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歓迎コンパの夜、高校出たての新入生同様、俺はグデングデンに酔っ払ってしまい、ひとりでは到底歩くことも出来ない有様で、宿禰慧一に身体を支えてもらってなんとかふらつきながら居酒屋を後にした。
「ごめん。おまえ強そうに見えたから、調子に乗って飲ませすぎたな」
「い、いい…大丈夫…」
いや、全く大丈夫どころじゃない。吐いても吐いても気持ち悪さでどうにかなりそうだ。そういや暫く酒も絶っていたから、こんなに飲んだのは久しぶりかも…
などと、あんまりはっきりしない頭で考えていると、
「おまえのアパートどこ?」と、俺の肩を抱えたままの宿禰が言う。
「え…神楽坂」
「じゃあ、俺の方が近いな。今日は俺の家に泊まるといいよ」
「…ああ…」
何だか思いもかけない方へ向かっているじゃないか…身体は思い通りに動かないがこれも神様の思し召しなのか、ラッキーな夜に感謝感激って心境で、俺はこのまま宿禰の胸にしがみ付きたい衝動をなんとか抑えた。
「やっと着いた。おい、紫乃大丈夫か?」
「ああ…うん」
宿禰の家はアパートというより、オートロックのついた高級そうなマンションで、ひとりで住むには少し広めの部屋だった。
俺は寝室に連れて行かれ、そのままベッドに寝かされた。
「お客さん用は残念ながらないんでね。悪いけど俺のベッドで我慢してくれよ」
「…おまえは?」
「リビングのソファで寝るから大丈夫。気分が悪くなったら言ってくれ。遠慮はするなよ。先輩として責任は取るよ」
先輩としてか…まあ、いいさ。まだ二回しか会っていないのに、相手の家にお泊りなんてのは上手くいってるって思っていいんだろ?
…向こうがノンケじゃしょうがないがな。
そう思って目を閉じると、急速に睡魔に憑かれた俺は夢の中に呼び込まれ、意識を失った。
朝、珈琲の香りで起きた。
ベッドから降りた途端頭がガンガンし、ようやく自分が二日酔いの症状だと気づく。
ふらふらしながら寝室を出ると、ダイニングに座って珈琲を飲んでいる宿禰と目が合う。
「起きた?気分は?」
「…グラグラする」
「仕方ないな。二日酔いなんだから」
それは俺も良くわかっている。今後の為に勉強になったよ。
「シャワーでも浴びれば?下着とシャツは貸すから」
「…知り合ったばかりなのに、そこまで親切にされると裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうね」
「友達になりたいという裏はあるよ」
「…」
友達かよっ!
…どこまでが本心か判断のつき兼ねるところまでさえも、胸がなるって事は相当重症だ、俺。
シャワーを浴び、用意されたスウェットに着替える。リビングに行くと見計らったように珈琲を出される。
「砂糖もミルクも入れない派だろ?」
「…うん」
「二日酔いだからアメリカンにしといたよ」
「ども…」
二人掛けのダイニングテーブルに座り、珈琲を飲みながら、目の前の奴をちらちらと見る。
「今日は講義はあるの?」
「3時限から」
「俺も同じだよ。昼飯は一緒に食おう。軽い奴」
「…うん」
なんか都合よく引っ張られている気がする。こいつは別に俺じゃなくても誰にでもこういう風に接しているんだろうな。
…そう思ってしまうと、あんまり気分は良くない。
「どうした?気分でも悪いのか?」
「…あんた、誰にでもこういう風に親切なのか?」
「誰にでも…ってわけじゃないよ。でも後輩が酒飲んでぶっ倒れりゃ、先輩としてはそれなりの介抱はしてやるもんだろ?」
「…俺は…ゲイだよ。こんなこと知り合ったばかりの先輩に言うのは気色悪いと思うだろうけど…だぶんおまえが好きなんだ。だからこういう事をしてもらうと…その気になってしまう。気持ち悪かったらごめん」
「別に、気持ち悪くないよ。俺もゲイだから」
「は?」
…マジで驚いた。何処をどう見てもノーマルにしか見えないじゃないか。
その顔は詐欺だ。
でも…こんな嬉しい偶然ってあるかよ。
「紫乃を見てすぐゲイだとわかったけどね。おまえ見るからにそうだもん。でも、おまえプライド高そうだし、タチだろ?俺もそうだから恋人には無理かなと思った。でもいい友達になれそうな気がしたんで、声をかけたんだよ。誤解させて悪かったな」
「いや、正直嬉しかった、おまえに声をかけられて…」
テーブルに置かれた慧一の細く長い指を見る。
細いクセにどこから見ても紛れもなく男の手で、その指で触られたら…と思うと、ザワリとした。
「…おまえが俺のことをそういう風に思ってくれるのは嬉しいけど、自分の倫理を曲げてまでやりたいとは思わない方がいいぜ」
「…倫理なんてもん…ないよ。俺は…おまえになら、別に抱かれてもいい…って」
「紫乃は寂しいだけなんじゃないのか?俺じゃなくても他に可愛い子は沢山いる」
「どういう意味?」
「無理に下にならなくてもいいだろうって意味だよ」
「俺が誰とでも寝ると思っているのか?」
「…悪い。そんな意味で言ったんじゃない。俺もおまえが好きだと思う。だけど、おまえとしたら本気になりそうでちょっと…逃げ腰になりかけてるよ」
「本気じゃダメなのかよ」
「なったことがないから判らない」
「じゃあ、試してみないか?」
慧一の指に触れてみる。
一瞬だけ震えたが慧一は引かなかった。
そのまま指を絡めると慧一は指から俺に目を移し、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「知り合って翌日に深い仲になるのか?」
「二日目じゃない。白状すればあの時、桜の下で出会ったときからずっと…おまえが好きだったよ」
「…」
「慧一、俺おまえと寝たい」
俺の告白に慧一は二、三度目をパチパチと瞬き、その後苦笑した。
俺の絡めた指を逆に握り締めると、
「…わかったよ、紫乃。本気の付き合いをやってみよう。後悔をしてもおまえとなら意義あるものかもしれない」
「後悔はさせないよう努めるよ」
「よろしく頼むよ。でも今はやめとこう。おまえを押し倒してベッドで吐かれても困る」
「確かに…否定はしないよ」
クスリと笑うと、慧一はテーブル越しに、俺にくちづける。
慧一との初めてのキスは少し苦い珈琲の味がした。
これが青春の苦味なのかも知れない。
暗い青春時代しか味わえなかった俺は、これから遅い春を満喫することになるらしい。
願わくば、この恋が嵐に散ることなかれ、と。




