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以下の小説と連動しております。
宿禰凛一編は「one love」
http://ncode.syosetu.com/n8107h/
兄の宿禰慧一編は「GLORIA」
http://ncode.syosetu.com/n8100h/
凛一の恋人、水川青弥編は「愛しき者へ…」
http://ncode.syosetu.com/n0724i
8、
富士山近くのフライトエリアまでのドライブの間、俺は啓介から出来るだけ詳しくパラグライダーについて学んだ。
早くに言ってくれれば、前もって資料や本で勉強できたのにと文句を言うと、啓介は「それじゃあ、俺の出る幕はなくなるじゃん。いつも紫乃の指導されてるから、俺が教えてあげる気分を味わいたかったの」と、意地を張る。
そういう幼いところが、なんとも恋愛をしている気分にはならないのだが、それを言うとまたつむじを曲げそうだったのでやめておいた。
「じゃあ、今日は帰る」と、言われたら元も子もない。
恋する相手には、まだまだ程遠い気がする。
ワンツーマンでの講習を受けている間に目的地へ付き、スクールで受付と説明を聞いた。
その後、簡単なレクチャーを受け、離陸場に向かう手はずとなる。
まずは体験から始めることになり、後ろにインストラクターがついてのタンデムフライトに挑戦する運びとなった。
レクチャーを聴いている間に啓介とは離れ離れになり、終わったところで姿を探す。
フライトエリアには専用のワゴンで向かうので、待ち合い場所に人が集まっている。
啓介の青いジャケットを見つけ出したが、ちょっと興味もあり、しばらくその様子を伺うことにした。
予想通り、誰彼となく声を掛けられては挨拶をしている。
周りは若い人からお年寄りまで年齢の幅も広い。女性もちらほらと見えるが、あれは俺と同じく興味本位の新参者だろう。辺りをきょろきょろとしている。
それよりも気になるのは、さっきから背格好のほっそりとした男性が啓介と楽しげに語らっている光景だ。
ベンチに座った啓介が少し頬を染めながら嬉しそうに、佇んでいるその男を見上げている。
前の男か?それとも本命なのか?
…なんだよ、俺にあんだけアタックしながら、好きな相手がいるならそう言えばいいのに。
自分の事を棚に上げて、勝手不信になるのはなんとも未完成過ぎて笑える話だろう。
それにどう見ても、俺の方が年寄りだ。大人になれよ、紫乃。若者を見守り続ける聖職を選んだはずだろう?
「紫乃!」
俺の姿を見つけた啓介が人目を気にせずに、名前を呼ぶ。こういうところが、まあ、こいつのいいところなんだが…
ゆっくりと近づくと、その細身の男は丁寧に頭を下げた。
「初めまして。黒木と言います」
人当たりのいい感じの青年だった。
「藤宮紫乃です。ひと月ほど前から、教育実習生である千葉君の指導教師をしています。今日は千葉君に誘われて、パラグライダーを初体験させてもらうことになりました」
「啓介から聞いております。とても尊敬する指導教師だと、伺っております。今日は天気も穏やかだからいいフライトができますよ。楽しんでください」
「黒木さんはうちの大学のOBなんだ。パラグライダーのサークルの先輩でもあるし、インストラクターのライセンスも持っているんだよ。今は県の高校教師をしながら、サークルの指導もしてくれているんだ」
「たまにだけどね。教師も担任を持っていないと余暇に時間があるので、その時は先輩気分を味わいにサークルに行くんですよ。ああ、そうだ。僕もヨハネ学院高校のベテラン教師に色々とご指導願おうかな」
「ベテランとは…まだまだ未熟者ですが…」
「昨今の学生にはこちらも戸惑うほどに性急に大人になる。どう扱っていいのかわからなくなる時があります。藤宮先生は…どうお考えでしょうか」
