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ある世界の話  作者: なかおゆうき
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7

 家に帰ったわたしは、お昼ごはんを後回しにして部屋に入った。そして電子デスク一面に広がる白いスキャナシートの上に、借りたメモリチップを置いた。すぐに読み込みが開始し、ウォールスクリーンにフォルダのアイコンが表示された。

 中には『共通認識感覚の未来 2216年7月3日』という題名のファイルがひとつだけあった。

わたしはそれを再生して座いすに沈んだ。

 映し出された映像には、室内で、真ん中にひとり、その手前に、お互いが向かい合うような形でふたりの人が座っていた。どうやらこのふたりが、肯定派と否定派に別れてお互いの意見を主張するようだ。

 はじめのうちは、中央に座る司会者が共通認識感覚の概略として、さっき沢村が話していたようなことを映像も交えて説明していた。

 そしてその説明を一通り終え、司会者が片方に意見を求めたのをきっかけとして、ふたりの議論が始まった。ふたりとも、共通認識感覚は発現していないとのことだった。


『もし、共通認識感覚を受け入れることを前提とした社会をつくっていくとするなら、それは確実に人類を衰退させることになります』

『ではあなたは、すでに共通認識感覚を発現している人の処遇はどうするというのですか? 発現する人は増え続けているのですよ? そういう人は排除なり隔離なりをしろとおっしゃるのですか?』

『そうは言いませんよ。ただ、政府はこれ以上そういう人が増えないように対策を講じるべきです』 

『なぜ? というか、そもそもなぜあなたはそれほどまでに共通認識感覚を敵視するのです?』

『それは先ほど言ったでしょう。共通認識感覚は人類を衰退させると。ちゃんと聞いて下さいよ』

『いや、ですからそれはなぜ? その、衰退させるという根拠を教えて下さい』

『オホン……。いいですか、仮にですよ? 仮に全人類が共通認識感覚を持つようになったとしましょう。するとどうなるか? 無意識に、ここが重要なんです、無意識に他人の考えを感じ取るようになるわけですから、その人は、自分の頭に浮かんだ考えが、自分のものか他人のものか分からなくなってしまうわけです。これが意味することはひとつ、個の消失です! そして人間の思考は徐々に均一化され、いずれは、全員がひとつの思考の下に同じ行動をとる、あるいは、ひとつの思考が別々の状況にある各個体をコントロールすることができず深刻な機能不全に陥るか。どちらにしても行き着く先は衰退です。一個体につき一思考系統でなければならないんですよ』

『それは飛躍しすぎですよ、妄想もいいとこだ。まず……』

『妄想なんかではない! 事実だ!』

『まあ、こちらの話も聞いて下さい。あなたは均一化が起こると言いますが、第一世代と言われる人たちは、何十年も潜在的に思考を共有しているというのに、共同生活をしている人でさえ、誰ひとりとしてあなたの言うような、他の人とまったく同じ行動をとり続ける人はいない。ましてや、機能不全に陥ったなどという例はひとつも報告されていない……』

『なにを言っているんですか!? 精神を病んで治療を受けている人が大勢いるじゃないですか! それこそ機能不全じゃないですか!』

『変化によるストレスは共通認識感覚を発現させた人に限ったことではないでしょう? 大切な人を失うなども精神を病む充分な原因ですよね? それか単に、職場が変わったというだけでもいいです。そのストレスだって、人の精神をむしばむ充分な原因になりえます。治療を受けている共通認識感覚の発現者は、食事や歩行といった、個別の行動は行っています。あなたが言う機能不全とは根本的に違いますよ。それともあなたは、有史以来精神を病んだ人は、みな機能不全を起こしたものだとおっしゃるのですか?』

『い、いや、しかし……しかしですよ? 共通認識感覚が原因で精神を病んでしまった人に対しては、明確な治療法がないではないですか……。あなたが持ち出した例と違って、投薬もカウンセリングもまったく意味をなさない。一部の適正がある人にはいいかもしれないが、それ以外の人にとっては、自らを破滅に追い込むだけの能力なんです。そう! こんなもの、ウイルスとなんら変わりないんです! あなたは、それを放っておけと言っているんですよ! とても正気とは思えない!』

『一部の人にだけいいって……。精神を病んでいる人は全体の一割程度ですよ。でも、まあ、決して少ないとは言えないですし、そういう人にとっては確かに害悪といえるでしょう。しかしだからといって、この流れを止めることはできませんよ。人類は認知してしまったのです。進化は始まったんですよ。あとは、いみじくもさっきあなたがおっしゃったように、一方向へ進むだけ。逆はありません。止めるには、それこそ人類を滅ぼすしかないでしょう。わたしはそれよりも、この大きな進化をスムーズに完遂できるような体制づくりを、政府にはお願いしたいですね』  

