告白
後日、通学路を歩いていると、早速ユキナと再会した。
最寄りの駅で電車を降りたユキナは、偶然その先の道を歩いていた僕を発見して走り寄ったらしい。
僕とユキナは並んで歩き、校舎に入るまで他愛もない会話をした。
最初の教室の前まで来ると、ここでユキナとはお別れ。僕はその隣のクラスで、彼女とはクラスが違うのだ。
僕はユキナに軽く手を振り返し、自分の教室へと向かった。
教室へ入った途端、いきなり一人のクラスメイトの男子が近付いて来た。
「なあ、お前。あの娘と知り合いなのか?」
突然の問い。あの娘ってユキナの事だろうが、悪い。僕はキミとは初対面なんだ。こんな茶髪の制服を若干着崩したチャラ男、僕は関わりたくない。てか、登校初日からそれってどうなの。よく校門潜れたな。ま……髪は地毛かもしれないけど。
しかし……無視をする訳にも、変に嘘をつくのも良くないよな。僕は素直に答えてあげた。
「幼馴染だよ。小中は違ったけどな」
「お、幼馴染!? ……羨ましい……」
目を丸くしたと思えば、目を細めて僕にじめっとした視線を向けた。
これ以上彼が声を発しなかったので僕は会話が終了したものと思い、彼の脇を摺り抜けようとした。
ところが、その際に腕を掴まれて僕の足は強制的に止められた。
僕は眉を顰め、彼に振り返る。
「まだ何か用? 早く席に着きたいんだけど」
彼は僕の腕を離し、今度は僕の両手を自分の両手でがっちりホールドした。
僕と彼は向き合い、見つめ合う形に。彼は恍惚とした表情を浮かべていて、ちょっと絵面的にマズイ感じに。
やめて、周りのクラスメイト。背景に薔薇を浮かべないでくれ。
「あのさー……キミ、何なの?」
僕は彼から僅かに視線を逸らし、控えめに言った。
彼は僕へのホールドを解いて、真剣な顔をした。
「じゃあ、あの娘の事、俺よりも詳しいって事だよな?」
「ま……まあ」
いや、キミがユキナの事をどれぐらい知っているのか、僕は知らないんだけど。
「よし! 今から友達だ!」
彼は満面の笑み。
「と、友っ!?」
嫌だ。高校生活初めての友達が、こんな訳の分からないチャラ男だなんて。
「俺、リン! よろしくな」
「リ、リン? ほ、本名?」
愛称なのかなと思い、僕が訊き返してみると、彼は混じり気のない真っさらな笑顔で本名だと答えた。途端、口元が震えた。
リン……リン……リンって、女みたいな名前だな。それも、コイツがリン。これほどまで似合わない奴が居たとは。
僕は喉から込み上げて来る笑い声を必死に沈め、ニヤケ顔を隠す為に少し俯いた。
「僕はアキト。……取り敢えず、今は席に着かせてくれないか? もうすぐでチャイムが鳴る」
「おう! んじゃ、休み時間になったら話を沢山聞かせてやる」
リンが自分の席に戻ってゆき、僕は複雑な思いを抱えながら席に着く。
鞄を横にかけて背筋を伸ばすと、視界に見覚えのある髪色の男子の背中が入った。まさかとは思うが……
「よお、アキト」
振り返った彼はリンだった。そういや、リンも窓際に歩いていったな……。僕とした事が、横を通り過ぎたのにも関わらず彼の存在に気付けなかった。
僕はリンに苦笑いを返した。
「休み時間に」とリンは言ったが、これでは授業中も会話をする事になりそうだ。
案の定、朝から夕方までリンの話に付き合う事になった。帰路が逆方向だった事は幸いだったな。
リンの話によると、リンとユキナは中学の同級生だったらしい。中学三年の時、リンが階段から転げ落ちたところにユキナが通りかかり、手当をしてくれたようで。以来、リンの心は彼女に奪われた。寝ても覚めても頭の中はユキナの事で一杯で、それでもリンには彼女に想いを告げる勇気はなかった。そんなもどかしい日々がダラダラと続き、気が付いたらリンはユキナの後をつける様にこの高校へ入学していたという訳だ。ツッコミ所満載だな、おい。
今日一日で野郎のどうでもいい恋物語を頭に叩き込まれ、帰路を歩く僕の足取りは重かった。
あ――……これからの高校生活どうなっていくんだろう。
