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あれから三週間になるが、慧一からはなんの連絡もない。
あの後一緒に昼飯を食べて大学で別れた。
あまりに舞い上がっていたからだろうか、携帯の番号もメルアドも聞くのを忘れ、勿論向こうが知るわけも無く、こうして置いてきぼりを食らった子供みたいに落ち着かない心持ち。
二度三度、慧一のマンションに行ってはみたが、号数もわからず、さりとてどのツラ下げて慧一の前に出ていいのかさえ判らない。
抱かれに来ましたとでも言うのか。そしてあれはその場しのぎで言ったまでだよ。おまえしつこかったから、とでも追いかえられるのがオチだ。
確かに、寝てくれなどと恥も外聞も無く言った俺が今になって恨めしい。
言い訳する権利をもらえるならば、
あの時は…酔いが醒めていなかったんだよ。
もう半分諦めかかった頃、俺の携帯が鳴った。
誰からの電話か、わからないままに出る。
「もしもし、紫乃?」
紛れも無く慧一の声だった。
「あ、あ、…す、宿禰?」
「そう、久しぶりだな」
「久しぶりっておまえ…なんで携帯の番号…」
「サークルの名簿で調べたんだよ。ごめんな、レポートが立て込んじゃってて、おまえをほっといてて」
「あ…うん、いいよ。それよりどこ?」
「今大学の駐車場。これからデートしないか?」
「え?いいの?」
「恋人同士だろ?俺たち」
「認めてくれるのか?」
「キスまでした仲なのに、つれなくないか?」
「ごめん」
それから宿禰の待つ駐車場に行くまでが大変だ。
とてもじゃないが、口元が緩んで仕方ない。
慧一とデートだなんて、思いがけない幸運。まったく運命の女神も捨てたもんじゃない。
駐車場で待っている慧一を見つける。慧一は自分の車で来ていた。
慧一らしいというからしくないというか…ミニクーパーサルーン。なんとも…これでふたりデカイのが乗るだけで変な感じがしておかしかった。
狭っ苦しいのにも全く関係なく、慧一は気分良く鼻歌なんぞ歌っている。
「天気が良かったら天文台まで飛ばすのになあ~贋の星空で我慢してくれよ」
「いいよ。プラネタリウムなんて…小学生の時以来だよ」
「昼寝するのには便利な休憩所」
「デートなのに寝るのか?」
「今日は初デートだからなるだけ我慢するよ」
そう言いつつ、投影が始まると五分と持たず、慧一は俺の肩に凭れて寝てしまった。
投げ出された左手をそっと自分の手と絡めた。
ほら、デートしているカップルになったろ?
「ヴェガとアルタイルの話なんて聞き飽きただろうけど、ああいう神話にこそ案外真理が隠れてんだぜ、紫乃」
寝ていると思った慧一が耳元で囁いた。
絡めた手を自分の口唇に押し付け、「アリアドネの口付け。おまえが迷わないように…」などと甘く囁くのだ。
…おそろしい奴。
腹が減ったというので、ファミレスにでも行って簡単に済ませるつもりが、奴は折角のデートだし、紫乃を待たせた償いもさせてくれと、だから俺が奢ると言いつつ、高級そうなホテルでフランス料理を味わってそのままそのホテルの部屋に泊まることになった。
「慧一はブルジョワなのか?」シャワーを浴びてバスローブを羽織っただけの姿でふたりで軽くワインなどを飲んでみる。ま、格好だけね。
「いや別に金目のもんには興味がないんだが、なんでもうちのじいさんが豪商で酒作りをやっていたらしい。それでなんかしら経済的には余裕って話で。でもどこまでが本当かね。親父は単身で外国に行ったっきりだぜ?生活費を稼ぐ為に必死こいてる身だもん。本物の財産家じゃないね。紫乃の家の方が格式あるし、それはそれで大変そうだ」
「まあね、でも俺はもう跡目は継がなくていいし、気軽でいいよ」
「重荷は少ない方がいいんだけどね…血縁関係はなかなか切り捨てられない」
「なに?」
「別に…それより紫乃。俺と寝たいんじゃなかったのか?」
「おまえはどうなんだ?」
「俺?そりゃこんなに綺麗な奴を目の前にして何もしなかったじゃ、甲斐性無しと罵られても仕方ないんだろうがねえ…紫乃をいい気持ちにさせてあげられたら、褒めてくれよな」
そう言ってさし伸ばされた手の平を、俺はしっかりと繋いだ。
慧一は言葉どおり、俺を天国に連れて行ってくれた。
慧一の口唇が俺の身体のどこかに触れるたびにそこが腫れ上がる気がした。混じりけの無い官能的感受性。肉体の本質から根こそぎ変えてしまわれる様な苦痛と快感にもがいているような気がした。
こんなセックスなどしたことはなかった。
これまでにしてきた決して少なくない性体験の中で、こんなに自分が翻弄されることは一度も無かった。
俺はそら恐ろしくなって、俺を抱いているこの男をまざまざと見つめた。
俺と同い歳で、俺と同じようなガタイで、俺とは全く質量も許容量も違う。
恐れなど微塵もしらない純粋な人間の魂に触れた気がする。
それと同時にこの猥雑な行為を悪魔の如く楽しんでいる気がして、俺は正直恐れ戦いた。
「お、まえどんだけ経験豊富なんだ、よ」「褒めてんの、ソレ」「ちょ、死ぬ」「紫乃とだったら俺満足するかも…」「や、慧…」「怖くなった?」「違う…良すぎて、死ぬ…」「俺も最高だよ、紫乃…」
完璧に圧倒された。
必然であれ、偶然であれ、俺は宿禰慧一という男に出会えた運命に感謝する。
大いなる希望であり、情熱の底辺を担う存在であった。
今まで昏い海の底をひとり漂いでいた俺が、光輝く宝玉を掴んだ気がしたんだ。
この先何があろうとも、俺はおまえを拒絶したりしない。絶対に…




