封印帝国
そして翌朝。やって来たのはガーヴから協力者だと紹介された男一人だった。
「見事な変身ぶりですね。これならあなた方がキルギア人だとは誰も思わないでしょう」
ガーヴの言いつけどおりにして外見を変えたナディとライナに、男は目を見張って言葉を紡いでいた。
「それはどうも」
ナディが素っ気なく応じる。
「あの、ガーヴさんは」
ライナの言に男は、
「独自に王宮内の状況を探っています。私も王宮に詰めていますので、何かあれば私にお知らせください。すぐにガーヴ殿と合流できるようにしますので」
ガーヴの手際のよさを知る二人にはそれで十分だ。
「了解。それじゃあ、王宮の案内役、よろしくね」
「承知しました。ただし」
それまで見せていた柔和さを一変させ、男は険しい表情になると、
「この建物から外に出たら、私とあなたたちは見知らぬ他人です。決して馴れ馴れしくしないようにお願いします」
ナディたちもまた表情を引き締めると、厳かに頷いていた。
建物の外の大気は、早朝にもかかわらず鉛色に澱んでいた。モノトーンの靄に沈む石畳を踏みしめて、ナディとライナは、足早に歩を進める男の後姿を追いかけていた。
正門を迂回するように城壁沿いの狭い道を辿り、小さなくぐり戸を抜けて、一行は誰にも咎められることなく王宮に入っていた。そこはちょうど宮殿の裏手のようで、間近にレンガ壁がそびえて視界を塞いでいる。突き当りの壁を折れてしばらく行くと、男は錆びついた扉の閂を外す。軋む扉を抜けると、そこは吹き抜けの空間だった。正面にはいくつもの扉が並び、メイド服姿の若い女性や、雑役婦然りとした婦人が忙しそうに出入りしている。そんな中で、一際大きな声を上げて雑役婦たちを指示、叱咤している大柄な人物がいた。ナディたちに気づいた彼は、大股で近づいて来る。
「よう、旦那。そっちのねーちゃんたちが頼んでた新入りか」
だみ声を発しながらナディとライナをじろりと眺めまわすと、
「旦那の見立てなら今回も間違いないだろうさ。遠慮なくこき使わせてもらうぞ」
「どうぞご自由に」
《ガーヴの協力者》である男は何食わぬ表情で応じると、ナディたちを顧みることもなく立ち去っていた。
「と、いうわけで、覚悟はできてるんだろうな、ねーちゃんたち」
もとより覚悟はできている。
「はいっ」
「よろしくお願いします」
しおらしく頭を下げるナディとライナだった。敵陣のただ中であるこの場所で活動するのであれば、まずは好印象を植えつけておくのが得策だ。
二人の思惑通りに、男は満足したように口角を上げていた。
「よーし、さっそく仕事だ、ついて来い」
奥の空間まで進むと、男は、壁に並んだドアの一つにナディたちを招じ入れていた。
天井は低いが奥行きのある空間は熱気に満ち、密度を増した空間の中で使役人たちが動き回っていた。
「まずは基本の厨房仕事だ、しっかり働け!」
いきなり働けと言われても、何をすればよいのかさっぱり分からない。脇を掠めるように駆け抜けた年配女性が、じろりと二人を睨んで行く。さらには、滑り落ちんばかりに皿を抱えた女性が《邪魔だよ!》と怒声を投げかけて走り去る。
「仕事は見て覚えるんだな。まあ、しっかりやれや」ナディたちに向かってにやりとした後、奥に向かい「ちょいと新人を鍛えてやってくれ。煮るなり焼くなり、自由に使っていいぞ」
「はいよ。ただし、使えなかったらあんたのところに突っ返すからね」
奥に控えていた大御所然りとした女が、飾り気のない言葉を発して応じる。
「仕事は見ての通りだよ。ぼやぼやしてないで、さっさと仕事にかかりな、新入り!」
「はい!」
《大御所》の号令で、挨拶もそこそこにナディたちは、殺気立ったように駆け回る使役人たちのただ中に飛び込んでいた。
首尾よく敵陣の中枢への潜入を果たしたナディとライナだったが、当初は、尋常ならざるハードワークから、本来の目的である情報収集をするゆとりも気力もなく、一日の仕事を終えるなり、あてがわれた粗末な寝室で朝まで泥のように眠るというありさまだった。それでも、持ち前の気性で雑役婦としての仕事をこなし、要領を覚えると本来の仕事に取かかっていた。
地上はもとより、地下も何層にも及び、通路は迷路のように入り組んでいる王宮内の間取りを確認して、怪しげなエリアや小部屋をしらみつぶしにチェックして行く、そんな、地道な作業を、二人は辛抱強く続けていた。そんな努力にもかかわらず、ティアの居場所に関する手がかりはようとして得られない。