見上げた空は、橙を始めとする暖色系と紺を始めとする寒色系が見事に混じり合って美しいグラデーションを創り出していた。数羽の烏がそこへ飛び込み、嗄れた鳴き声と漆黒の羽を一枚落としていった。
高校生活にも慣れ、殆どの生徒が夏服へと衣替えしている中で僕はまだネクタイを締めていた。首元が暑苦しいので今すぐにでも外したいが、長袖のカッターシャツの場合はネクタイを締めるのが校則。だったら半袖にすればいいんじゃないかと言われるが、今の時季は朝と晩で気温の変動が激しい為、長袖の方が何かと便利なんだ。暑けりゃ、袖を捲ればいいしな。
鞄を肩から提げて校庭を歩いていると、僕と同じくまだ衣替えしていない女子が目の前を横切った。
黒の長髪を靡かせ、短いプリーツスカートをはためかせて彼女は何処かへと足を急かしていた。
あれは、ユキナだ。横切った時に、横顔をハッキリと見たから間違いはない。
でも、あのユキナが僕に気付きもせず、通り過ぎるなんて。入学式の日以来、登下校も休み時間もまるでタイミングを図っているかの様に僕に声を掛けて来ると言うのに。何か様子も変だった。焦っている様に見えた。
僕は気になったので、後ろめたいと思いつつも、彼女の後をつける事にした。
はあ……はあ……。ほんの数分走っただけなのに、息はすっかり弾んでいた。
僕は呼吸を整え、傍らの体育館の壁に貼り付き、そこから顔だけを覗かせた。
ユキナが居る。しかも、一人じゃない。ユキナの向こうに、誰かが立って居た。よく目を凝らして見ると、何とそれはリンだった。
二人は向かい合い、何だか重たい空気を漂わせている。
男女が一体一で体育館裏で行うイベントと言えば、僕が知る限りではアレしかない。少女漫画でよくあるシュチュエーション。いや、まさかこんなとこでわいせつな行為をするとは思えないし、やっぱアレだ。
そうと分かれば、さっさと邪魔者は退却すべきだと思うが、気になってしまうのが本音。
僕は二人に見つからないよう、こっそりと息を潜めて結末を見届ける事にした。
ここからだと、あまり声はハッキリとは聞こえない。
ユキナの背中の向こうのリンの表情と動く口だけが覗える。読唇術が使える訳じゃないけど、何となく分かる。
それに対するユキナの反応は……。
ユキナが深々と頭を下げ、瞬間リンの瞳に悲しみが宿った。
ああ……なるほどな。嬉しい結末だったら、僕もここから飛び出して二人を心から祝福しようかと思ってた。でも、この結末は……見ない方が良かったかもしれない。明日、二人に会ったら僕はどんな顔をしていいのか分からないからだ。
ユキナがくるりと身体の向きを変え、背後にリンを残したまま歩き始めた。
こっちへ来る!
僕は慌ててその場を離れ、校舎の間を縫って一度も潜った事のない西門から帰った。そのおかげか、家に着くまでは一度もユキナとは出逢う事はなかった。
翌日、珍しく一人で登校をし、教室に入って席に着いた途端。既に席に着いていたリンが僕の方を振り返って悲しそうな、悔しそうな、そんな顔で語り始めた。
「なあ、聞いてくれよ。昨日、勇気を振り絞ってユキナさんに告ったんだけどさ……」
少しばかり言葉を詰まらせるリン。残念ながら、僕はその後に続くだろう言葉を知っている。だけど、それを口にする訳にはいかない。昨日覗き見していた事がバレてしまうからな。
リンの眉が情けなく下がり、彼は続きを口にした。
「あっさりとふられたよ……。他に好きな奴が居るんだってさ」
「……そうなのか。それは残念だったな」
僕も表面上は同情の色を纏ったけど、内面上は安心していた。何故かは分からないが。
ズキン。
胸が酷く痛む。ユキナが好きな奴って、一体誰なんだろう。考えた事もなかったが、そんなの当たり前か。
ユキナは幼いままのユキナじゃない。恋だってするし、そのうち僕なんて放っておいて彼氏と行動を共にする事になるんだろうな。
僕の記憶の中の彼女が急に成長してしまい、僕はそこに置いてけぼりにされた気がした。
僕はどうなんだろう?
