16.進捗
「ごきげんっすねー、ハンナ様」
「ま、ね」
休日の朝、ハンナの私室でふんふん鼻歌を歌うハンナに冷ややかな視線を投げかけるリンクは言葉も何故か冷ややかだった。
「まあ、あれだ。トレイシー先生の小説は売れているし、セリーナ嬢の後継エステティシャンやメイクアップアーティストも育ちつつある。テイラー商会は順調に地方へ支店も増やし、それに伴って専属隊商も抱え、それらの人材を教会や孤児院に寄付や投資で育成に成功中。その中には、セイラ様の孤児院での聖母のような慈愛に満ちた教育や、カナリー様やハヌート様の音楽指導も含まれる。そりゃあ機嫌も良くなりますよねー」
「もうリンクったら、違うわよ。それらは順調で確かに喜ばしいことだけど」
そう、全ては順調だ。小説もエミリーの意欲は留まることは知らず、次から次へと生み出される作品は感嘆の息が漏れるほどに素晴らしく、スピードも速い。
セイラは溢れる母性を余すことなく子ども達へ注ぎ、カナリーはハヌートと共にいずれ音楽団を結成したいと奮闘中だ。アンナはトマスと良馬の育成に夢中で、隊商の引き連れる馬を提供したいと熱心に勉強していた。ジュリアは……、ジュリアは何故かお姉様と令嬢に慕われ始めた。
そして、エミリーを、セイラを、ジュリアを、婚約者にと望む者が増えた、それも沢山。それもこれもテイラー商会と懇意にしているからというのが理由の最たるものだというのが腹立たしい。しかしこの年齢で婚約者がいない者は”条件”が良くないものばかりだったので、エミリーやセイラは両親が無理に婚約者を決めるということには至らないようで問題はなかった。が、男爵令嬢のジュリアは伯爵子爵という高位の貴族から来る釣書に頭を抱えたらしい。だが、ジュリアは沢山送られてくる釣書を嬉々として受け入れ、あろうことかお茶会を開いて応対しているらしい。さすがはジュリアというべきか。
「で〜も〜そうじゃないの。私の原案を元にエミリー様に執筆していただいていた恋愛物語がついに完成したのよ!うっふっふ~」
「……それ需要ありますか?本当に売れるんすか?俺、ハンナ様の恋愛妄想、マジで知りたくない」
「同意」
「失礼な。リンクもスザンナも酷いよ……。でも大丈夫、私の妄想でもトレイシー先生のペン先はサラサラ流れて、キラキラ輝く夢の世界に変わっている!はず。第一、私の名は伏せるもの。読者は私の妄想だとは知らないんだから大丈夫!」
「どうでもいいけど、今の鼻歌、この世界のメロディーじゃないっすよ。気を付けてくださいよ」
「嘘!?まじで?こういうご機嫌な気の緩みが迂闊さを引き起こすんだ、あぶないあぶない……」
ああ、それでいつも以上に冷たい視線だったのか。しかも、ふんふん歌っていたメロディは超マイナーなロボットアニメの主題歌だった気がする。リンクもスザンナも知っていることが、それはそれで恐ろしい。私が知っているのは、前世の大学生時代、周りに男子学生が多かったからだ、理系だったからね。
「鼻歌だけじゃなくて、顔も大分ニヤついていて見てられないっす」
「同意」
「だからって二人でそういう冷たい目で見るの、やめて。だって、本当に素晴らしいお話になったんだもん。私の学芸会的カタコト台詞が、きゅんきゅんで、ズッキューンな物語に~」
「……いまので、とりあえずトレイシー先生に執筆していただいて良かったことだけはわかりました」
「同意」
「ちょっとー、めっちゃ失礼じゃん。でも、本当にすごいんだから!きらきらっのふわふわっのどきどきっの、ズッキューンな物語に~」
「ズッキューンは、もうわかったから!徹夜で読んだんですか?目が真っ赤っすよ」
「昨日、原稿受け取ったら我慢できなくって、つい」
「今日はこれから教会ですよ、そんなんで大丈夫かなぁ?」
「大丈夫大丈夫、今日はミゲル様もいないでしょ?ね、スザンナ?」
「ええ、昨日、教会でミゲル様と司教様がお話されているのを聞き耳たてまして、今日は中央におられるとおっしゃってました」
のはずがーーーーーー。
「おや、これはこれはハンナ殿。今日もまた、たくさんのご寄付をいただいたようで、敬虔の念が深いハンナ殿に神の御加護があらんことを」
「……ありがとう、ございます?」
ミゲルが教会にいることに動揺して、ハンナは思わず疑問系で返事をしてしまった。こういう隠せないところが平民で、貴族令嬢のようにはなれないと痛感する。
「いかがなさいました?私で良ければ悩める羊の心の内をお聞きしましょう」
「いえ、結構でございます。私の様なものがミゲル様のお耳を汚すなど、あってはならないことです、では」
「信徒を正しい道に導くのも私の勤め、お気になさることではございません。それにテイラー商会からはたくさん献金もいただいております。さ、どうぞ、こちらへ」
ええぇぇ?まじで?いや、いいんですけどぉ?放っておいてもらえませんか?