『……人類が共通認識感覚を持つことはもはや仕方がないと?』

『まあ……仕方がないというのとはニュアンスが違いますが。わたしは、共通認識感覚の獲得は人類の総意だと思っていますから』

『はあ? なにを言ってるんですか。そんなのたまたま自然発生しただけでしょう。現にわたしも含め、共通認識感覚を良く思っていない人は大勢いる。いったいなにを言い出すんだか……』

『いや、違います。個人の好き嫌いなど関係ありません。全体の行動こそが重要なのです。ならばお聞きしますが、あなたは戦争が良いことだと思いますか?』

『……いいわけないでしょう』 

『ええ、だと思いました。そんな人はまずいないと思います。しかし現に戦争は起こっている。紛争ということになれば、前世紀ではすっかり日常茶飯事となっていました。理由がなんであれ、個人が好まずとも、これは、人類が戦争を選択したということです』

『そんなの単なるこじつけだ! 戦争嫌いの人類が戦争しているからといって、共通認識感覚を良く思わない人間も共通認識感覚を受け入れろと言うのですか?』  

『話はまだ終わってません、聞いて下さい! では、なぜ人類は、好まずにもかかわらず戦争を行うのだと思います? その本質的な理由は?』 

『平和のためでしょう! 戦争が必ずしも効果的とは言えませんが、それでもそれが最善と思われるから、みな嫌でも戦っているんです』

『いや、平和も所詮は手段にすぎません。では、かつて横行した略奪はどうです? なんのためですか?』

『そんなの……生きるためでしょう。他になにがあるというんですか?』

『そう、それです! もっと言えば種の保存! それが人類も含めた全生物の真の活動目的なのです! 人類の行動理由は、突き詰めるとすべてそこに行き着きます! 戦争をするのも、略奪をするのも、利益を確保するのも、こういう討論をするのも、社会を形成するのも、誰かを愛するのも、全部それが原因なのです! 種の保存というひとつの目的が、無数の複雑なプロセスを経て、様々な形となって表現されるために、一見してそれらが同じ目的から発生したとは気づかれませんが、この議論ではそれをはっきりと認識することがとても大切です』

『……それなら言わせてもらいますが、共通認識感覚の拡大という流れを止めることだって、種の保存のための人類の総意であると解釈できますよね?』

『それはもちろん、そうなりますね』

『どちらが人類のためになるかは現時点では分からない。今、なにがなんでもこの流れを止めなければ、わたしの予想が当たって、人類は本当に滅びてしまうかもしれませんよね?』

『……かもしれません。でも、先ほども言ったように、この流れは止められません。それに共通認識感覚は、人間を〝個〟を第一とするものから、本当の意味での〝全体〟を第一とするものへとシフトさせるものだと思うのですが……』

『ちょっと待って下さい、本当の意味ってどういうことです?』

『あなたのように見識のある方ならお分かりでしょう。これまでの人類は、〝自分のため〟に〝みんなのため〟をやっていたにすぎません。会社でも国でもなんでもかまいませんが、組織内において、人は時に不自由を押してその組織の利益のために振る舞うように見えますが、それは自分よりも組織を優先しているからではありません。どんなに奉仕的行動に見えても、それは〝自分のため〟なのです。組織というものが世界中のあらゆる場所に、あらゆる規模で存在していること、そしてそこに所属している人が、その組織より〝個〟を絶対優先させてしまうことが、人類から争いをなくせない最大の要因なのです。人間の性質上、それは致し方ないことだったのですが、共通認識感覚の誕生によって、人類は初めて、人類〝全体〟を優先させることができるようになるかもしれないのです。わたしは、インターネットという概念の発達と、近年度重なる悲劇を経験した人類が、無意識のうちに、種の存続のために〝個〟を第一とすることへの限界を感じたことが、共通認識感覚というものを生むきっかけになったのだと思います』  

『……それで人類は、本当に幸福になれるのですか?』

『少なくても、個人主義よりは有望だと思います』

『しかし、全体主義の行き着く果ては停滞でしょう? これは歴史が証明していますよね?』

『それは、これまでの人類の全体主義ですよ。それが見せかけの、というやつです。真の全体主義ならば、〝全体〟のためにある程度の個人主義や競争原理を取り入れるなんてこともできるでしょう。選択肢は、むしろ今より多くなるのではないですかね。そういった意味でも、共通認識感覚は人類にとっての希望といえるでしょう』

『そうですかね、わたしには危険な麻薬のようなものに思えます……』

『確かにそうなるかもしれません。しかし、利己的な現在の人間に、平和を築くことなど不可能ですよ。どう考えても。本質が自己中心的なのですから』


 その後も、否定派の人は共通認識感覚の欠点、危険性を指摘しようとしたけれど、肯定派の理路整然とした意見に圧倒され言葉を詰まらせる場面が目立った。

 この放送を見た人はおそらく多くの人が、肯定派の意見が正しいような印象を受けるのだと思う。

 でもわたしは、彼らの言っていることをすべて理解できたわけじゃないけれど、否定派の人の共通認識感覚に対する拒否反応は、わたしが以前抱いていたものと近いように思えた。

