を好きになったはずだ。

 今更あいつがどんな環境で育ってきたからとか、極度のブラコンだからって、簡単に嫌いになるような想いじゃないはずだ。


 慧一からの連絡はいくら待っても来ない。

 このまま終わってしまうんだろうか…こんなことで終りにしてしまう「恋」だったんだろうか…

 こんなに「好き」なのに…


 携帯のボタンを押す。

 このままじゃ納得いかない。


『…はい』

「慧一…俺」

『うん』

「この間は…俺も言葉が過ぎたよ、ごめん」

『…いや、俺も色々言いすぎた。悪かったと思ってる』

「…」

 嘘付け。悪いと思っているならおまえから連絡するはずだろう…

『紫乃…会って話さないか?』

「別れ話なら嫌だよ」

『俺も…離したくないよ、おまえを』


 天上に瞬く数万の星の下で、俺たちは寝転びながら、話をした。

 色々な話だ。

 出会ってから二年間俺たちに何があったのか、そして心にあるわだかまりや過去の鬱屈としたトラウマ的な事まで。

 俺には慧一に知って貰いたいことが沢山あった。

 隠し立てするようなものさえ、慧一には見てもらわなければならない気がしたんだ。

 それを理解してもらおうとか、慰めてもらおうとか、そういうものを望んでいるんじゃない。

 差し出す手はお互い同等でなければならない。

 俺は慧一のことを良く知らないまま、この先付き合っていくのは不安だった。


 慧一の話は複雑だった。

 慧一が十四歳の時、彼の母親が亡くなり、ひとつ下の妹とその時五歳だった弟、凛一の世話にかかりっきりになったそうだ。

 父親は一年ほど日本に居たが、仕事で多忙の為、朝から夜遅くまでいない。

 お手伝いさんも凛一の世話を親身になってしてくれるわけでもない。

 学校から帰ると凛一はいつも寂しがって泣いていた。

 慧一は部活や友達とさえ交流のないまま学校生活を過ごした。

 神経質で疳の強い凛一はひとりで寝るのを怖がって嫌がり、結局ふたりはかわるがわる交代で凛一と共に寝ていた。

「凛一がどうしようもない甘ったれだと思っても、俺たちは可愛いと思ったし、俺たちしか守れないと思うと…よけいに彼の面倒を見るようになった。あいつはああいう見掛けだから心配もあったんだよ。誘拐されないだろうか、変なイタズラをされないだろうかって。大人だったらもっと別な教え方があったのかもしれない。でも…俺たちはあいつを守ることで精一杯で…どこがどう間違っているのか判らないまま、育ててしまってね…ある時、梓は言ったんだよ。俺が凛に欲情してるって。…そんな事があるかと思ったね。実の弟にそんな気持ちなんかわかないって。でも…怖くなったんだよ。絶対的な信頼で俺に…近づく凛一が…急に恐ろしくなった。だから…距離を置いたんだ。俺は…あいつの前では逆らえない。あいつが何を求めても、俺はそれを与えてしまう。だからもう…」

 慧一は黙りこくったまま、後はなにひとつ口を開かなくなってしまった。


 俺は投げ出された慧一の手を繋いだ。

 このどうしようもない性を持った慧一が、俺には必要だと思ったからだ。

 哀れみでも蔑んだりしているわけでもない。

 人間とはそういうものだとわかったからだ。

 俺は慧一の見かけに惚れたんじゃない。

 宿禰慧一という人間が好きなんだ。


「慧一、俺の気持ちは変わらないよ。おまえが好きだよ」

「紫乃、いいのか?おまえを幸せにできるかどうか…俺に確証はないんだよ」

「そんなもん…求めてない。求めているのはおまえという存在だよ。慧…」

俺を抱く慧一の腕は、少しだけ震えていた。



 夏になり、俺は実家に帰省した。

 弟の正式な跡目の襲名が執り行われ、俺もその大事に奔走した。

 わだかまりが全く消えたわけではなかった。しかし、育ててくれた恩は彼等には充分に報いたい気持ちがあった。

 俺は恵まれている。

 育ての親は不器用ながらも俺を愛してくれた。祖母は精一杯の愛情を見せてくれた。弟には何の罪もない。これからこの流派を守っていく重荷はあるだろうが、俺が少しでも助けになるなら、力になりたいとさえ思っている。

 自分がこんなに変われたのは、自分ひとりの力ではないことも判ってきた。

 人間は変われる。

 俺も、慧一も、凛一も…そう絶対に変われるんだ。


 夏休みも終わりに近づき、明日は東京に戻るという夜に、慧一から電話があった。

酷い声だった。

「慧、何かあったのか?」

『紫乃…俺、アメリカに留学する』

「え?」

『向こうの大学院に行くことにする』

「おまえ、こっちの大学に残るって決めてたんじゃないか」

『前から誘いがあってはいたんだ。いい機会だから向こうの大学院に行くことにしたよ』

「ちょっと待てよ…凛一は、どうするんだよ。連れていくのか?」

『…あいつの事はもう知らない』

「…知らないって…」

『紫乃の言うとおりだよ。大人になったから俺はいらないって…言われた…』

「慧…」

『そういう事なんだ。急で悪いけど、暫く会えないから』

「待ってくれよ」

『俺より好きな奴が見つかったら…忘れてくれていいから…』

「なっ…」

 そう言って携帯は切れた。

 …一方的な言い草もここまで来ると笑うしかないんじゃないか?

 凛一になんか言われたくらいで自分の運命変えんなよ。子供か?全く馬鹿な話だ。

 しかも好きな奴が見つかったら、忘れろって?

 本当に…本当にしょうがない奴だよ、おまえは。


 それでも…少しも嫌いになれないのは…これはもう…神様のイジメにしか感じないんだがね。



 愛とは恐れ無きもの。完全な愛は恐れを取り除く。と、神は語る。

 いや、違う。

 愛とは、恐れながらも手放せないものなのだ。



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