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以下の小説と連動しております。


宿禰凛一編は「one love」

http://ncode.syosetu.com/n8107h/

兄の宿禰慧一編は「GLORIA」

http://ncode.syosetu.com/n8100h/

凛一の恋人、水川青弥編は「愛しき者へ…」

http://ncode.syosetu.com/n0724i


9、

 夕刻まで待って、なんとかもう一度タンデム飛行ができることになった。

 二度目は少し余裕が出来た所為か、最初よりも断然楽しめた。

 啓介は風具合を見ながらも、「サービスだよ」と、一時間近くフライトを続けてくれた。

 西に傾いていく太陽を、何の遮るものもない空から見る景色は格別だ。

 なんども息を呑むような心踊る爽快感を味わった。

「どうしよう。ちょっとした好奇心だったのに…もっとずっと飛んでいたくなるじゃないか」

 啓介と一緒に翼をたたみながら、名残惜しさが口に出た。

 啓介は「また一緒に来ようよ。今度は本格的に紫乃ひとりで飛ぶ練習をしよう。ふたりのフライトと違って自分で空の道を選んで飛ぶんだよ。俺はいつだって紫乃のお供をするからね」と、俺を慰めてくれた。

 これではどちらが年上かわからないと、俺も自重した。


 山から下りて東名高速に乗る頃にはあたりも暗くなり、また行楽日和の為か渋滞に巻き込まれてしまった。

「どうする?」

 サービスエリアで一服しながら、少し疲れのみえた啓介が俺を見る。

「箱根辺りに一泊するか?」

「え?いいの?」

「啓介は疲れている上に、長時間運転させてしまっているからね。俺が奢るよ。さて、良い宿が空いているかなあ」

「俺、探してやるよ」

 言うよりも早く、携帯を使ってあっという間に幾つかの宿をピックアップしてきた。

 そのひとつに連絡してみると、ちょうど一室空きがあるという。

 予約を取り、箱根湯元に向かって車を走らせた。


 なんとか夕食の時間にも間に合い、温泉に浸かって昼間の疲れをゆっくり癒した。

 部屋へ戻ってみると、先に湯から上がった啓介が、案の定、敷かれた布団の上でぐっすりと眠りこけている。

 せっかくの夜だ。こちらだって相手になってやろうと思わないでもいるのに。

「啓介らしいな…」

 エアコンが効いた部屋の温度は湯上りには気持ちがいいが、そのままでは身体が冷えてしまうだろう。

 エアコンを切り、窓を開けた。昼間の暑さはすっかり引いて、虫の声が聞こえた。

 浴衣一枚だけで寝込んでいる啓介に羽織を掛け、その隣りに俺も寝てみた。


 少しだけ濡れた髪にそっとタオルを押し当てた。身体の汗は引いていた。

 じっと寝顔を見つめる。

 健康的に焼けた肌、整った鼻梁に人の良さが滲む口元。しっかりと弧を書いた眉も男らしい。長い睫が頬に影を映す。

「男前だな、啓介。引く手あまたじゃないか。俺みたいなおじさんより、若くて良い子は沢山いるぞ」

 独り言を呟いてみた。

「紫乃が良いんだよ」

 口元が動いた。

「起きてたのか?そうならそう言えよ」

 バツが悪く起き上がろうとする俺の腕を掴んだ啓介は、俺の身体を抱きとめた。

「このまま寝て朝を迎えちゃったら、一生後悔するに決まってるだろ?紫乃が誘ってくれたんだ。朝まで寝かせないから」

「バカだね。俺もおまえも疲れてんだ。そんなにもたないよ。やるんならさっさとやって寝ちまえよ」

 腕の中でもがいて離れようとした時、啓介の浴衣の裾が大きくはだけて、右の太ももから膝までの痛々しい傷跡が目に留まった。

「啓介…これは?」

 大浴場では客も多かったから、傷跡には気づかなかった。

 ケロイド状に斜めに走った傷跡にそっと触れてみる。

「ああ、これ?名誉の負傷だよ」

 相当に酷い怪我だったろうとひと目でわかる。

「いつ?」

「高校生の時。…聞きたい?この傷の事」

「おまえが話せるのなら…聞きたい」

 

 啓介は上半身を起こし、布団の上に足を伸ばした。

「紫乃はスキージャンプってやったことないよね」

「え?スキージャンプって…あのオリンピックとかで見る奴か?」

「そうだよ。俺はこの怪我をするまではずっとジャンプをやってたんだ」

「凄いな…テレビでは見ても実際飛んでるところを見たこともないよ」

「北海道じゃそんなに珍しいもんでもないけどね。で、俺は小学五年からこのスキージャンプって奴を初めてすぐに頭角を現したってわけ。まあ天才肌だね」

「自分で言うな」

「ホントだって。ジュニアじゃちょっとしたもんで、スキー留学でノルウェーまで行ったこともあるんだから」

「へえ~、そりゃ凄いな」

「中学になって国内の公式の大会でも優秀したりね…将来はオリンピックも夢じゃないって周りが騒ぐから、俺もその気になってさ。両親も一生懸命応援してくれてたから、もっと喜ばしてあげたかったし…で、高校二年の時…練習中に飛んでて…運悪く突風に煽られて…まともに機材の側溝に叩きつけられた。打ち所が悪くて…右足がズタボロで…二度とジャンプは無理だって言われてね」