「何も…学生たちは俺達が思うよりもずっと…考え悩み、夢を持っていますよ。そのひとりひとりすべてを理解しようだなんて、とても無理です。期待されても困る。俺たちはたかが教師だと、生徒にわかってもらえればいい。そうした上でお互いを理解しようと歩み寄ることしか、できない気がしますね」
「…ありがとうございます。なんだか元気をもらえた気がします」
「いいえ」
「啓介、おまえ、良い指導者にめぐり合えたね。藤宮先生になんでもしっかり教えていただけよ」
「はい。なんでも教えてもらいますよ」
満面の笑みを見せる啓介に、こちらが照れる場面になった。
黒木さんは俺達と一緒に離陸場まで付き合ってくれ、初めて飛ぶ俺の緊張を和らげようと尽くしてくれた。
啓介はタンデムパイロットのライセンスを持っているという事で、本当なら熟練のインストラクターに付いて飛ぶ予定だったが、黒木さんの勧めもあって一緒に飛べることになった。
なにしろ何もかも初めの経験だったから、正直、啓介が一緒だと聞いて心強く思えた。
「俺が付いてるから安心してね、紫乃」
「逆に心配だ。本当におまえで大丈夫なのか?」
こちらもプライドがあるから意地を張ってみる。
「ばーか、これでも俺はインストラクター目指してるの。それに大事な紫乃を危ない目に合わせたりしないからね」
ヘルメットを被りながら、啓介は安全のおまじないと頬にキスをした。横で見ていた黒木さんは大笑いしている。
本当におまじないなのか?と、疑ってみた。
操縦席となる背中のハーネスを抱えたまま、離陸場に向かう。
真正面にまるで絵のような富士山が見える。見惚れていると、啓介がヘルメットをコツンと叩く。
「行こうか」
「ああ」
翼に風を取り込み、ゆっくり上がって行くキャノピーを見上げ、アゲインストの風を受け、啓介の掛け声と共に走り出す。
テイクオフだ。
身体が持ち上げられ、走る足が地上を離れる。見る見るうちに今居た場所が小さくなる。
風を切る音が耳元で鳴り続ける。
ゴーグル越しの景色に目が回るようだ。どこを見て良いかわからない。
なによりも空中に身を置く不安定さが怖かった。
「紫乃、大丈夫?」
背中から啓介の声が響いた。
「う…ん。ちょっとびびってる」
「初めはね、誰でもそうだよ。でもせっかくだから、よく周りを見てごらんよ。今日はいいパラ日和だよ。景色が紫乃を歓迎している気分にならない?」
顔を左右、上下に向けて空中に浮かんでいる自分を知る。
雄大だった。ふわりふわりと右に左に揺れながらゆっくりと上がったり、下がったりしながら落ちていく感覚が何ともいえない高揚感を湧き上がらせた。
時折、後ろから啓介が声を掛ける。
ほら、あの山を見てよ。秋になると紅葉が凄すぎて目がちかちかするの。本当か?本当だって。あっちの方からはね、時たま凄い上昇気流が来たりするから、気をつけなきゃならないんだ。へえ~。たまに冒険したくてわざと行ったりするけどね。落っこちるぞ。そういう時の為にハーネスには緊急パラシュートが付いてるだろ?使ったことがあるのか?うん、一度飛んでるライダーとぶつかって開いたことがある。でも滅多な事では使わないから、安心して。ねえ、秋になったらまた紫乃をここへ連れてきてもいい?楽しみにしてるよ。…紫乃、ランディングが近いよ。ゆっくり落ちるから落ち着いて足元を合わせてね。わかった。啓介の言うとおりにやるよ。大丈夫だ。紫乃は飲み込み早いよ。
ぐんぐんと目の前に地上が接近し始めるから、ぶつからないかと心配したが、本当にふわりとランディングに成功した。辺りからも拍手が起こったほどだ。
二十分間の初飛行だった。
「本当言うとタンデム飛行は初めてだったから、緊張したんだけど無事に紫乃と飛べて良かったよ」