その日も何の手がかりも得られず、寝室に戻るなり、
「あとは、中枢をガサ入れするしかない、か」
疲労感を滲ませてナディはぼやいていた。ライナもまた、深く息をつく。
「大方の怪しい場所は調べちゃいましたからね」
「一番まっとうそうな場所、貴賓室とか王様の玉座のある広間、そういうところの周辺にティアがいる可能性が高い、考えてみれば、そっちの方が合理的よね」
「そんな場所、今のわたしたちの身分じゃ入れませんよ」
「そこは腕の見せ所でしょ。やり方はいくらでもあるわ」
かたかたと音を立てて、頭上の梁の上を大きな鼠が駆け抜けて行く。梁の振動に呼応するように、扉をノックする音が聞こえる。
訝って誰何する間もなく、扉が開き、
「やほっ、お元気、お二人さん」
顔をのぞかせたのは、二人と同期に入った新人、レナだった。
「しけた顔してるわねえ、明日はめったにもらえない休みだっていうのに」
「はあ……」
「疲れてるんです、わたしたち」
ナディとライナのつれない返事に、レナは唇をへの字にして、
「この機会に親交を深めようと思って来たんだよ。そのつもりで準備もしてあるんだから。おいでよ、あたしの部屋に」
強引ではあるが、純粋な厚意からの誘いなのだろう。となれば、生の情報が入手できるかもしれない。無碍にすることもかかろうと考え、ナディとライナは、レナの《厚意の誘い》に応じることにした。
ナディたちの寝室同様に質素なレナの寝室に入ると、二人は、ちょっとした驚きに目を見張っていた。
「ねえ……」
「これって……」
備え付けの小さなテーブルの上には、所狭しと料理が並べられている。器は質素だが、盛られた料理は、一見して高級な食材をあしらっと分かるものだった。真ん中には、高貴そうな色彩を放ったワインボトルが置かれている。
してやったりという笑みでレナは、
「厨房の仕事に慣れちゃえばこのくらいはお手のものよ。ここの偉いさん達ときたら贅沢なものね。いつもいつも高級な料理を食べないで余らせちゃうんだから。どうせ捨てちゃうんだからと思って、余ったものを失敬してきたの。遠慮なくどうぞ。お酒もたくさんあるわよ」
余り物とはいえ、口にしたことのない高級な料理を食べられることに、ナディとライナは心を躍らせていた。食の誘惑は何にも勝るのだ。
ナディとライナは、レナににっこりと笑みを返す。
「ありがとう、遠慮なくいただくわ」
こうして、若き女性三人のささやかな宴が始まった。
「ねえねえ、あんたたちは、何でここで働こうって気になったわけ」
程なくして、ワインの酔いでほんのりと頬を染めたレナの唇が妖しく動く。
「まあ、いろいろあるのよ、あたしたち」
答えにくい問いを、ナディは無難な言葉でかわしていた。
「そうでふ、いろいろあるんでふよ、わらひたち」
ライナの方は、幾分酔いが回っているようだ。
「あんた、ちょっと飲み過ぎじゃない、ライナ」
窘めるように言うと、ナディは、レナに気づかれないようにそっと唇に指を立てていた。
ナディの意図を理解したように、ライナは一瞬、真顔になって、
「ら、らいりょうぶれふよ、余計なこと、しゃべったりしませんから」
いささか心許ないが、自分のおかれている立場の自覚はあるようだ。
二人のやり取りを怪しむふうもなくレナは無心に、
「ふーん。あなあたちもわけありってことね。まあ、ここならそこそこのお給金は貰えるから。ここで働けてなかったら、あたしも家族は路頭に迷ってた。ここを紹介してくれた人には感謝してるわ。あなたたちも彼には感謝することね」
《食えない奴》だと思っていたガーヴの協力者だが、意外に善人のようだ。そんな思いを抱いている間にも、レナの声は続いていた。
「外で働いているときには、ただ同然のお給金で、休みもなくきつい仕事をさせられてたわ。それしか選択肢がない、そうしなければ生きていけなかったから。そんな辛い思いをしてる人がいっぱいいるわ、大人も、子供もね。それが当たり前。誰もが貧乏なのよ。それって、誰が悪いんだと思う?」
ありていに考えれば、この後に続くのは政治批判の言葉なのだろうけれど、王宮の給金に満足している今のレナの立場からすると、そんな言葉が続くのは不自然だ。であれば、問いの真意は別のところにあるのだろう。ナディとライナは、息を詰めて、レナの次の言葉を待ち受けていた。