吹っ切れた様に別の話を始めたリンに、頬杖をついたまま虚ろな視線を向けた。
僕もリンと同じ様に、ユキナの事が好きなのだろうか?
そして、告白してふられるのだろうか?
――――分からない。僕は自分の気持ちが分からない。
この日は複雑な想いを抱えたまま、全ての授業を終えた。
リンと正門で別れた後、慌ただしい足音が僕に近付いて来た。
「アキト――!」
「ユキナ」
僕は足を止め、ユキナが隣に来るのを待った。
ユキナは肩を上下させ、呼吸を整えながら精一杯笑顔を作った。
「アキトってば行動早い。さっきまで、購買近くの自販機の前で男子達とゲームの話で盛り上がってたのに、わたしが行った時にはもう正門出てるんだもん。おかげで走っちゃった」
「なら、別に僕を追って来なくても良かったんじゃ?」
「わたしはアキトと帰りたいの!」
「え? 僕と?」
「何、ソレ。すっごい嫌そう。アキトはわたしとは帰りたくなかったの? わたしの事嫌い?」
「そうじゃないけど……。ただ、まあ驚いただけっつーか」
僕の目は完全に泳ぎ出していた。実の所、ユキナとは会いたくなかった。今日一日彼女の事を考え、まだ気持ちの整理がついていなかった。だから、いつもよりも正門を潜る時間を早めたのに。
「そっか。じゃあ、行こ?」
ユキナが一歩踏み出し、僕の方を振り返った。
陽光に照らされた彼女の顔は優しく穏やかで、心臓がドクンと跳ねた。頬もちょっぴり熱い。
「あ、ああ……」
僕が歩き始めると、ユキナも足並みを揃えて歩き始めた。
見慣れた町並みを背景に、僕達は普段と変わらない他愛もない会話をしながら歩く。ユキナは終始笑顔だ。
周りを見回せば、何処かの制服を身に纏った高校生のカップルがじゃれあっていたり、自転車を二人乗りしていた。
ユキナは僕なんかと一緒に居るより、あーやって彼氏と楽しくしていた方が幸せなんじゃないか? ……そんな事を思い始めたら、今朝のリンの話を思い出してしまった。
「アキト、リンくんから聞いたんでしょ? わたしがリンくんをふった事……」
「うおっ!?」
ユキナが急に僕の思考を読み取ったかの様に話を切り出したから、僕は本気で驚いてしまった。開いた口が塞がらないとは……まさにこの状態だ。
ユキナは僕をからかっている様に、クスクスと笑い出す。
「だって、分かるよー。わたし、アキトの事なら何だって分かるんだから」
「何だよ、ソレ」
笑えない冗談だな。当然、僕の笑いも苦笑い。
すると、ユキナの笑みがパタリと消えた。
「何てね。リンくんなら、アキトに話すかなって思って。入学してから仲良いもんね」
「あ、仲良いっつーか……あっちが勝手に……」
「……リンくんに悪いなって思ってるの。リンくんは面白いし、優しいし、嫌いじゃない。だけど、わたしには好きな人が居るから」
「好きな人……」
僕が顎に手を添えて考え込んだ途端、ユキナは頬を赤らめて明らかな動揺を露にした。
ユキナは僕をチラリと見て、目を泳がせる。
「え、駅だ。わたし、もう行くね。電車来ちゃうから」
そう言って、ユキナは慌ただしく走って行った。確かに、いつの間にか駅が眼前にあった。周りの人の流れも速く、皆駅へ駆け込んでいた。
ユキナは人混みに紛れ、僕に大きく手を振った。
「また明日ね!」
「ああ」と僕は心の中で返事をし、彼女に手を振り返した。
その後、一瞬でユキナの姿が人混みに飲まれて見えなくなった。