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違和感

 それから本格的な夏が訪れ、登下校するのも勉強するのも辛い時季になった。

 少し動けば汗が出て来るし、何もしたくない。怠い。

 ここは所詮公立だから、教室に冷房ついてないんだよな。窓を全開にしても、生温かい風が入って来るだけでちっとも涼しくなんてない。

 せっかくの休み時間だが、僕は暑さにやられて机に突っ伏していた。

 そこへ、一人の男子の声がうざったらしく降って来た。一度は無視したが、何度も何度も僕の名を繰り返して来た為、仕方なく顔を上げた


「……リン」


 僕の顔は酷く歪んでいたと思う。だけど、リンの顔は夏の暑さを吹き飛ばす程の爽やかさがあった。

 リンは僕の気持ちなどお構いなしに、話を始めた。


「今日の放課後、カラオケ行こーぜ! 他にも五、六人誘ってあるんだけど」


 カラオケか……。歌はあまり得意な方ではないが、皆で盛り上がるのは好きだ。だが、しかし。


「悪い。今日バイトなんだ」

「そうだったっけ? んーじゃ、しょうがねーな。また今度行こうぜ」

「ああ」


 ――――そう。僕はこの夏からバイトを始めた。駅からちょっと離れた場所の大通り沿いにある古本屋のチェーン店で、在庫チェックやレジ打ちをしている。学校に許可をもらっているから、堂々と業務に集中出来る。


 チャイムが鳴り響き、廊下に出ていたクラスメイトがワラワラと入って来て席に着き始める。リンも自分の席(ちなみに僕の斜め前)に着いて、机の中から次の授業の教科書を取り出した。

 僕も姿勢を正し、授業の準備をする。

 前側の扉から中年男性教師が入って来て、全員で起立、礼をした後、授業が開始された。




 昇降口で靴を履き替えていると、背中をポンっと押された。姿勢が不安定だった為、危うく転びそうになった。

 不機嫌な気持ちで振り返ると、同じ学年の美人女子が立って居た。


「何だ……ユキナか」

「何だって失礼じゃない?」


 ユキナは頬を膨らませたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。


「それよりさー今から隣町の駅前に行かない? 都内で人気の搾りたて果実のジュースの二号店が出来て、それが今日オープンしたんだー」

「ふーん。せっかくだけど、僕これから……」

「あ、そっか。バイトだったっけ」

「え? ああ……まあ」


 この時、僕は違和感を覚えた。


「残念だなぁ」

「つーか、お前……別に他の奴と行けばいいんじゃないか? 友達も一杯居るだろ?」

「んーそうだね。今日の所はそうしよっかな。でも、わたしはアキトとも行きたいから。何処か空けておいてね」

「分かったよ。それじゃあな」

「うん! またね」


 僕とユキナはここで別れた。

 僕は鞄を背負い直し、歩き出す。背後では、ユキナと女子生徒の会話が聞こえた。話の内容からして、ジュースの店へ一緒に行く事にしたんだろう。


 それにしても……。


 はたと立ち止まり、後ろを一瞥した。ユキナが眼鏡の大人しめ女子と会話を弾ませている。いつもと変わらないユキナの笑顔……なのに、僕は落ち着かなかった。

 僕がこれからバイトだと言う事はリンにしか言っていない。リンから聞いた、もしくは周りで僕達の会話を聞いていた誰かがユキナに伝えたという可能性もあるが、僕にはそうは思えなかった。

 それに、ユキナはいつもタイミング良く僕のもとへ訪れる。


 考えすぎか……?


 ブーブー


 鞄が振動し、ビクリとした。

 スマホのバイブだった。

 僕は鞄からスマホを取り出し、画面にタップした。そこにはメールが受信した知らせと、現在の時刻が大きく表示されていた。


 ヤバッ……急がないと。


 僕はメールには目もくれず、時刻だけを脳に素早く伝達させてスマホを鞄に滑り込ませた。

 バイトに遅れる訳にはいかない。もし遅れたら、先輩に怒られる!

 僕は全力疾走した。





「アレ……?」


 二時限目の授業の前の休み時間、僕は机や後ろの黒板下のロッカーとを行き来し、その度に首を捻った。

 終いには、鞄の中身をひっくり返した。

 そんな僕の様子を見兼ねたのか、リンが近付いて来た。


「アキト、どうした?」

「す、数学の教科書がないんだ」

「そりゃ、マズイな」

「うわー……多分、家だ。珍しく昨夜勉強してたんだ」

「いつもと違う事するからだよ。あーあーアキト、せっかく真面目に勉強したのにご愁傷様」

「あーもう、最悪だ……」


 僕は鞄の中身を乱雑に詰め込み、机に両肘をついて頭を抱えた。

 二時限目を担当する教師は滅茶苦茶厳しい事で有名な、校内で知らない者はいない、常に生徒の話題になっている人物だ。とにかく、彼は校則に忠実なのだ。

 少しでも制服を着崩して反抗するものなら、直ぐ様担任を呼び出して担任諸共説教をする。更にその生徒がその場限りの反省だと言う事に気が付くと、今度は保護者を呼び出す始末。

