聖女の召喚
地面に衝突する衝撃はないまま、背中に地面を感じた。薄らと目を開けて自分と周りを素早く観察する。
『なぜ男がいるんだ!?』
『二人を召喚したなんて今まであったか?』
『女の方が聖女だよな』
『聖女の本が反応してるのは女性の方だ』
『だが、なぜ二人? 召喚方法間違えたのか……?』
『男はどうする?』
『失敗か……?』
『……そんな』
舞台で見たことあるような王子の格好をした男は驚き、これもまた見たことあるような王様の格好をした男は複雑そうな顔をし、またまたこれも見たことあるようなローブを纏い分厚い本を持つ偉そうな男は動揺していた。その三人を守るように西洋剣を携える騎士のような奴らが二十人程いた。中には杖や槍と盾を持つ者もいた。金、銀、水色に赤といったカラフルな頭達。コスプレだろうか。
光秀一人だったら逃げられるが、彼女を守りながらだと正直無理であった。しかし、見捨てるわけにもいかない。どうすべきか今いる場所を見て考える。ここは広めな部屋でどうやら西洋風のようだった。地面によくわからない魔法陣みたいなのが有るだけでそれ以外は何もない。そこにいる奴らはこちらを見ずに何やら話し合っていた。光秀の上で横たわる女性の肩を軽く揺さぶる。
「……おい」
「う……ぅ……ん?」
小さく声をかけると女性は意識を取り戻した。ぱっちりと目が合う。この状態だと叫ばれるかもしれないと思い口を手で塞いだが、彼女は大人しかった。
「あいつら知り合いか?」
口を押さえられたまま首を左右に振る。叫んだり暴れたりしないだろうと判断して口から手を離した。
「ここが何処だかわかるか?」
「……わかりません」
「そうか」
わかったことはこの場所とそこにいる人達が誰なのか目的が何なのかわからないことだ。光秀の上から女性を左へ動かし床へ降ろす。光秀は今だに話し合いを続ける奴等と正面に向き合う。すぐに立ったり、飛び掛かれる姿勢で。女性は察しが良いらしく、音を立てずに床を這うように光秀の後ろでしゃがんだ。
「私、煕子です。桜田煕子」
「八百原光秀」
互いに名前だけ言う。呼び名がわからないと何かあった時に意思疎通が出来ない。それは困ると思ったのだろう。光秀は少し顔を動かし後ろの煕子を確認する。
『目が覚めたのか』
王冠を被り長い白髪で立派な髭のある男は光秀と煕子が起きたことに気がついた。そのことによりその場にいた全員が二人を注視した。
『ようこそ、我がヴァルーナ国へ。我々が召喚しました。
こちらが国王のベネディクト・メクレンバーグ=ストレリッツ様と
第一王子のジェフリー・メク レンバーグ=ストレリッツ様だ。
……聖女様だけ召喚したつもりだが、こちらの手違いで其方も召喚してしまったようだ』
ローブを着た奴が冷たい目で淡々と召喚やら手違いやらと言い放つ。一番最初に発言した男が国王、ベネディクトらしい。ヴァルーナ国なんて世界地図にあっただろうか。自分が地理に詳しくないだけで実の所あるのかもしれない。
『聖女様、私の名はジェフリー・メクレンバーグ=ストレリッツです。ジェフリーとお呼びください。どうぞこちらへ。エスコートさせてください』
光秀が考えているとジェフリーと名乗った銀髪を後ろで束ねるいかにも王子で本当に王子だった男は優雅に歩いて近づいて来た。くいくいと背後から服を引っ張られた。
「みつひでさん、あの人達が何言ってるのかわかりますか?」
「ああ。ここがヴァルーナ国で、俺達を召喚した。お前が聖女でエスコートさせろとか言ってる」
「え、ヴァルーナ国? 召喚? 聖女? ……ドッキリでしょうか?」
「知らん」
「き、聞いてみてください……」
