最後の意味
紅葉、文化祭……一通り秋を楽しむイベントが過ぎ去った後、冬がやって来た。
空気は冷え、日没も大分早くなった。生徒も皆、すっかり冬服に身を包み、一部はもうマフラーを巻いていた。
もう少ししたら冬休みか。
僕は、窓の外の木をぼんやりと眺めていた。すっかり色褪せた一枚の葉が風に煽られ、枝から旅立っていった。
「よお、アキト!」
右耳から騒がしい声が入って来て、すぐに左耳へと抜けていった。
「アキト、何そそがれてんだよ?」
「……それを言うなら、たそがれるだろ」と、僕はあえて無視をしたそれに答え、彼の方へ顔を向けてしまった。
リンは悪戯っぽく二カッと笑って、Vサインをした。
「態と言い間違えてツッコまれる作戦成功!」
「態とだったのか」
馬鹿のくせに小癪な真似をしやがって。僕は心の中で舌打ちをした。
リンは僕の席の前の席に座り、待ちきれないと言った様子で話を始めた。
「もーすぐ冬休みだよな? アキトはどっか行くのか?」
「んー……地方のばあちゃんの家ぐらいかな。つーか、往復するだけで結構時間かかるから、それでほぼ潰れると思う」
「へえー」
まさに、大抵の人間が興味ない時に返す相槌だ。別に興味持たれても困るけど、何かムカつくな。他人に訊いておいて何なんだ。
「アキト、寂しい冬休みだな」
「大きなお世話だよ。じゃあ、リンは何処か行くのかよ?」
「え? 俺? ふふふ……」
リンは急に含み笑いし、僕は怒りを通り越して呆れた。
僕は頬杖をついて、仕方なくリンの話に耳を傾ける。
「俺は彼女とクリスマスを共にして、年明けには初詣に行く予定!」
「はあ。そうですかー」
「何だよ、アキト。羨ましくないのかよ?」
「少しね。でも、リンの私生活に興味ないし。勝手に楽しめばいいさ」
「お前、時々マジで冷たいな」
一人舞い上がっていたリンは僕の正直な言動に大層堪えたみたいで、すっかり元気をなくしていた。
さすがに可哀想だとも思ったけど、今更前言撤回するのも億劫なので放置。それに、彼の性格上それぐらいでめげたりしないから大丈夫。そうじゃなきゃ、ユキナにふられた後すぐに彼女なんて作れないからな。
ユキナか……。
この頃、僕の頭の中は何故かユキナで一杯だった。
ずっと先だと思っていた年末年始も、僕は宣言通り地方で過ごし、長い冬休みはあっという間に終わった。その後も、早送りした様に日が巡っていった。
気が付けば、もう2月だ。町は女子達で賑わい、男子達がそわそわし始めている。
そう言えば、明日って14日だ。日本中の主に若い人達が甘い一日を過ごす冬の四大イベントの一つ、バレンタインデーだ。ちなみに、残りの三つはクリスマス、正月、節分だ。
僕はチョコがもらえるかもらえないかは別として、バレンタインデーへの興味は皆無。正直、どうでも良かった。
そして、迎えたバレンタインデー当日。
登校するや否や、女子達があちこちで男子達にチョコを渡している光景が目に入った。
僕は特に何も思わず、普段通りに自分の教室へと向かう。
「アキトくんにも、はい!」
目の前に可愛い包みが差し出され、僕は戸惑いつつも受け取った。
「ありがと」
正面を見ると、短髪の元気一杯の綺麗系女子がいて愛想の良い笑みを浮かべていた。彼女の手にはトートバッグが提げられており、中に同じ包みが沢山入っていた。
「そんじゃーね!」
彼女は僕の脇を摺り抜け、向こうの男子達のもとへと走っていった。
僕は受け取った物を鞄の隙間に入れ、歩き始める。
「おはよーアキト!」
今度は目の前に、先程の女子とはまた違うタイプの綺麗系女子が現れた。
「ユキナ。おはよう」
ユキナのその様子から、僕を待ってくれていたみたいだった。今日はバレンタインデー……まさかなと思いつつも、少し期待してしまう。
しかし、ユキナは手に何も持っておらず、また懐から何かを取り出す素振りを見せなかった。そのまま、普段と変わらない口調で話し始めた。
「ごめんね。今朝、一緒に登校出来なくて。朝一で提出しなくちゃいけない物があったから先に来ちゃった」
「そうだったのか。いや、でも別にそもそも一緒に登校するって約束は交わしてないしな。謝んなくていいよ」
「そ……そうだったね」
一瞬ユキナの表情が曇った気がしたが、彼女の表情は何事もなかったかの様に晴れた。
「ねえ。放課後、暇だよね?」
「暇だけど……断定した言い方すんなよ」
「えー? だって、暇って話してたもん」
「キミには話してないけど」
「そうだっけ? まーとにかく暇なんだね! じゃーさ、駅の裏のケーキ屋さん行こうよ」
「は? ケ、ケーキ屋? ユキナ……今日は……」