「…」

「じゃあ、見てろ。絶対に元通りになってもう一回ジャンプ台に立ってやる…って、若いから意地になるじゃん。俺、本気でムカついてたからさ。俺を哀れんだり、ほくそ笑んだりする奴に泡ふかしてやるって、必死になってリハビリやって、一年後になんとかまともに走れるようになった。クソ根性だよ。そんで、もう一回ジャンパーとして復帰したいってジャンプ台に立って、アプローチを滑った…」

「怖くなかったのか?怪我した時のことを思い出したりしないものなのか?」

「うん、俺もそれを予想した…けれど、逆だったんだ」

「逆?」

「怖くなかったんだよ。良くこういう競技って己の心の恐怖に打ち勝てって言うよね。それって怖さを知って、それを乗り越えろって言う意味なんだと思う。…俺は初めからいくら飛んでも怖さを感じた事がなかった。怪我した後、ジャンプをしてみて俺ははっきりわかった。俺にはジャンプに恐怖を感じない。それが、恐ろしくなった。このままこの競技を続けて、K点超えを目指していったら、俺はまたどこかで自分の命の重さを気づかずに無茶をしてしまう…って。危険の察知を自分自身のどこかで見極めるって、とても大事だと思う。俺はまだ死にたくはなかったからね。ジャンプはすっぱりやめた」

「それで…周りが納得したのか?」

「それまで応援してくれた人達には悪いと思ったけれど、怪我でズタボロの俺を見てるだろ?もう高いところへは行けないって諦めもしてただろうから、落胆は少なくてすんだと思う。両親も俺の話を聞いて納得してくれたし。俺の努力っていうか、頑張りは見ててくれてたから、俺が決めた結論を責めたりせず、自分の好きな道を探しなさいって言ってくれた。で、一年浪人してこっちへ出てきたってわけ」

「そうだったのか…啓介は偉いな」

 姿と精神が一致した人間は稀だ。俺は素直に感銘してしまった。

 今までの俺の周りにはそういう者が少なかったからとも言える。

 極めているのがあの兄弟で…まさに夢を見させるような現身なのに、恐れおののく精神の持ち主達。

 比類のない魅惑力に逃れられない自分を呪うことになる。

 だが啓介は違う。

 裏のない明朗闊達な気性が回りの者を笑顔にさせる。無償の奉仕だと言っていい。

 明快さは魔性とは違って身動きが取れないようなジャンキーになることはない。

 狂うことはなくても、風が吹き抜ける爽快感が千葉啓介の持つ色。


 太ももの傷跡にキスをした。

 啓介は驚いたように身体を震わせた。

「名誉の傷に敬意を表したんだよ」

「紫乃…」

「おまえが死ななくて良かったと、俺は心からそう思っているよ」

 肌蹴たままになった下着を下げ、俺は啓介のものを口に含んだ。

 思わぬ行動に啓介は戸惑い、身体は震え続けた。

 こいつはこういう事には慣れてはいない。あまり他の男とやった経験が無いのかも知れないな。

 啓介の指が俺の髪を掴む。「紫乃」と、喘ぎながら呼ぶ声がいじらしくてたまらなかった。

 啓介の傷が俺を昂ぶらせるのは、きっと啓介が口にしないプライドや痛み、努力を痛烈に感じてしまうからだろう。明朗闊達な啓介の人格の中にある根源的なものを捕まえなけりゃ、こいつを愛せない気がした。


 若い欲望はあっという間に解き放たれた。

 興奮冷めらやぬ啓介が荒い息を吐き、俺を見つめた。

「口でいかされたの、初めてだよ」

「そんな崇めるような顔をするな」

 口を拭いて、俺も浴衣を脱ぐ。

「だって…紫乃、上手すぎるんだもん」

「年の功と言え。これぐらいで感心してもらっても困る。俺はこの道のエキスパートだ。言うなればA級ライセンス持ち」

「な~んかいやらしそうだなあ~」

 およそ色っぽさとは遠そうな呑気さで啓介も自分の帯を解いていく。

「紫乃は眼鏡も似合うけどさ。眼鏡無しだと色気が倍増するよね」

「だから学校では眼鏡は必需品だ。色ボケされた生徒が増えては、良い成績は期待できないしな。進学校の名が廃る」

「じゃあ、眼鏡は常時かけておいてくれ。その方が紫乃に惚れる奴が増えなくて俺も安心するもん」

「誰もこんなじじいに振り向かないよ。それが惚れた欲目っていうんだよ」

「そうかなあ~。俺は紫乃が一番美人だと思うけどな」

「…天然バカ」


 裸の身体をぴったりと重ねる。汗を掻いた啓介の身体はまだ熱さに浮かれていた。

 着やせするタイプなのか、啓介の身体は裸になるとしっかりとした無駄のない筋肉質だ。

「前の時はわからなかったが、啓介は良い男だな」

「そう?じゃあもう『慧一』って呼ばないでくれる?結構間違えられた事を根に持ってる」

「…執念深さも啓介のひとつなら、仕方あるまい。認めてやるよ。もう間違わない」

「良かった…紫乃に出会えて…本当に良かった」

 親猫に甘えるように俺の胸を撫でる啓介は、安らかな表情を見せた。


 他者に心から甘え、委ね、信じることができたなら、それは本当に幸いな人生だと思う。

 それが一瞬であっても、信じた軌跡は残る。

 今夜の啓介が誰よりも愛おしいと思うから、俺は啓介の望むものすべてを与えてやりたかった。






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