ジリッと音を立てて一歩下がる。それに合わせて煕子は光秀の服を掴んだまま二、三歩下がる。答えてくれるかどうかはわからないが今は聞くしかない。年上や目上の方には丁寧語かやけっぱちの敬語を使うように監督や先輩に叩き込まれたため「おい、これはドッキリか?」を脳内で丁寧に変換する。
『失礼ですが、今のこの状況はドッキリでしょうか?』
途端にジェフリーやベネディクト、ローブの男や周りの騎士が顔を強張らせた。
『其方はこの国の言葉が話せるのか?』
『は? 貴方達の国の言葉は話せません。私が話せるのは日本語と英語だけです』
『しかし、其方は我々の言語を理解し話しているではないか』
ベネディクトは表情を硬くしたまま光秀を見つめる。その目は見るというより怪しんで観察しているといったものだ。
『何を仰っているのですか? 先程から日本語で話しをしているじゃないですか』
「そうだろ、ひろこ」
「何がですか?」
「あいつら日本語使ってるよな?」
「え? そうなんですか? ……私、全然聞き取れなくて」
驚いている煕子は嘘を言っているようには見えない。煕子は光秀の背後から少しだけ顔を出してベネディクト達を恐る恐る見ている。
『召喚の魔法陣に言語の魔法も組み込んでいるはずだろう。だが、それは聖女にしか発動しないのではなかったのか?』
『魔法陣をくぐる時に一人分発動します。恐らくこの男が先に魔法陣をくぐったため聖女様に魔法がかからなかったのだと思います』
『今すぐ聖女様に言語の魔法を!』
『王子様、それは無理です。必要な魔道具や魔石を召喚の儀で使い果たしました。異世界人に言語を植え付けるのはなかなか難しいのですよ』
『しかし……』
『一月程あれば用意できます。それに彼女は歴代の聖女様より魔力が高いようです。聖女を召喚した魔法陣がまだ残っていますから。言語がわからないうちに契約するのは如何でしょうか?』
『彼女は愛らしく美しい。お父様、言い伝え通り彼女は私の嫁に』
『この国に聖女が帰らずに留まれば、国民も喜ぶだろう。…うむ。あの男はどうする?』
『適当な罪で死罪にしましょうか』
物騒な会話が筒抜けである。この会話はどうやら光秀だけが聞き取れるものらしい。煕子はただただ不安そうに瞳を揺らすだけだった。聞き取れない、そう小さく彼女は呟いた。
「やばそうだ」
「えぇぇ……彼等は何と言ってますか?」
「お前が歴代一の聖女で、言葉がわからないうちに契約してあの王子の嫁にするってさ」
「そんな! 嫌です!」
「だからやばそうって言ったろ」
「あ、あの、お願いです。彼らに私達が恋人だって伝えてください」
「は?」
「聖女の恋人なら手荒な真似はされないと思います。恋人から離すなら舌噛んで死ぬって伝えれば一緒にいられるかもしれません」
「なるほどな。そうすりゃ俺を処分しようとしてる奴らも考えるか」
「しょ、処分!?」
その言葉を聞いた途端に煕子の顔がみるみる青ざめていく。そして、人差し指と親指で下唇を掴み俯く。
「こんやくしゃ…」
「婚約者?」
「そうです。結婚を決めた婚約者でいきましょう。」
「俺は助かるが…いいのか? 王子って金持ちだろ?」
「良くなかったら提案しません。それに私、結婚するなら日本人がいいんです。言葉がわからないとか、無理……」
「わかった。あいつらに言ってみる。駄目だった場合も考えて、お前は部屋の角にすぐ走れるようにしてくれ」
「角……?わかりました」
煕子は光秀の服から手を離す。それと同時に光秀は一歩前に出る。
