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白鍵の魔女

 その日を境に、国内の様々なことが少しずつ変わっていったと、ルイは思う。


 気づいたのは何年も経ってからだったが、人生にターニングポイントがあるとしたら、自分の歩んできた道を一本の線に置き換えた時、そこにピンを刺すだろう。

 だが、分岐点(ぶんきてん)――選択肢があったわけではない。

 一人の人生の話ではない。国の歴史という大きな流れが変わったのだ。もしくは、動き始めたのか。


 ルージュ・ルートグラス、彼女が王宮に姿を現したのもちょうどこの頃だった。


 彼女は当時のセクトリア王、エディス十一世の(ちょう)()と周りは認識していた。

 だが、彼女が王宮に現れる前の記録は一切なかった。

 本人も、「自分に『過去』があるのならば知りたい」と言った。


 ルージュ本人が過去がないというのだ。王宮で四方(しほう)八方(はっぽう)手を尽くしたところで、彼女の出自に関する記録を全く見つけ出すことができなかった。


 ルージュ・ルートグラスという存在は突然国王の前に現れ、見初(みそ)められ、そのまま王宮へ召し上げられた。


 それだけ聞けば世の女性の誰もが(うらや)むだろう。

 実際、エディス十一世の娘たちや親族たち、王宮サロンに出入りする貴族の女性たちは、彼女に嫉妬(しっと)した。

 どこの馬の骨ともわからない、とはまさにこのことを言うのだろう。


 だが、緩やかに波打つ純白の長い髪、宝石よりも魅力的な翡翠(ひすい)色の双眸(そうぼう)。甘く色付く頬と小さな口唇に、男女問わず、思わずため息をもらした。


 そして、ルージュはただ美しいだけではなかった。自身の過去はようとして思い出せずとも、聡明(そうめい)で博識。サロンではボードゲームで彼女に勝ちたいと本気の勝負を(いど)む者もいた。そこに賭け金はない。ルージュを苦戦に追い込めるだけで周りから拍手(はくしゅ)喝采(かっさい)を受けるのだ、金の問題ではない。


 一方のルージュは(くや)しがるかといえば、確かに悔しがったが、互いの健闘(けんとう)をたたえ合った。


 たえず笑顔を浮かべる名の知れぬ王宮の一輪。


 その彼女が、「私は魔女だ」と申し出たのだ。


 本来なら、女性が立ち入ることも盗み聞くことも許されない政治の場で。

 ルージュの告白に対し、その場は静まりかえる。やがて、ヒソヒソと虫の羽音のような音がその場を埋め尽くした。

 議員たちの声だ。

 その場に国王がいることも構わず、「陛下のお気は確かか」という言葉は少なくはなかった。


 政治は女性が踏み入ってはいけない場。その場に連れてきたうえに、その彼女が魔女であるという。

 ヒソヒソという音は次第に大きくなり、ざわつきに変わる。

 次第に大きくなる議員たちの声。

 議員の一人が立ち上がり、王に向かって叫ぶ。


「陛下! 貴公はその者にかどわかされているのです! 第一、議場に女性を連れてくるなど、――王妃ですらこの場に足を踏み入れたことはありませんぞ!」


 ルージュを王宮で保護した時、すでに体調を崩し、床に()せっていた王妃エイレネ。彼女も女性だてら、王宮に嫁いでから政治について宮廷に身を置く学者のところに行っては学び、一人の息子と四人の娘たちに、家庭教師が教えるより先に、自ら教鞭(きょうべん)を取ったという。


 そんな彼女でさえ踏み入れたことのない、三十人を収容する小会議室。


 次々と、非難(ひなん)の声が大きくなる中、王のハンドサインで、側近が「静まれ」と声を上げようとするより先に、スッと、ルージュは一歩足を前に踏み出す。


 集まった二十五人の議員たち、その中で彼女の動きに気づいた者は何人いただろうか?