キンコンカンコーン。
タイミング悪くチャイムが鳴ってしまい、ユキナは「またね」と言い残して走っていった。
「バレンタインデーだよ……」
僕の呟きが誰にも受け止められずに空回りし、虚しく周りのざわめきに掻き消された。
放課後、僕はケーキ屋の前に居た。勿論、ユキナ同伴で。
長方形の建物の外壁はチョコレートブラウンで、同色の木製扉の上にかかった店名は金色の筆記体、数個ある窓の枠も金色で、そこから覗き見える店内は白とブラウンのインテリアがバランス良く置かれ、既に席には多くの客人で埋まっていた。
店の前に置かれた手書きのボードには、ハート型のケーキのイラストとバレンタインデー限定の文字がデカデカと書かれていた。そのせいか、客の殆どが若いカップルだ。
僕はここまで来て足を止めた。
ユキナは視界から消えた僕に気が付き、足を止めて振り返る。
「どうしたの? 早く入ろうよ」
僕は言い出しづらい気持ちと後ろめたさを押し切って、本音を喉の奥から絞り出した。
「ごめん。やっぱり、僕は一緒には行けない」
「ええっ!? な、なななな何で!?」
ユキナは僕との距離を一気に詰め、困惑に歪んだ顔を最大限に近付けた。
僕は反射的に、顔を後ろに反らした。
「今日はバレンタインデーだ。女の子にとっては、きっと特別な日だろ? そんな日にただの男友達と二人きりでケーキ食べるなんて、周りに勘違いされるよ。ユキナだってそれは……」
「そんな事ないっ!」
僕の言葉を最後まで聞かず、ユキナは声を張り上げた。
これまでに聞いた事のない彼女の大声に、僕は目を丸くして唾を飲み込んだ。
「そんな事ないよ……」
ユキナの声が、段々と震えて小さくなる。視線も、足下まで落ちてしまっている。
「ずっと言えなかった……。でも、ずっとアキトの事を想っていたの」
「ユキナ……?」
ユキナは顔を上げ、僕の目を見た。
「わたし、アキトの事が好きなの。その……ちゃんと異性として」
「な……」
僕は言葉を失った。
ユキナは僕から目を逸らし、頬を紅潮させた。
僕の目はまだユキナの顔へ向いているが、それは表面上だけで意識は何処かにいっていた。
嬉しい以前に衝撃の方が大きくて、僕はユキナに反応してあげる事が出来なかった。そうなれば、当然訪れるのは虚しい沈黙。
僕はユキナの表情を見るのが辛くて、視線を少しずらした。
きっと、悲しい顔してるんだろうな。
横を若いカップルが僕達をチラチラ見ながら通り過ぎる。
未だ動けずにいる僕の代わりに、ユキナが動き始めた。
「ここでずっとこうしてるのも変だし、早くお店に入ろうよ」
ユキナは僕を一瞥し、歩いていく。
僕はこの状況でもう一度同じ事を言える筈もなく、彼女の後をついていくしかなかった。
店内はほぼ満席だったが、奇跡的に二人用の席が一つだけ空いていて待たずして席に着く事が出来た。
向かい側に座ったユキナはさっきの事など忘れてしまったこの様に上機嫌で、メニュー表からケーキを選んでいた。
「アキトは何にする?」
上目づかいでユキナが問いかけ、メニュー表を僕の方に向けてくれた。
そこには、実に種類豊富なケーキの写真と名前が並んでいる。シンプルな苺のショートケーキから、動物の形のケーキまで。どれも見た目が良くて美味しそうで、女子でなくとも迷ってしまう。
僕はメニューに一通り目を通し、迷った末にシンプルなチーズケーキにした。セットドリンクはメロンソーダに。
メニュー表をユキナの方へ向け、今度は僕が問い掛ける。
「ユキナはどうするんだ?」
「えーっと、わたしはねー」
そう言いながら、ユキナは写真の上に指を滑らせた。
「これ……」
そこで終わりかと思われたが、またユキナが指を滑らせてゆく。
「――――と、これ。あと、これとこれかなっ」
ユキナは計四つ、それぞれ種類の異なるケーキを選び、セットドリンクはホットチョコレートにした。
僕はユキナにツッコまなければならなかったが、その隙も与えずにユキナが店員を呼んでサッサと注文を済ませてしまった。
僕はあんぐりと口を開ける。
「おい……そんなに糖分ばっか摂ると太るぞ」
「大丈夫! これで最後だから」
ユキナは笑顔でそう答えた。
恐らく、僕のせいだ。自惚れかもしれないが、僕に告白して微妙な反応が返って来たからやけ食いするつもりなんだろう。
申し訳ない気持ちになるが、僕はまだユキナをふった訳じゃない。今夜じっくり考え、明日ちゃんと返事をするつもりだ。
しかし、僕はユキナの言った「最後」と言う何気ない言葉に秘められた本当の意味を後に知る事になろうとは、この時は思ってもみなかったのだった。