 勿論彼の言っている事は間違っていないと、僕は思う。ただ、細かすぎるだけで。

 自分の席へ戻っていこうとしているリンも、さすがに今は制服を正しく着こなしていた。僕の身だしなみはいつも通り、校則の許容範囲内だ。


 だが、問題なのががら空きの机上。教科書を忘れるだなんて、減点の対象じゃないか。ここで減点をくらったら、次の期末で相当良い点を取らなくては補習確定だ。僕は数学は……数学も、あまり得意ではないのに。

 僕の夏休みが中年男性とのランデブーになってしまう。

 それは何としてでも避けたい。避けたいけど……

 僕の机上には、筆記用具しか置く物がない。


 これはマジでどうしよう。


「あ、ユキナさん」


 リンの声で、僕は我に返った。興味のない顔でリンの向いている方を見ると、廊下をユキナが駆け抜けて来た。何処かへ行くのかと思えば僕達の教室の前で急停止して、窓から顔を出した。

 急に整った顔が真横から迫って来て、僕の心臓はトビウオの如く飛び跳ねた。


「はい! 教科書」


 ユキナが僕に数学の教科書を差し出して来たが、僕はすぐには受け取らなかった。教科書の片隅には顔と同様の整った字で名前が書かれている。これは間違いなくユキナの教科書だった。


「良かったら使って?」


 ユキナは半ば強引に僕の空いた両手に教科書を乗せ、一人満足気な表情を浮かべて立ち去ろうとした。

 僕はその状態のまま、慌ててユキナの背中に声を掛けた。


「教科書、ありがとう」

「うんっ」


 ユキナは僕に飛びっきりの笑顔を見せた後、自分の教室へと帰っていった。

 僕は机上を埋めてくれた物を見つめ、顎に手を添えた。


「ありがたいんだけど……何でユキナは僕が教科書を忘れた事を知っていたんだろう」

「そりゃ、ここで感じたんじゃね?」


 リンがそうドヤ顔で言って、親指で自分の胸を指した。

 僕は呆れた。

「それはないだろ……さすがに。まあ、ここ密室空間じゃないしな。たまたま知った……事にしよう」

 実の所、今回に限った事ではない。入学当初から、ユキナに対する疑惑は募っていく一方だった。まあ、今の所害はないからいいんだけど……。

 何だか胸の奥がざわつく様な、そんな嫌な予感がしてならなかった。





 ユキナのおかげで夏休みもエンジョイ出来、無事に新学期を迎える事が出来た。

 すっかり紅葉した並木道、枝から舞い落ちた葉を音を鳴らして踏みしめ、僕の右隣のユキナがしみじみと言った。


「もう秋だねえ。秋と言えば、文化祭! アキトのクラスはアニマルカフェやるんだよね」

「相変わらず情報早いな」

「そう? で、アキトはくまさんの格好して接客するのかぁ~。ふふ。楽しみ」

「な、何でそんな事まで知ってんだよ。恥ずかしいから口外しない様にしてたのに……」

「噂だよ。う・わ・さ」


 ユキナは人差し指を立てて唇に当て、悪戯な笑みを浮かべた。

 僕は肩から下がった鞄を掛け直し、後頭部を掻いた。


「ホンット、もう……地獄耳だな」

「地獄耳?」

「ああ。てか、これはもう盗聴魔法の様だな」

「盗聴……魔法……」


 ユキナは俯き、口元を両手で覆った。横顔が何だか悲しそうだ。僕、傷付ける様な事を言ったかな。


「魔法か……うふふ」


 ユキナの両手の隙間から笑い声が漏れ、僕は眉を顰めた。

 次第に笑い声は大きくなり、両手をどかしたユキナの口元は完全に口角が上がりきっていた。

 僕は焦って声を張り上げた。


「な、何がおかしいんだよっ」

「だ、だって……ふふ……アキトが魔法なんて言うから」

「え……それ、そんなにおかしい事なのか? キミのツボが分からない」

「ううん。そーゆー事じゃなくて、昔はよく魔法魔法ってアキト言ってたなーって。『ぼくはいだいなるだいまほうつかいさまだ』ってね。わたしも一緒になって、魔法使いゴッコしたなぁ」


 うぐ……痛いとこを突くな。子供の頃の事とは言え、あんなしょーもない事をしていただなんて。自分の記憶の奥深くに沈めておいたのに、あっさりと掘り起こされてしまった……僕の黒歴史。


 僕はテキトーに相槌を打って、これ以上話を広げない様にした。話を文化祭の方へと戻そうともしたけど、それも触れてほしくない事ばかりだったから、結局僕から話題を振る事もなくユキナのターンが続いた。

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