 ルージュが右手を天に掲げる。それでようやく、男たちは喋るのを止める。そして――


 その手に突如(とつじょ)として現れた純白の大鍵に、ある者は口を開き、またある者は腰を抜かし、その場から逃げ出そうとする者までいた。

 本来、持ち手部分となるところには翼とザクロの装飾が(ほどこ)された大鍵を杖のように持ち、ルージュは「ふん」と鼻を鳴らす。


 それは、議員たちに対する挑発だった。


「戦場に出ない者というのはこんなものだろうな。これでは、民の暴動(ぼうどう)と変わらぬではないか」


 少し低めの声。だが、議場に響くそれは、その場の空気を一変させるほどの威圧(いあつ)感を持っていた。


「我はこの場に『女』として立っているつもりはない。君たちがこれから直面しなければならない問題として、我はここに来た。陛下に多少無理を言ってな」

「ルージュ、」


 エディス十一世は(いさ)めるように彼女の名を呼ぶが、呼ばれた本人は構わず話を続ける。


「陛下を(おど)した、そうとらえてもらっても構わぬ。こうして、我が大鍵を見せたのだ。我が魔女であることは理解したであろう? その上で教会に、異端審問室に引き渡すのも構わぬ。だがな、こうして魔女の正体をさらしてまで皆の前に現れたのには、それ相応(そうおう)の理由があるからだ」


 誰もが凍りついていた。


 ルージュは、大鍵を出しただけでその能力がなんであるか明かしてはいないが、議員たちは今にもこの場で斬殺されるのではないかと縮み上がっていた。

 だが、本当の恐怖と対面し、戦慄(せんりつ)している。

 それでもルージュの言葉はちゃんと耳に入ってくる。脳は理解していた。


 鍵の魔女――ルージュ・ルートグラスは言う。


「今のままでは、この国は国民の手によって滅びることになるぞ」


 悪いことをする子は魔女に連れて行かれるぞ。

 いたずらが過ぎる子に対し、(いまし)めるように、魔女は言った。




 ハウエルから階段騎士の話を聞いてから、ルイの中で何かが変わった。

 いや、目標ができたから、変わったのだ。


 ちょうどいい長さの棒を剣に見立て、ギルベルトとヴィンセントと英雄ごっこを続ける日々は変わらない。

 だが、双子が疲れたと言って、休憩している間も、ルイは棒を握りしめ、素振りを続ける。


 最初はギルベルトに馬鹿にされた。


 双子たちは聖階段騎士団の存在を知っていた。たぶん、あの温和(おんわ)な父親が教えたのではないだろうか?


「階段騎士って、必ず十二人そろってるってわけじゃないんだよ」


 素振りを始めた日、ギルベルトは草を口に当て、「ビー」っと草笛を鳴らす合間に呟く。「階段騎士ってのは、聖職者じゃなきゃならないし、いくら強くても信仰心が薄いとなれないんだってさ。だからいつも十人にも満たないんだってさ」

「聖職者かあ」


 ルイの頭に真っ先に、年に数回訪れ、神話を話していく若い神父の姿が頭に浮かんだ。

 とても剣を握っているようには思えない。

 でも、ああいう神父さんとは別に、普通の服も着れないほど身体を(きた)えた人がいるのかと想像してみたら、笑いが口端から(こぼ)れ落ちた。


「二人のお父さんは? 教会で働いてるけど聖職者じゃないの?」

 その問いに対し、草原に寝転んでいたギルベルトが面倒くさそうに起き上がる。「父さんは聖職者じゃないよ。ってか、お前って教会に関して何も知らないんだな」

「聖職者はね、ルイ、結婚しちゃいけないんだよ」


 ヴィンセントが言う。「結婚もだけど、恋愛もダメなんだ」

「なにそれ!? なんで!」


 ルイにとって驚きの事実に、ヴィンセントとギルベルトの顔を交互に見る。

 それに対し、ヴィンセントとギルベルトは顔を見合わせ、前者は苦笑し、後者はため息をつく。


 日曜日は教会のミサ、食事の前はお祈り、寝る前もお祈りが当たり前のディートタルジェント家にとって、聖職者の恋愛禁止は素人知識もいいところだ。


 面倒くさいと思いつつも、ギルベルトは口を開く。「聖職者っていうのは神様の声を届ける役なんだよ。なんでかは知らないけど、聖職者になるってことは、神様の家に入るってことだから、神様と結婚するんだ」

