ミカって呼んでくれ
うっそうと生い茂る森の中にいくつかの足音が響く。
一つは少年の物だ。
まだあどけなさの残る中性的な顔立ちとそれと準ずる華奢な体は彼が労働階級の人間ではない事をうかがわせる。
一つ一つの動作にすら気品が窺え、整った身なりから察するにおそらく貴族のような上流階級の人間なのだろう。
その彼を追って何名かの重い足音が駆け抜ける。各人の装備がある程度統一されている事から山賊の類ではない。
だが、品の無い表情は彼らがそれとあまり違いがない事を示している。
少年は追手達とは違い旅人のような軽装であるために動きは早い。
そのおかげでここまで逃げおおせたわけなのだが、いかんせん子どもの体力では限界が近づいていた。
運よく近辺の村にたどり着いた少年は咄嗟に建物の影に隠れた。獲物を見失った追手達は大きな声で言う。
「まだ近くに居るはずだ。探せ!」
少年は荒い息を押さえ追手達の隙を窺う。
ここに長くとどまってはいられない。すぐにでも逃げ道を探さなければ彼らに掴まってしまうだろう。
そうして動き出そうと背後を振り返った時、そこに人の顔があった。
「うわぁ!?」
追われている身であるというのに思わず大声を出してしまう少年。
それも無理も無い事だ。呑気な顔で苺を頬ぼりながら仕草を逐一観察されていては驚かない方が難しい。
その観察者である熟れた苺のように赤い髪を持つ女は咀嚼していた苺を呑みこむと、竹で作られた水筒を取り出してその中身の水を飲んだ。
「ねぇ、なにやってんの?」
それはこっちのセリフだと少年は言いかけるが、そんなくだらない事を言っている場合ではない事を思い出し、手短に自分が追われている事と巻き込まれないように逃げた方がいい事を話した。
しかし、女は田舎特有の呑気さからか相槌を打つだけでそこから動こうとはしない。何故、逃げないのかと少年が問うと女はけらけらと笑って言った。
「だってもう囲まれてるし」
先ほどの驚きの叫びによって集まった追手達はすでに少年を取り囲んでいた。リーダー格らしいアゴヒゲの男が自分を睨めつけてくる少年を見ながら楽しげに言う。
「鬼ごっこは終わりのようだな、王子サマ」
「くっ………!」
逃げ場はないと知った少年は焦りを覚える。その時、女が少年を庇うように前に出た。そして追手に向かって言う。
「見た所こいつには賞金がかかってそうだ。それをくれるというのならこいつをくれてやってもいいぜ?」
「あ? 何言ってんだ、テメェ」
ふざけた事を言っていると殺すと言わんばかりの追手達を前にしても女は動じず、自らがこの世界の王であるかのように堂々とした調子で言う。
「ここは苺の悪魔の住処だ。どの国家にも属さない無敵の場所なのさ。踏み込んだそっちが悪いと思うんだね」
ここまで舐められては面子が立たないとリーダー格のアゴヒゲの男は怒りで顔を赤くして言う。
「ふざけやがって! 大人しくしていれば見逃してやろうと思ったがもう黙ってらんねぇ。野郎ども! やっちまえ!」
腰に下げていた剣を抜き、追手達が一斉に襲いかかる。少年はこの後の悲惨な光景を想像して思わず目を閉じる。だが現実は少年の予想を遥かに上回るものだった。
旋風、一陣の風が通り過ぎたかという刹那に追手達は宙を舞っていた。
金属製の鎧がへこむほどの強烈な殴打。そして大地を揺らすような震脚。その全てが一朝一日の功夫では成し得ない卓越した技術の物だった。
唖然とする追手達。だが、女は困ったように頭を掻いてため息をついた。
「まーた力任せにやっちゃった。スロウが見てたらねちねち言われてるレベルの失態だ、コリャ」
しばらく自己嫌悪に陥っていた女はいまだに放心状態の追手達に言い放つ。
「まだ居たの? 早く帰ンなよ。見ての通りあんまり手先が器用な方じゃないんだ。当たり所が悪くて股の間のモノが使い物にならなくなっても知らないぜ?」
ばっ、と股間を押さえた追手達は一瞬で倒された仲間に肩を貸すと、捨て台詞を残して一目散に逃げ出した。
「お、覚えてろぉー!」
「おう、達者でな」
女は嫌みもなくさわやかに追手達を見送る。
それから自然な動作で少年に視線を移し、じろじろと品定めするように眺める。舐めるような視線にたじろぎながらも少年は助けられた礼を言う。
「あ、あの………ありがとうございました」
「いいってことネ。世の中ギブアンドテイクよ」
満面の笑みで手を差し出す女、少年は困ったように聞く。
「えっと………その手は?」
少年の背後の壁をドンと叩き、先ほどまでの凛々しさはどこにいったのやら女は下卑た顔で催促する。
「ウフフフフフ。金だよ、金。世の中、金だ。苺と水だけじゃ生きていけないんだよ。金があれば肉とか魚とか食べ放題なんだよ。苺はもう嫌なんだ。実家が苺栽培してるからって苺を仕送りしてくるんだよ。いなかのお母さんありがとう! だけど毎日苺じゃ無理あるから! あなたの娘の構成物質が100%苺になりかけてるから! あーもう、なんで苺なんだろう? 米とか野菜とかまともなの送ってよ! 頼むから!」
うなだれた女に困惑したように少年は言う。
「た、大変? ですね」
するとすがりつくように女は言う。
「だろ!? この際、お金じゃなくてもいい。ご飯おごってくれ。私は苺ノイローゼなんだよ!」
「助けてもらった恩もありますしそれくらいなら……………」
「やったぁ、わぁーい!」
