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5.

 俺と慧一が本格的に付き合い始めたのは、蒸し暑い夏の始まりの頃で、さそり座のアンタレスが妙な色気で輝く夜を、俺たちは地を這うように何時間も楽しんだ。

 秋が近づく頃になると、お互いの家を行き交うのが当たり前になり、「まるで紫乃と同棲しているみたいだな」と、今更ながら慧一が笑うのを、俺は複雑な想いで受け止めていた。


 慧一の家に俺が泊まる割合が比較的多く、それは慧一の勉学の所為でもあった。

 慧一はワーカーホリック気味なところがあり、建築の構造力学からデザインまでをトータルで修学しようと励んでいた。

 色々なコンペティションにも応募し、評価されていた。


 一晩中でも机やパソコンに向かう慧一の背中を見ている時間でさえ、俺は別に苦ではない、寧ろ楽しくさえあった。熱中する慧一の横顔はこの上もなく綺麗だから好きなんだ。


 恋人としての慧一には、俺は何の不満も無く、誠意を尽くしてくれる姿勢に感心することしきりだった。

 彼に愛されていると感じることも少なくない。だが、俺は慧一の言った「本気になったことはない」という言葉が気になっていた。

 彼は今まで付き合ってきた恋人にも、同じように接して来たんじゃないのか?

 俺は本当に彼の「本気」の存在であるのか?

 答えを求める勇気は俺にはなかった。

 俺の方が完全に慧一にのめりこんでいるのは明らかだったし、そのことを追及して、この関係が壊れるのを俺は恐れていた。


 慧一には母親がいない。父親は単身で外国暮らし。ひとつ下の妹と九つ違いの弟がいる。

 彼の実家は一人暮らしのマンションから一時間程度しか離れていない。大学へは無理をすれば実家からでも通える距離なのに、と思う。しかも妹とまだ小学生の弟を置いて一人暮らしなど、不安などないのだろうか、と思い尋ねると「妹がしっかりしているから」と濁された。

 さほど愛していないのかと思うと、逆だ。


 慧一は妹と弟の携帯の連絡には異常に反応した。

 時にはやっている途中でさえ、彼等の呼び出し音が鳴ると、即中断してでも携帯に出るのだ。極まっている俺のことなど眼中にない如くにだ。


 そして今、また携帯が鳴った。

「マタイ受難曲」…これは妹、梓のメール音だ。因みに弟の凛一はメサイヤの「ハレルヤ」。

 メールを見ながら、慧一は苦笑した。俺には向けない顔だ。

 そこには「愛」があるのがはっきりとわかる。嫉妬しても仕方ない。

 血は水より濃いものだからな。


「妹から?」

「そう、見るかい?」

「いいの?」

「大した写真じゃないんだ。只…クリスマスの余興の…練習風景」

「へえ~おまえの家、クリスチャンなのか?」

「いや、梓がカトリック系の学校だったので、そういう趣向で過ごしたがるんだよ。クリスマスには絶対帰ってこいっていう脅しだな」

 そう言う慧一から携帯を受け取る。


 液晶画面を見ると、ベールを被った女の子が顔を少し傾げながら祈るポーズを取っている。

 妹の梓を初めて見た。少女めいた顔立ちなのにどことなく大人の女性の色気がある。くっきりとしたアーモンドの瞳は慧一に似ていたが…だが、全体の顔のつくりは慧一似では無い。

「綺麗な妹さんだ」

「男にも女にもモテるそうだよ」

「でも慧にはあまり似てないね」

「父方の祖母似だね。祖母はかわいらしい面立ちだったよ。昔の写真で見た限りでは」

「…弟は?」

「…凛一?」

「そう、おまえに似てるの?」

「俺は似てると思わないがね、回りはみんな口を揃えて似てると言う」

「見たい気がする」

「次の画面を見ればいい…」

「うん」

 慧一の了承を得て、俺は携帯の次画面を押した。


 …弟の凛一がいた。

 今度は天使の格好をさせられている。白い服を着て百合の花を手にこちらに向かって微笑んでいる。

 真っ直ぐに肩まで伸びた黒髪。

 まだあどけなさの残る男か女か全く判断のつきかねる…綺麗な顔。

 確かに慧一に似ている。決定的に違うのは…


「どう思う?」

「なに?」

「それを見て、凛一を抱きたいと思うか?」

「…待ってくれよ。おまえの弟だろ?まだ…」

「十一だよ」

「やめてくれよ。犯罪じゃないか」

「俺は十三で経験しているんだぜ。自分で求めりゃ犯罪じゃない」

「弟だろ?」

「勿論俺にとっては血の繋がった弟でしかない。だから俺は汚せないのさ。だが、俺と梓が慈しんで育てた凛一を他人がどう思うかには興味あるんだよ」

「…よくそんな平気な顔で言える」

「五歳で母親を亡くしてから、俺と梓は親代わりだ。どこでどう間違えたんだか、天使に育ってしまったらしい。この先どうしていいのか俺にもわからなくなる時があるよ。手放すには惜しくなってしまっているからね」

「…おまえが家に帰らない理由って…それか」

「…純粋なる魂がそこにあるんだよ。それに触れるのは覚悟がいる…あいつの傍にいると…疲れるんだ」

「弟だろう…弟はおまえを頼っているんだろう。愛してないのか?」

「愛とは何か?…俺にとって親愛とか慈愛とか…そんなもんじゃない。…そんなんじゃないんだよ…」

 俺には慧一の抱えている暗闇の形には全く触れることが出来ないと感じた。

 この男とその家族の関係は、他人が触れてはいけない聖域ではないだろうか…と。


 家族の事に触れたのはそれきりで、俺はもう一切慧一の暗闇には目を向けないでおこうと決めていた。それが俺たちの未来を隔てるものであっても、俺が暴くものではないとも判っていた。


 そうして表面には蜜月ともいう日々が続き、翌年の秋も深まりつつある晩、予想もしなかった事件が起きる。


 たまたま慧一は携帯をマナーモードにしていて…わからなかったんだ。

 俺たちはいつものようにお互いを求め合って絶頂に達していた。

 事後、慧一は携帯の受信に気づき…それに目を通した瞬間…唸るように呟いた。


「ウソだ…」

「…どうした?慧一」

「…あ、梓が…死んだ…」

「…」


 慧一の言葉に俺は深く項垂れ、続く言葉は無かった。


 俺と慧一の蜜月は終わったと感じた瞬間でもあった。


 そして…こういう時が来るのを、どこかで予感していたのも事実だった。



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