「ここは閉ざされた世界。そして、その元凶をつくったのは―」
「……キルギア」
レナの言わんとしていることを察して、ナディが先取りする。
「そうよ、キルギアという邪悪な国によって一方的に閉ざされたあたしたちの国は、外の広大な世界から得られる筈だった富を得る機会を失った。閉ざされる前のこの国は、交易によって栄えて、みんなの暮らしは豊かだったと聞くわ。だからね、あたしは、この国をこんなふうにした元凶のキルギアが憎い、って、ごめん、こんな話をするつもりじゃなかったんだけど」
ザグレス人であるレナのキルギアに対する本音に、ナディたちはぎくりとする。確かに、ザグレスを魔法による壁で封じたのはキルギアだ。けれどそれは、一方的なものではなく、ザグレスにとっては正当な理由からのものだ。それが《キルギア側の歴史》からナディたちが得た歴史観であるのなら、ザグレスにとっても、正当な歴史観があるに違いない。それを確かめ、その真実が検証されなければ、双方にとってフェアではないではないか。
「キルギアは、本当に悪い国なのかな」
ナディが恐る恐る発した言葉に、レナは眉を顰める。
「そんなこと、あたりまえじゃない。今さらそんなこというなんて、おかしいよ」
思いの外、強い口調で反駁されて、ナディは口を噤む。これ以上、この話題に深入りすべきではないと感じたその矢先、
「ろっちも、悪いんれふ」
呂律が回らない口調でライナが口を挟む。
「ちょ、ちょっと、ライナ―」
どきりとして、制しようとするナディの声も聞こえないかのようにライナは、
「キルギアとザグレスが戦争を起こひた、その時点れ、ろっちも悪いんれふ。戦争になれば、たくさんの罪のない人が殺される、そんなころは、られにれも分かる絶対悪じゃないれふか。それを承知でキルギアとザグレスは戦争を起こひた。その結果としての事実にゃら、両方が悪いんれふ。そうれひょ、聞いてまふか」
「あ、はは……ごめんね、この子、お酒が弱いみたいで……」
ライナは、ひたすらに焦るナディと、レナを、とろりとした目で交互に見詰めると、
「戦争、反対れふ―」
呟くように声を上げると、ことりと頭を垂れ、ナディの体に身を預けて目を閉じていた。
ナディの膝枕で軽い寝息を立てるライナに、レナは表情を緩めて、
「まるで子猫ちゃんだわね」
「虎にならなくてなによりだわ」
ナディがゆるい笑みを返す。
「さて、と。明日の休み、あなたたちはどうするの」
話題が変わったことにナディはほっとして、
「うーん。特に何も考えてない、かな」
「なによ、それ。めったにもらえない休みなんだよ、有意義に使わなくちゃ。あなたたち、この街には不慣れみたいだから、あたしがこの街の案内してあげるわ。一緒に出掛けよう」
「不慣れって……どうして分かるの」
「あなたたちの言葉、訛ってるじゃない。この辺りじゃなくて、地方の出なんでしょ」
遠慮のない言葉だが、不快感は感じない。そんな勘違いも、ナディたちには好都合でもあった。
《両刀の業務》に張りつめていた身には、レナの誘いは魅惑的でもあった。ガーヴには叱責されるかもしれないが、魔導士であろうと人の子、休息は必要なのだ。
「ありがとう。お言葉に甘えてもいいかな」
「もちろん。子猫ちゃんも一緒にね」
ナディとレナの笑みが重なる。
雲天の空から降りて来たような靄が目の前を流れて行く。深呼吸をするナディとライナを見て、
「まるで酸欠の魚みたいね」
と、レナが笑う。
「何日もお城の中に閉じ込められていたんですよ、当然です」
ぷくりと膨らんだままでライナが応じる。
「同感」
と、脇ではナディが大きく伸びをして、さらなる新鮮な空気を取り込もうとしている。
そんな三人の前を、車輪が軋む音を響かせて荷馬車が通り過ぎて行く。
「外に出て来てよかったでしょ、あたしに感謝なさい」
そう言って、レナは湿った石畳の道を軽い足取りで進み出す。今日は何もかも忘れ、束の間の休日を楽しもうと決めて、ナディとライナは、レナの後を追いかけていた。
