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恐怖の名前

 双子の妹メアリもまた、物語の好きな少女だった。

 

 紅茶にミルクを溶かしたような、淡い茶色の髪を二つに結わえた女の子。


 本といえば高級品。ディートタルジェント家は裕福(ゆうふく)な家ではあったが、子供に本を買い与えることはほとんどなかった。


 実のところ、ルイがいつも読み聞かせてもらっている本も、兄にあたえられたものだ。ルイはお下がりでその本をもらった。だとしても、空想に(ひた)れることは贅沢(ぜいたく)なことなんだとわかっていた。


 メアリは、ルイの兄ハウエルと同じく、屋敷の敷地から出ることはほとんどなかった。

 たまに、ヴィンセントに連れられてルイの屋敷に来る程度。

 天気が良くても家の中でクマのぬいぐるみを相手に遊んでいる。


 何年の付き合いになるのか、そのぬいぐるみはメアリといつも一緒で、汚れが目立ったが、彼女は大事にしていた。

 そして、ルイが兄から読み聞かされた話をメアリに話すとき、ぬいぐるみもいつも一緒だった。


「わたしはたぶん、その剣を抜くことができないわ」


 大人しく話を聞いていたメアリが(つぶや)く。「だって、わたしよりも大きな竜が目の前に現れたら怖いもの。真っ先に逃げ出しちゃう」


「普通の人ならそうだろうね。でも勇者は選ばれた人、ぼくらとは違うから竜を倒せたんだよ」


 そう言って、ルイは差し出された焼き菓子を頬張る。

 「でも……」メアリは消え入りそうな声で、ぬいぐるみを強く抱きしめながら言う。「かわいそうね」

 メアリのその言葉に、ルイは思わず嚥下するときに首を鳴らしてしまう。


「かわいそう?」

「うん」


 メアリは頷く。「だって、みんなと違うから、戦わなければならないんでしょ?」


 ――みんなと違うから。それは確かに的を得ている。


 だが、ルイの中でその「違う」の定義はメアリとは違った。


「でも、すごい力があるんだよ。ぼくにそんな力があったらみんなのために戦うよ」


 ルイの言葉に、メアリは微笑む。「ルイは勇気があるのね。きっと、黄金の剣を抜けるわ。勇敢(ゆうかん)、という言葉であってたかしら?」

「そう、勇敢。でも兄さんは、いくら勇気があっても今のぼくじゃ、力が足りなくて剣を持ち上げられないって、いじわるだよね」

「そうね、でもハウエルお兄さんらしいわ」


 会話が一段落したところで、使用人の一人が部屋に入ってきて、部屋の蝋燭に明かりを灯す。

 今日は曇りで、いつもより日が暮れるのが早かった。

 そろそろ帰らなきゃ、ルイがそう思った時、再び扉が開かれる。


「おかえりなさい、お父さん」

「お邪魔しています」


 メアリとルイは部屋に入ってきた長身の男に挨拶する。


 双子とメアリの父、そしてディートタルジェント家の家長。

 ルイの父親よりだいぶ歳をとっていて、昔は双子と同じようにまばゆい金髪であっただろう頭はほぼ真っ白だ。


 メアリの髪の色はたぶん、母親似なのだろうと、ルイは勝手に想像していた。


 というのも、双子達の母親を、親しくなりこうして家に招かれて遊ぶようになって五年近くになるが一度も会ったことがないのだ。


 始めは、ルイの母親と同じく、すでに亡くなっているのかと思ったが、そうではないらしい。病気で寝込み、部屋からはほとんど出ないらしい。

 それでも挨拶くらいはしたほうがいいのではないかと双子たちに言ったら、彼らはそろって首を横に振り「あわないほうがいい」とだけ言った。それから、なんとなく母親のことは触れてはいけないのだろうと、ルイは口を(つぐ)んだ。