「一人の人と結婚したら、他の人と結婚できないだろ?」


 ギルベルトの言葉の続きをヴィンセントが引き継ぐ。


「王様にはたくさん王妃様がいるけど……」

「王様が結婚するのはその血を残すため、子供を残す必要があるから。ルイって学校の勉強はできるけど、それ以外は全然ダメだな」


 そう言って、ギルベルトは何が面白くないのか、再び草原に寝転んでしまった。


「うちの父さんは教会の建築には関わってるけど、聖職者じゃないんだ。教徒ではあるけどね。教会を設計するにあたって、神父さんくらい神話とかには詳しいけどね」


 双子の話を聞き、思わず「へー」と間の抜けた感嘆(かんたん)()が出てくる。「じゃあ、ギルベルトもヴィンセントも普通に結婚できるの?」

「俺は結婚なんてごめんだね。子供とか好きじゃないし」


 これはギルベルト。


「ぼくは……、ぼくも結婚する気はないかな」


 結婚なんて、まだ十歳になったばかりの自分たちには遠い将来の話のはずなのに、双子がこんなにも早く将来のことを決めていたことがルイにとって一番の驚きだった。

 自分より二つも歳がしたなのに。ルイはなぜだか二人に置いてきぼりをくらった気がした。


 ヴィンセントが、小さく呟く。


「ぼくたち、神学校の一番上まで行ったら、神学院に入ろうと思っているんだ」

「ヴィンス」


 仰向けのまま、ギルベルトはヴィンセントを(しか)る。勝手にしゃべるなと。

 そんな話をした日、ルイは夕食が済むと同時に、ハウエルに問う。「神学院とはなにか?」と。


 父の帰りが遅い日が続いた。

 ハウエルはいつも話をするルイの部屋ではなく、広いリビングで話すことにした。


「神学院というのは、聖職者の中でももっと偉い人になるための学校だよ」

枢機(すうき)(きょう)とか?」

「枢機卿になるのはもっと大変かな。卒業時点で慣れるとしたら司祭とかかなあ? 詳しくは僕も知らないけど、突然どうしたんだ?」

「……ギルとヴィンスがね、神学院に行くって」


 大人しいヴィンセントはわかるが、あの破天荒(はてんこう)なギルベルトまで神学院への入学を希望しているなんて。

 ギルベルトが神父になった姿を想像し、ハウエルは少しおかしくて笑ってしまった。

 だが、次に疑問が起き上がる。


 ――ディートタルジェント家は三兄弟。その男児二人が神職を希望するということは、血を残すのは、末娘のメアリだけ。


 女系家族だというのならばそれはわからなくもないが、いくら双子で仲がいいとはいえ、どちらも神職に就くことを親は許すだろうか?

 血を残す。それは貴族の考え方だとハウエルにはわかっていても、「二人そろって」というのが少し引っかかった。


「どうしたの、兄さん?」

「ううん、なんでもないよ」


 だが――、ハウエルは思う。


 幼馴染二人が神職に進むというのであれば、恋ができないという寂しさは少し薄れるだろう。そう楽観的(らっかんてき)にとらえていた。

 先のことなんてわからない。

 ハウエルは、自分の存在が弟のことを苦しめると、そんな未来を想像することができなかった。

 暗い未来なんて、誰も望んで想像したりはしないものだ。



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