騎士の持っている盾と槍を奪えれば勝機はある。盾は煕子に渡してなるべく自分の身を守ってもらう。聖女と呼ばれるくらいだ傷つけるような真似はないだろうが念のためだ。その為に煕子には角と言った。槍の使い方は体に染み込んでいるが実戦はない。せいぜい舞台か撮影だけだ。今の状況は喧嘩や試合とは別物だ。それならばシュミレーションするしかない。
どいつから潰して、盾と槍を奪うか。あいつらの装備からして最速はどのくらいか。誰が上か。どの部位が一番効くか。焦らずに集中して全員を視界に捉える。身体から余計な力を抜き、瞬発で殴り込めるように左脚を前に出して立つ。
『其方は聖女とはどのような関係だ?』
向こうの会話が終わり、ベネディクトは光秀に尋ねてくる。ジェフリーは光秀など眼中にないとひろ子だけを熱心に見続け、ローブの男は心底どうでもいいと光秀を見下している。
『私と彼女は来月結婚します』
嘘を真っ直ぐに言い放ち、煕子の手を探し握った。一瞬驚いたようだったが、すぐに腕にぎゅっと抱きついた。一歩後ろですぐに走れる態勢にしながら。やはり彼女は察しが良い。顔を見合わせて微笑み合う。それっぽく見えているだろうか。
『なっ……!』
『チッ……』
驚いた後に忌々しげにこちらを睨むジェフリーと盛大に舌打ちをするローブ男。ベネディクトは手元の杖を軽く振り、何やら呟いていた。杖の先に付いている透明なクリスタルが一瞬だけ光った。
『お父様、すぐに処分しましょう』
『駄目ですよ、王子様。聖女は深い悲しみや怒りで聖女の力が捻じ曲がることがあります』
『聖女の力がなければ魔王を討てぬ』
『聖女様と私は運命と決まっているのですよ!? なのに、あんな!!』
『ジェフリー』
『…………わかりました』
何やら不穏な空気だったがジェフリーが折れて終わったらしい。そのジェフリーは凄い形相で光秀をひたすらに睨む。それしか脳がないように思えるほどだ。
ギギギギギィと大きな音を立てて扉が開くと髪を一纏めにしたロング丈のメイド服を着た女性やタキシードのような服を着ている男性が何人かお辞儀をしたまま立っていた。
『聖女と婚約者殿、二人の部屋を用意した。あのメイド達に着いて行け』
扉が突然自分たちの真横に出現したことに驚愕した。この部屋の出入りはベネディクト達の後ろにある扉だと思っていたからだ。メイド達へ足を向け、熙子の手を軽く引っ張る。メイド達は頭を上げてくるりと反転し歩き出した。
『聖女様、婚約者様、御部屋に御案内致します』
無言で彼等の後を追う。
『名前を聞きそびれてしまった。これは失礼した。名前を教えてもらえるか?』
部屋から後一歩で出るという時に聞かれた。腕を組んでいる煕子に視線を向けると不思議そうに光秀を見上げた。
「名前を聞かれたが教えるか?」
「向こうの名前は教えてもらいました?」
「ああ、最初に。……ベネディクトとジェフリーだったか」
「じゃあ、教えます」
こくりと光秀は頷く。二人でベネディクト達に向き合う。
『俺……私は八百原光秀です。彼女はサクラダヒロコです』
『サクラダヒロコ様とヤオハラミツヒデ様か。良い名だ。もうよい。部屋で休んでくれ』
とりあえずお辞儀をすると煕子もあわせてお辞儀をした。今度こそ部屋から出ることができた。その後は西洋のお城の廊下をひたすらに歩く。横幅も縦幅も広い。ロンダートバク宙が余裕でできる程のスペースである。バク転が何十回もできそうだ。
「あの…」
「あ?」
「ありがとうございます」
「は?……感謝されるのはお前の方だろ」
「いえ。助けてもらいましたから」
「……そうか」
腕を組んだまま、光秀と煕子は自分たちの部屋へ歩みを続けた。煕子の後ろにはふよふよと白い本が浮いてついてきていた。
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