 そのせいか、最後の方に否定派の人が言った言葉のいくつかが、妙にわたしの心に残った。それこそが、沢村の心に引っかかっているものなのかもしれない。


『全体で思考が共有されてしまうということは、ある思想に舵をとった時、一気にその流れが加速してしまいますよね? 足並みが完全に一致するわけですし。でも、もしそれが間違った方向だったとしたら? 修正することはできませんよね?』

『いや、わたしはそうは思いません。修正力は今の我々よりもはるかに優れると思います。まず、ある思想への舵の取り方がこれまでの人類とは違います。新人類においては、全員の試行錯誤の結果として、流れというものが生まれるのです。対して我々が作る流れというのは、それに乗る大多数はその善し悪しや影響など考えてもいません。なにも考えずにひとつの流れに乗るというのは非常に楽な行動です。しかし、それはとても無責任な行動でもあるのです。これも、その行動の影響を考えず、ただ楽をしよう、利益を得ようという利己的な人類ならではの問題です。各々が試行錯誤という苦労をいとわなければ、たとえ間違った方向へ舵を取ることがあったとしても、必ず軌道修正をし、よりよい社会を築いていけるのだと思いますよ』

『しかし……もし、種の存続のために平和が障害になるなんていう思想が芽生えて、それが実行に移されてしまったら、間違えに気づく前に修正なんてできるでしょうか? 今の科学技術は、その気になれば簡単に人類を滅ぼすことができるんですよ?』

『そんな極端な可能性を危惧して、希望のない現状維持を続けるのはとても愚かだと思います。そして失礼ながら、これだけの問題を抱えながらの現状維持は、未来の人たちに対して大変無責任で利己的な選択だと思います』

『し、しかしですよ? 共通認識感覚が広く一般的になったら、全体の利益の前に、個人の権利が侵害されるなんてことは多々起こりえますよね?』

『おそらく、個人や、個人の権利といったもののとらえ方も変わってくるでしょう。あなたから見て権利の侵害になるということも、新人類からすればそうではなくなるかもしれませんし。それに、そもそもそれが人類の総意なのですから、不満など生じえないでしょう』

『命を奪うような場合でもですか?』

『……それが人類のためになるという判断が下されれば』

『やはり危険だ。かつて生まれたどんな思想よりも危うい』

『今の我々の基準で考えてはいけません。確かにそういった可能性を内包していることは認めますが、世界規模の平和を築ける可能性があるのは、そういった人たちなのです。今の我々にはどうあがいても不可能なのです』


 歴史を知ると、確かに今は平和で幸せな時代になったと思う。その点では、肯定派の人の予想は正しかったわけだ。

 わたしは座いすを倒し、仰向けになった。そして少し自分なりに考えてみた。でもダメだった。難しい話ばかりで感想がまとまらない。というか自分の感想が分からなかった。

「ふう……」

 とりあえず保留にしておこう。わたしは頭に栄養を補給するために、部屋を後にした。

 



 夜、朋子から電話がかかってきた。

『やあ、明日予定ある?』

 予定かあ…………図書館に行っても沢村は来ないしなあ。

「いや、特にないよ。どうしたの?」

『おお! じゃあさ、明日の午後出かけない?』

「……うん、分かった、いいよ。でも急だね、ビックリしたよ」

『ふふふ、実は、今日パパがすんごくおいしいドーナツを買ってきてね。明日香、大好物でしょ? 食べた瞬間、あ、これは明日香に食べさせなきゃ、っと思ったわけよ』

「ドーナツ……」

(そういえば、昔はバカみたいによく食べていたっけ)

 中学生になってからというもの、読書に意識の大半を奪われていたわたしは、以前なら目の色が変わるほどの大好物である〝ドーナツ〟という単語にも反応が薄くなっていたようだ。前に食べたのはいつだっただろう。

『そうだよ、どうしたの?』

「あっ、ううん! ドーナツいいね! 食べに行こう!」

『じゃあ、二時に駅前集合で! 昼食はかあぁぁぁるくにしときな!』

「ははは、了解! じゃあ、明日ね」

『はい、明日ねえ』

 小説にしろ歴史にしろ、この半年は本にこもる時間が多かった。特に、この一週間は趣味の域を超えて生活、いや、人生のど真ん中に位置している。

(たまには息抜きしないとな。共通認識感覚ばかりだとまいっちゃいそうだもんな……)

「誘ってくれてありがと」

 電話を切ったあと、わたしは、本の世界から現実の世界に連れ戻してくれた朋子にお礼を言った。


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