「いつも娘の世話を見てくれてありがとう、ルイ君」

「いいえ、メアリと話をするのは楽しいですから」


 本当は双子と遊ぶはずが、ギルベルトが授業中に居眠りをして、みんなよりも多く宿題を出されたと、ヴィンセントはそれに見張りも()ねて付き合っていて、自然とメアリと二人きり。


 女の子と遊ぶのを嫌う男児は多いが、ルイはメアリに対してはそんな感情は持たなかった。

 メアリはどことなく、ルイに似たものを持っていた。

 メアリは自分には勇気がないから剣を抜くことはできないと言った。物語に登場する様々な怪物たち、それらを恐れながらも立ち向かう数々の英雄のすごさに感動していた。

 それは、ルイも一緒だ。

 双子は「物語なんて」と馬鹿にするが、メアリは否定せず、「もし、自分が物語の登場人物だったら」と一緒に想像を膨らませる唯一の「仲間」だ。


「ところでルイ君、今日はうちで送っていくよ」

 メアリの父親の言葉に、ルイは首をかしげる。「雨はもう止んでいるし、うちから迎えがくると思うんですが」

「そうだけど、魔女が出たってね。それで早く仕事をきりあげてきたんだ」


 この国には魔女がいる。


 恐ろしい魔女だ。

 物語ではない。現実だ。

 父親の言葉に、メアリはぬいぐるみを抱きしめる腕に力を込める。


 魔女の残忍さについては、子供たちに語られない。だが、悪い子のところには魔女がやってきて連れて行かれる。連れて行かれたらもう家には戻ってこれないという(おど)し文句に、子供たちは震えあがった。


 実際、子供が犠牲(ぎせい)になった事件などがあるらしい。


 メアリの父は教会建築家で、今は修繕(しゅうぜん)などの仕事に関わっているらしい。それで、魔女の情報をすぐに手に入れることができるらしい。


「おじさん、それって王都での話なんですか?」


 魔女や、魔女狩りに関する話は南側の聖都の方が多い。だが、ここ最近は王都でも珍しくなくなってきた。


 教会の魔女狩りを恐れた魔女たちが王都に逃げ込んでいるらしい。

 ルイの父親が酔った(いきお)いでポロリと口にした言葉だ。

 大臣たちも魔女騒動に関しては頭を痛めているらしい。


 メアリの父親は答える。


「いや、王都の話ではないけどね。かなり近いという話だね。それでも君の身に何かあったら申し訳が立たないからね」


 馬車の用意をしておくからと言って、彼は部屋を後にする。

 残されたルイとメアリ。


 メアリはぬいぐるみを強く抱きしめ、頭に顔を埋めたせいで、くまの顔が面白おかしく歪んでいた。でも、笑いは出なかった。


 メアリの魔女に対する恐れは尋常(じんじょう)ではなかった。

 外で鬼ごっこをしていても、「魔女」という単語が出てくるだけで、動きを止めその場にうずくまるほどだった。

 普段、彼女に「大丈夫だよ」という双子の兄は、今ここにはいない。

 ルイはメアリに近づき、頭をなでてやる。


「大丈夫だよ。ここの近くじゃないって」

「だけど、魔女はいろんな力を持っているって」

「大丈夫だって、メアリにはおじさんも、ギルやヴィンスもいるじゃないか」


 魔女の能力を知らない、子供らしい(なぐさ)め。「魔女がメアリに対して悪さするっていうなら、ぼくが助けにくるよ」


 英雄譚を語った高揚感(こうようかん)が続いていた。

 英雄に対するあこがれが、そんな言葉を口に出させる。


「ぼくはメアリより勇気があるから、だから大丈夫。ぼくが守ってあげるよ」


 その言葉に、メアリは顔を上げ、藍色の瞳でルイを見つめる。


「本当?」

「うん!」


 ルイの強い(うなづ)きに対し、メアリは精一杯、恐怖を奥に押し込んで笑顔を浮かべてみせる。


 この時は、まだ、がんばれば何でもできる、叶うとルイもメアリも純粋に信じていた。

 それはとても、幸せなことだった。


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