「…初めてだって?おい、俺を踏み台にしたな」
「インストラクターになるには人に教える実技が一番大事だからね。紫乃はいい生徒だ。じゃあ、今度はひとりで飛べるようにここで飛び方の練習をしよう」
俺と啓介はランディング場の隣りの講習場で、グライダーの扱いや飛び方、ランディングを何度も繰り返した。 機体をコントロールする為のブレークコードの詳しい扱い方は実践にならないとわからないが、初歩の段階はクリアできそうだ。
「いきなりさっきのエリアからは無理だけど、初心者用のなだらかな場所に移って何度も繰り返せば、すぐに上手くなるよ。午後からはそこに移ろうか?」
「それもいいが…もう一度、啓介と一緒にさっきの場所から飛んでみたいんだが、いいかな?」
「勿論」
差し出す啓介の手を、俺は迷う事無くしっかりと握り締めることが出来る。
もう一度フライトエリアの戻ってみると、風向きが良くないとの事で、飛行が中止されていた。
「山の天候は変わりやすいからね。せっかくはるばる来たのに、飛べないで帰らなきゃならない時も結構あるよ。しばらく待とうか。ちょうど昼飯時だし」
木陰に座り込んだ俺たちは啓介の作った弁当を食べた。
運動の後の飯は格別だとは言うが、マジで美味かったから素直に褒めると、啓介は早起きして作った甲斐があったと喜んだ。
「啓介はどうしてこんなに料理が上手いんだ?ただ本を見て作ったというより…長年作ってきたおふくろの味みたいだな」
絶妙にスパイスの効いたミートパイを口に入れた俺は、こいつは教師よりシェフ向きじゃないだろうかと、思ったりする。
「それはさ、昔から作ってたから…。うちはね、結構金持ちなんだ」
「そうだろうな。洒落た車も持っているし、こんな金のかかるスポーツも学生の身分でやれるんだ。親の援助は大きいはずだ」
「まあね…両親で道内でレストランと居酒屋のチェーン店を経営をしてて、結構繁盛しているって。俺は知らないけどね。姉ちゃん…四つ違いの姉が後を継いでるから、俺は自由に遊んでいいって言ってくれてて、脛を齧ってるの」
「良いご身分だな」
「これでも小さい頃は、両親が忙しくて、かまってもらえなくてさ。朝早く出て、夜遅くしか帰ってこない。まったく顔を合わせない日もあったりしてさ。それじゃあ親子の絆が築けないって。親父が遅く帰って来ても、絶対に風呂だけは一緒に入るって決めて…嬉しかったな~。一日の出来事を風呂ん中で話して聞かせるの。それで風呂から上がったら、四人揃って夜食を食べてさ。夜中だよ?小学生が起きてる時間でもないのに…俺も姉ちゃんも嬉しくてさ。そのうちに姉ちゃんと話し合って、両親の帰りを夜食を作って待つことにしたんだ。初めは梅とおかかの入ったおにぎりだったなあ~。すごく喜んでくれた顔を今でも覚えているよ。で、段々エスカレートして、色んな料理を作って用意したの。もう夜食というよりディナーだね。毎日じゃ大変だから曜日を決めてね。月曜はおにぎりの日、水曜日はパスタの日、土曜は鍋の日とか…」
「良い家族だ。羨ましいよ」
「紫乃は…家族はいるんだろ?」
「京都の方にね。でも…肉親はもうとうに亡くなってしまっているからね。啓介みたいな話を聞くと、なんだか癒されるよ」
「そうか…」
「もっと聞かせてくれないか?啓介の事」
「え?」
「確かに一目惚れっていう恋愛もあるだろうけれど、理解しあうって大切な事だと思うんだ。俺はまだ啓介を恋愛の相手だと思えない。だけど…おまえが好きだよ。だから、もっと色んなおまえを知りたいって思っている。今のおまえを育ててきた話を聞きたい」
「ホントに?」
「もしかしたら恋かもしれない」
「…マジで?」
「かも、知れない…あはは」
あまりに啓介がキラキラと瞳を輝かすから、顔を上げて大声で笑ってしまった。
てっぺんの雲が風に流れている。
夏から秋に変わる風だ。