悩みはミゲル様の回避、それに尽きるんですけど?
けして華美ではないが、質の良い家具が置かれた部屋に通されると目の前のソファに座るように促される。後ろにはリンクとスザンナが立って控えてはいるが、正直落ち着かない。目の前に座り、にっこりと作った笑顔を張り付けているミゲルにうえぇぇーと辟易したが、正体不明の神官にどういう態度で接するのが正解かもわからない。第一、神官と言ってはいるが、本当のところ、何者か全くわかっていないのだ。だけど、司教様と話している様子から高位の人物であることは間違いない。
一般的に考えて、高位の貴族の次男ないし三男とかが神職者となったことだけはそう、間違いないのだが。
「最近では、この教会とすぐ近くの孤児院のほかに、西区の孤児院も改革が始まったようで」
うげっ!ミゲル様の言う西区の孤児院とは、セイラ様のよく通われている孤児院だ。セイラ様はハンナの通う孤児院のやり方を西区の孤児院にも取り入れ、さらにセイラの意思を組んだカリキュラムも盛りこみ始めたとセイラ本人から聞かされていた。「いまとても、楽しいの、生きがいってこういうことよね」って。
「そう、ですか」
「ええ、どう、思われますか?」
「どう、とは?」
「そのままの意味ですよ。今をときめくテイラー商会の御令嬢なら先見の明がございましょう?わたくしもハンナ様に学びたいと」
「……何をおっしゃってるのかわからないので答えに窮しますが。ですが、うちの店の者は優秀であることは間違いありません。日々。アイディアを出し合い、努力と研鑽を重ね、良き生活を送る術を生むことに懸命です。私が、皆から学んでおるのです」
自信を持って言った、が胸を張り瞳を見て言うことはやはり憚れ、眼を伏せて顔を斜め下に傾け、吐き出すように言った。
……少しは、儚げに見えたかしら、ね?
「流石はテイラー商会の御令嬢だ。私の下の者達にも、見習わせたい。これからもこうして、私に学ぶ機会を与えては下さらないだろうか。私はあなたにとても関心がある」
はあぁぁぁ?何、言っちゃってんの?
何も教える事なんか、ないでしょうに!
第一、関心って、関心てなに?
こめかみがピクピクと引き攣りそうになったがかろうじて取り繕えただろう、にこやかに、そう声音も穏やかに柔らかに返答できる、はずだ。
「ミゲル様にお教え出来る事は一つとしてないことは、ミゲル様が、ご存じでしょう。平民の、それも成人前の幼い乙女を揶揄わないでください。それに女性に、女性から、学ぶことなんて、何一つとして、ないでしょう?」
社交辞令だって、わかってる。
男性が、この国の男性が、女性に望むことって、子を産んで育てる、それだけでしょ?協力して子育て、しないんでしょ?女性が職をもって自活しちゃ、立つ瀬無いんでしょ?貴方が一体、私から学ぶというのだろう。
「貴女は、非常に興味深い……。ハンナ殿を知りたいと思うことは、迷惑だろうか?」
はい、迷惑です!
そう口に出せたなら良かったのに……。