閑静な王宮前から下町に入ると、様相は一変していた。未舗装の狭い路地が迷路のように連なり、たくさんの人が行き交っている。屋台からの威勢のよいかけ声と、子供の嬌声が入り乱れて飛び交う。お香と泥の入り混じった匂いが鼻をつく。キルギアの王都とは異なる、ザグレス市民の素の暮らしぶりがそこにはあった。
異国の街の素のままのたたずまいは、興味を大いにかきたてるものだ。行き交う人波の中を泳ぐように歩きながら、ナディとライナは、異国の喧騒を肌で感じ取っていた。
二人の前を慣れた足取りで歩いているレナは、そこここで通行人に声をかけられて、親しげに会話をしている。この界隈はレナがかつて暮らしていた場所で、皆の人気者だったのだろう。
人波をかき分けてレナに追いつき、脇で立ち止まるナディとライナを見て、レナと親しげに話をしていた屋台のおばちゃんは、人懐っこい笑顔を浮かべて、
「あんたたち、レナの知り合いだね。若い子はいいねえ、みんなべっぴんさんで。レナの知り合いならサービスしなくちゃね」
差し出されたのは、こんがりと焼かれた大ぶりの骨付き肉だった。ライナは目を輝かせて、
「これ、これですぅ。わたし、これが食べたかったんです」
受け取った肉を頬張り、ライナはとろけるような笑顔をみせていた。
ライナの笑顔につられるように、レナもまた表情を緩めていた。喧騒の中に流れる凪の時間。が、それは束の間のものだった。
ふいに、レナの表情が引き攣り、歪む。
「レナ……?」
「どうか、したんですか?」
その不自然さに、本能的に異変を感じてナディとライナは身を竦め、レナの視線の先を探ろうとした刹那、
「おう、レナ。こんなところにいるとはな。いい度胸じゃねえか」
群衆の中から近づいてきた、見るからに人相の悪い大男がだみ声を発していた。さらには、大男の手下らしい屈強な男数人が、素早くレナたちの周囲を取り囲む。
「おやおや、下衆なのが現れたもんだね」
屋台のおばちゃんが豪胆に言い放つ。
「ゼガルテの旦那になんてことを言いやがるんだ」
手下の一人が凄んで、おばちゃんに詰め寄るのを制して、
「まあ、そういきり立つな。用があるのはレナのお嬢ちゃんだ」
細めた目の奥にどす黒い光を湛え、ゼガルテはレナを見据えていた。
「い、いまさらあたしに、よ、用なんかないでしょ。あたしとあんたは、もう他人なんだから」
精一杯の気丈さを込めたのだろうけれど、その声音は震えている。
「食い物と住む場所をあてがってやったろうが。その恩、忘れたとは言わせねえぞ。それにな、おまえにはまだうちで働いてもらわなきゃなんねえんだよ。贔屓が見つかった矢先に逃げだしゃあがって!」
人権を無視した言葉を言い放つ目の前の悪漢に、ナディは怒りを露わにして、
「ちょっと、おっさん、なんてこといってんのよ!」
怒りの矛先を向けられた当のゼガルテは、醜く歪んだ笑みを浮かべて、
「威勢のいいねーちゃんだな。レナの知り合いならうちにスカウトするぜ。高給保証ってことでどうだ」
厚顔に言い放つ。
「ごめんこうむるわ」
嫌悪に表情を歪めて、ナディは応じる。
「そうかい。それじゃあ俺の所の従業員は連れて帰らせてもらうぞ。従業員一人だって大事な資産だからな」
「いや、やめて!」
ゼガルテに腕を鷲掴みされたレナが抵抗の叫びを上げる。と同時に、
「させるかぁ」
ナディの体がしなやかに動き、男に突進していた。
渾身の力を込めたナディのタックルに、男はバランスを崩して地面に膝をついたものの、すぐに体勢を整え、仁王立ちになってナディをねめつけ、
「おい、ねーちゃん、こっちが下手に出てるからってつけあがるんじゃねえぞ」
と、凄んでいた。
「だ、だめですよ、ナディさん、こんなところで騒ぎを起こしたら」
冷静に諫めようとするライナの声にも、ナディの感情は鎮まることなく、
「分かってるわよ、そんなこと! けどね、あたしはこのおっさんをぶちのめさなきゃ気が治まらないの」
「だ、だめですってば、わたしたちにはもっと大事な―」
「困りますね、あなたたち」
ライナの諫言と重なったのは、騒ぎの当事者ではない第三者の声だった。
不意に現れた第三者の姿に、その場に居合わせた皆は、
「あ……えっと……」
「あ、ははは……」
「むむっ……」
「おやおや、これはこれは」
「……」
それぞれの言葉を発して、当の人物を見詰めていた。その人物は、この場の誰もが見知った人物だったのだ。
「すみませんねえ、商売の邪魔をして」