女が喜びで両手をあげた瞬間、どこからともなく現れたひのきの棒がその頭を叩いた。
ごく自然な動作で打ち出されたそれは攻撃が命中するまで持ち主の気配をまるで感じさせないほどに万象と同化していた。
ばたりとその場に倒れる女、その後ろでは呆れた様子の少女が居た。
「やれやれ、食うに事欠いてこんな少年を襲うとは。我が悪魔も落ちたモノですわ」
「えっと………あなたは?」
少女は優雅に礼をするとどこか妖艶な雰囲気を漂わせて言う。
「スロウ=ランと申します。そこの乱暴者の躾役ですわ。どうも我が悪魔がご迷惑をおかけしたようですみません。ろくに餌を与えられていないので狂暴になっているのですわ」
むくりと起き上がった女が頭をさすりながら言う。
「どっちが乱暴者だぁ? いきなり殴りやがって。私はそいつが追われてたから助けてあげたの! その礼にご飯を奢ってもらおうとしただけだぜ」
「そうですの?」
少年がこくりと頷くのを見て、スロウは気まずそうに目を逸らした。
「まあ、私にも間違いというものはありますの」
「スロウくぅぅぅぅん!?」
「ど、どうどう。後で一食奢りますからどうか怒りを納めてくださいまし」
それを聞いた女は途端に機嫌が直った。
「わぁーい!」
少年はその単純さに戦慄した。
(今時『わぁーい』って喜ぶ人なんて居るんだ……………)
話の前に腹ごしらえと三人は近くの飯所に場所を移す。
あまりに大量の注文をする女に少年の顔が引きつるが傍のスロウが「手持ちが無いようなら我が悪魔の分は私が持ちますの」と言ったのでほっと息を吐いた。
銀のコップに入った水を飲んだ少年は自分の事を語りだす。
「僕は西にある『トパタ王国』の王子でマーシュ=トパタと言います。先ほどは助けていただきありがとうございました」
「『トパタ王国』……ビールが美味しいトコだね。よく冷えたビールが炭火で焼いた肉と良くあうんだよねぇー」
「我が悪魔」
「うっ。れ、礼なら別にいいよ。あいつらが金払ってくれるなら渡していた所だしね」
それが嘘ではないという事を直感的に理解し少しの恐怖を覚えながら少年は続ける。
「先ほど僕を追っていたのは北西の国『ロックホーク』の兵士です。僕の国は『ロックホーク』に侵略され、僕は命からがらここまで逃げのびてきたのです」
スロウは首を傾げる。
「ふむ、おかしいですわね。北西に東の国を落とせるほどの大国があったでしょうか?」
「噂によれば『ロックホーク』国は最近王が変わったらしく、王宮には怪しげな輩が出入りするようになったと聞きます。ある話によればその中には悪魔が混じっているという信じがたいものすらあります。信じられないかもしれませんが、戦火の中僕は見たんです。とてもこの世のものとは思えない怪物の姿を。北西の国には悪魔が本当に居るんです」
「悪魔…………ね」
女は興味なさげに語る。
「ま、それの正体が何でも心配する事はないさ。ここは苺の悪魔の住処だ。神様だってそう易々と手出しはできないよ」
「苺の悪魔………?」
「知らないかい? 遥か昔、大陸には争いが溢れていた。ちょうどこの村は中心くらいにあるからね。中立地帯にはなっていたけど小競り合いが絶えなかった。殺伐とした雰囲気に耐え切れなくなった住民達は戦いを止めるために悪魔の力を借りる事にした。呼び出された悪魔は圧倒的な力を持って世界を平定したが、同時に世界を滅ぼさんほどの対価を求めた。それに納得できない身勝手な人間達は悪魔を退治しようとするんだが勝てるはずも無く、世界は滅亡の危機に見舞われる。その時、どこからより現れた赤髪の少女があれやこれやで世界を救ってくれる。そんな昔話さ」
「なるほど………そういえば僕の国でもお歳を召されている方は細部こそ違えどそんな感じの話をするそうです。中には原型を留めていないようなものもあるようですが、みんな決まって言うらしいですね。『苺の悪魔に手を出すな』と」
女はにやりと笑う。
「そんなわけだ。ここには誰も手出しできない。特にここに住む赤髪の娘と知ったら、王様だって地に頭を擦りつけるぜ」
「どういう意味ですか?」
分からないという顔のマーシュにスロウは説明する。
「この村に住む赤髪の娘は勇者であると共に苺の悪魔の化身であるともされているんですの。ここに居る限りはどんな横暴も許される。他の国でもある程度の無法は許容されますわ。しかし、資格の無い者がその権利を行使しようとすると苺の悪魔に祟られると言われ、実際に何人もの女が死ぬよりもひどい目にあったらしいですわ」
「だけど私の場合は苺の悪魔を名乗れという夢のお告げがあってね。それが本当だったのかいまだにピンピンしてるのさ」
何がおかしいのかスロウはにやけながら語る。
「こんな乱暴者を化身に選ぶとは苺の悪魔というのは全く酔狂ですわね」
「悪魔っていうのは気まぐれで酔狂で退屈してるんだろうさ。…………あんまり笑うなよ。悪魔に失礼だろ」
「ンククク…………。分かりましたわ、我が悪魔」
にやにやとしているスロウを不機嫌そうに睨んだ女は言う。
「ま、ってわけだ。私の家に泊めてやるからさ、好きなだけ居たらいい。お客様ってわけじゃないからある程度の雑用はやってもらうけどな」
「いえ、その方が気の楽です。ありがとうございます、えっと…………」
ここで名前を言っていない事に気付いた女は言った。
「『苺の悪魔』ロディナーミカ=イチゴスキー。ミカって呼んでくれ」