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大粒の雨降る中で

 ユキナが話し終えた室内は、妙な静けさが降りていた。

 病院特有のものとは少し違う。

 僕は再び言葉を失っていた。


「ごめんね……アキト。これじゃあ、ストーカー……みたいだよね。迷惑だよね。気持ち悪いよね」


 ユキナは掛け布団をギュッと握り、震えた声でそう言った。

 僕が「そんな事ない」と言おうとすると、まだユキナの言葉は続けられた。


「こんなわたし、アキトにふられても当然だ……。でもね、でもね、わたし……やっぱりアキトが好きなの。嫌いになんてなれない……」


 ポツポツとユキナの瞳から涙が零れ、白いシーツに真新しいシミが付いた。

 僕は拳をグッと握り、真っ直ぐユキナを見つめた。


「僕はまだキミをふってなんかない!」

「えっ……? でも……」


 ユキナは顔を上げて、僕の視線を受け取った。涙でクシャクシャになった顔は、あの時と同じだった。

 納得のいっていないユキナを、僕は言葉で押さえ込む。


「僕の声が聞こえていたのは、ユキナのせいじゃないだろ。確かに僕が口にした事全部がユキナにダダ漏れだったって思うと、凄く恥ずかしいけど。だけど、そのおかげで今こうして出逢えたんだ。昔よりももっと、仲良くなれたと思うんだ。僕はさ、ユキナにちゃんんと返事をするつもりだったんだよ。それなのに、ユキナは学校に来なくてさ……そしたら、こんな事になっちゃっててさ……」

「アキト……」

「ここで返事をするよ。……ユキナ、僕は」


 僕の心臓は駆け足を始め、ユキナもきっと同じ状態なのか胸を両手で押さえている。

 静かな空間に、己の心臓の音がやけにかまびすしく響く。

 僕は軽く息を吸い込んで、代わりに言葉を吐き出した。


「僕もユキナが好きだ」


 忽ちユキナの頬が桜色に染まってゆく。

 僕は両膝を着き、両腕を伸ばしてユキナをギュッと抱き寄せた。

 二つの心臓が重なり、ドクンドクンと生命の音を互いに伝える。


「悪魔だか何だか知らないけど、ユキナは絶対に渡さない。死なせるもんか。ユキナは僕が護る……だから……」

「うん。凄く嬉しい」


 ユキナの腕がそっと、僕の背中に回った。抱き締められている感じではなく、ただ手を添えられている感じ。ユキナからは力が感じられなかった。


 声も段々と弱くなってゆく……


「わたし、アキトを好きになって良かった。アキトをずっと好きでいて良かった。アキトに好きだって言ってもらえて幸せだよ」

「ユキナ、何を言っているんだ……それじゃあ、まるで最後みたいじゃないか」

「そうだよ……最期なの」


 ユキナのその言葉には躊躇いはなく、感情が何一つ込められていなかった。

 僕はユキナを強く抱き締め、駄々をこねる子供の様に何度も「嫌だ」と叫んだ。

 抱き締められた体も、間近で僕の声を受け取る耳も、きっと痛かっただろう。それなのに、ユキナは苦しそうな素振りを一切せずに、穏やかな声で囁いた。


「アキト、ありがとう……」


 同じリズムをとっていたもう一つの心臓の音が――――


 止んだ。


「おい……嘘だろ……」


 僕は体を少し後ろに引いた。そして、頬を涙が伝った。

 僕の瞳に映った現実は、あまりにも残酷で。時を止めたユキナの顔は、また動き出しそうな程に綺麗で。両腕に包んでいる体は、まだほんのり温かくて。

 僕の耳からは、いつまでもユキナの最期の言葉が消えずに残っていた。






 二年後。

 入学式の時と同様に、三年生達が行儀良くパイプ椅子に座って壇上の校長先生の話を聞いていた。

 今日は生憎の雨模様で祝福の雰囲気ではないが、この高校の卒業式だ。

 共に入学した面子と、高校生活最後となる一大イベントに僕も勿論参加していた。

 通路を挟んだ向こう側の列には、一つだけ空席がある。入学の時は、確かに埋まっていた場所。当時は彼女を知らなかった……いや、彼女をユキナとは認識していなかった。でも、今なら分かる。あそこに座っている筈の人物はユキナだ。

 僕は空席から視線を外し、前方を向いた。

 何も考えず、何も聞かず、式が終了するまで僕は空っぽの状態で座っているだけだった。




 大粒の雨に打たれながら、僕は肩から鞄を提げて正門を出た。

 この高校の生徒としての最後の一歩だ。明日からはもう足を踏み入れる事はないだろう。


「アキト――!」


 後ろから声を掛けられた気がして振り向いたけれど、そこには僕の望む人の姿はなくて。代わりに、傘を差して走って来る少年の姿があった。


「お前、既にびしょ濡れじゃねーかよ」


 彼はそう言いながら、鞄から折り畳み傘を取り出して僕に差し出した。


「はい。それやるから」

「ありがとう、リン。意外と用意周到。女子みたいだ」


 僕はニヤリと笑い、遠慮なく傘を受け取って差した。


「最後の、余計だ。な、今からケーキ食いに行こうぜ」

「その発言も女子みたいだ」

「今時は男だって用意周到だし、スイーツ食うんだぜ?」

「まーな……」

「それより、行くのか? 行かないのか?」


 リンの僕に対する期待は、顔全面に表れている。

 これはもう……


「行く」


 と言うしかないよな。


「よっしゃ!」


 リンは嬉しそうだ。


「てか、お前。クラスの皆とカラオケ行くんじゃなかったのか?」

「それ、やめた。アキトが居なかったし」

「僕が居ないから何なんだ。別に、僕としか話せない訳でもないだろ」

「俺的にも、アキトはそこまで重要な人物ではない。かなりの脇役だからな。んーじゃなくて、何かさーアキトが寂しそうだったから」


 最初の台詞は聞き捨てならなかったが、その後の台詞の方が僕は気になった。


「寂しそうって……?」


 自分ではそれを表面に出しているつもりはなかったから、単純に疑問だった。


「上手く隠してるつもりかもだけど、俺には分かるからな。長い付き合いだし」

「そうか……。ありがとな、リン」


 僕が笑顔を見せると、リンが軽く後退った。


「アキトにお礼言われて、笑顔なんて向けられたら俺、どうしていいか分からない。何かこう……ゾワッてした」

「お前失礼だな」

「だってさ……」

「ほら、ケーキ食いに行くんだろ?」


 僕は少し歩いて、リンに振り返った。


「あ、ああ」


 リンは慌てた様子で僕のもとへ来て、並列して歩き始めた。





 なあ、ユキナ。僕はキミがこの世界から居なくなっても、ちゃんと前を向いて歩いてる。お互いに忘れなければ、ずっと記憶の中で一緒に居られるから。

 最期の日のあれが真実だったのか、キミ以外には分からないだろう。僕だって例外ではない。

 だけど、キミの魂が悪魔に捕らえられたと言うのならば、僕はそれを救い出しに行こう。何年、何十年先になるか分からないけれど、僕が僕をやめるその時まで待っていてくれ。

 そして、一緒に天国へ行ってゆっくり眠ろう。

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