その人物―ガーヴとナディ、ライナの協力者―は、屋台のおばちゃんに向かって如才ない笑みを送った後、ゼガルテに向かい、
「こちらのお嬢さん方は王宮で働いてもらっているんです。きちんと従業員として契約を結んで、賃金も支払っていますから、彼女たちの身分に関する権限はこちらにあります」
ゼガルテは、不満そうに肩眉をぴくりと上げて、
「そいつはないですぜ、旦那。レナは俺のところの従業員でずっと面倒をみてやったんでさあ。その恩を裏切るように黙って出て行っちまった。まだ元も取ってねえんですぜ。横取りしてったんなら、損害の補償をしてもらいたいもんでさあ」
《ガーヴの使者》―ナディとライナ以外の者にとっては王宮の官吏―は薄く笑み、
「この国の法律はご存じですよね」
「あ、いや……そいつは、その……」
狼狽えた様子のゼガルテに、官吏はたたみかけるように、
「女性の人権は守られなければならない。ですので、《その類の》商売は禁止されているんですよ。違反者は厳罰だということも、当然ご存じかと。こちらのお嬢さんがそういう商売と無関係ということでしたら、お嬢さんを王宮で働くように取り計らったことをお詫びすることにやぶさかではありませんが。あなたにやましいところはないのですね、ゼガルテさん」
ぐうの音も出ず、ゼガルテは押し黙る。
「では、この件は一件落着ということで。よろしいですね」
反論の余地もなく締め括られて、ゼガルテは観念したように身を縮め、部下に目配せをすると、そそくさと立ち去っていた。
ゼガルテが去ると、《ガーヴの使者》は、ナディとライナに険しい表情を向けて、
「あなたたちはまだ新人でやるべきことはたくさんある筈です。外で遊んでいる暇などないでしょう。自分たちの立場を理解なさい」
しおらしく振る舞おうとしたものの、内心の感情には逆らえず、ナディとライナはぷくりと頬を膨らませていた。
間に挟まれたレナは、ばつが悪そうに、
「ご、ごめんなさい、あたしがナディさんとライナさんを誘ったんです。あたしも同じ立場ですから同罪ですよね」
とりなすレナに《ガーヴの使者》は、険しかった表情を幾分か緩め、
「すみません、言い過ぎたようですね。息抜きも必要でしょうけれど、監督者としての私の立場もあるんです。騒動を起こしたら、私の立場はもとより、あなたたち自身が困ることになりますよ」
「はい」
神妙に頷くレナにならい、ナディとライナは表情を改めると、
「以後、気をつけます」
「ごめんなさい、です」
《大人対応》の態度を示していた。
「今回のことは、これ以上咎めだてはしません、なかったことにしておきましょう。では、私と王宮に戻りましょう」
王宮の官吏、兼《ガーヴの協力者》がナディとライナ、レナを促すと、周囲は何事もなかったかのような日常の空間に戻っていた。
王宮の裏門をくぐったところで、レナと別れると、ナディとライナは、仏頂面に戻って《ガーヴの使者》と向き合っていた。
「ずいぶんとご機嫌斜めですね」
「あなたが、プライベートな行動まで監視していたことが気に入らないの」
《ガーヴの使者》は苦笑して、
「聡明なあなたたちですから、わたしの立場は理解していると思っていましたが。今一度、自分たちの立場も理解してください」
やんわりと返されて、ナディとライナは眉間の皺を深くする。
「あなたたちが怠けてなどないことは分かっています。及ばずながら、力を貸しますからついていらっしゃい」
そういうと《使者》は回廊を進んで行く。反射的に、ナディたちは彼の後ろに従っていた。
回廊の奥の小部屋の前で歩を止めると《ガーヴの使者》は、身振りで、少し待つようにとナディとイリアを制し、小部屋の扉をくぐっていた。
数分後に再び姿を現した《使者》は、きちんと畳まれたフード付きの上衣を差し出していた。上衣の生地は、薄い皮膜のように透けている。
「これは……?」
「透明人間になれるコートですよ。使い方はあなた方次第です」
《使者》の配慮に、先刻まで子供っぽく拗ねていたことを気恥ずかしく感じて、ナディとライナは、俯き加減でおずおずと手を差し出すと、
「あ、ありがとう。取り敢えず、もらっておくわ」
「助かります、とても」
そういって《使者》の手からコートを受け取っていた。
「及ばずながら」
素っ気ない言葉を残して《使者》はその場を後にしていた。
続く