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傍観する賢者

 ヤブ医者は病院の裏口――職員用出入り口の前で、ランプの明かりの下にしゃがみ込み、一匹の野良猫と(たわむ)れていた。残飯目当てにやってくる野良猫の一匹だ。


 野良猫でも、ちゃんと身体を洗ってやり、病原菌などもワクチンで殺している。

 残飯もそうだが、菌を媒介(ばいかい)するネズミの駆除用にと、病院で飼っているようなものだ。


 白に茶色のブチ猫、ヤブ医者の髪の毛と似ている。


 ヤブ医者は動物が好きだ。

 本邸では狼を飼っている。

 動物のいいところは素直なところだ。己を(いつわ)る外面性を持っていない。


 子供もそうだ。幼い子の場合、感情が未発達で、社交性がないだけともいえるが、そのおかげで素直に他人を受け入れられる。たとえ、相手が自分と異なるカタチをしていても、毛色が違っていても。そういう人もいるという思考の柔軟(じゅうなん)性がある。否定されても傷が浅くて済む。


 ヤブ医者は十八歳になるが、立場的に常識でガチガチに固まった脳みそを持った大人たちから、容姿(ようし)奇行(きこう)に対して口出しされることはない。


 たまに、何も知らない大人が何か言おうとするが、周りの誰かが(いさ)める。


 ヤブ医者もヤブ医者で、社交性は身につけているものの、わざと無礼講(ぶれいこう)に走る。

 常識という枠組みが自分にとって(せま)くてしょうがないというのもある。同時に、「常識」なんて非常識があるから少し人と異なる程度で、簡単に人は同族から(うと)まれる、嫌われる、仲間外れにされる。


 枠組みにとらわれず自由に人生を楽しもうというのがヤブ医者のモットーだが、外しすぎな時は父親に怒られる。

 だが、それは正しい教育なので、それに対して反抗することはない。


 突然の馬車のブレーキ音に、猫は驚いて、俊敏(しゅんびん)な動きで近くの草原に逃げてしまった。


 やれやれと嘆息(たんそく)をつきながら、ヤブ医者は腰を上げる。

 馬車から若い男が降りてきて、ヤブ医者に小走りで向かう。


 赤に近い茶髪の髪。そのうなじ部分だけを伸ばして一本に縛っている。両耳にはこれでもかというほど、銀のピアスがつけられている。

 灰色のシャツにカーキのパンツ。黒染めした革のブーツ。


「今日の分の配達っす」


 そう言って、彼は両手いっぱいの封筒やスクロールをヤブ医者に渡す。


「毎日ありがとう」

「ホント、屋敷からここまで運んでくるの面倒くささの(きわ)みなんすけど。(ちょく)でここに届けてもらうように言ったらどうなんすか?」


 赤毛の男はそう言って、顎でヤブ医者が背にする病院を指す。


「病院にも送ってもらってるけどね、個人的なのとかはさすがにね」


 ランプの明かりの下、差出人の名前を流し見しながら言う。


「個人的って、恋文が多いみたいっすけど? あと夜会の案内とか」

「夜会かあ、最近顔出してないからなあ」

「いつになったらいい女紹介してくれるんすか? 紹介してくれるって言うからこうやって毎日屋敷と病院を往復してるんすよ?」

「うーん、ここの従業員とかは?」

「速攻で振られたっすよ。心の傷広げないでもらえます?」

「ここの子たちに振られるんなら、夜会なんてまだまだだよ。それよりも研究を――」

「はいはいはいはい、アデプト認定試験のことっすよね。どうせオレなんて良くて緑でしょうよ」


 アデプト、それは「達人」という意味で、錬金術師として一人前であることを表す称号である。

 アデプトに認定されるのと同時に、家名と、高速で錬成を行うためのツール、それとこれまでの研究成果から色が与えられる。


 色は全部で七色。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。

 紫は現在一人しかいない。それが、ヤブ医者が尊敬し、愛してやまない父親だ。

 対するヤブ医者は青。その色に対して文句はない。


「緑なんて、意外と自信はあるんだね」

「そりゃまあ、当主との共同研究結果っすから」

「はは、照れるなあ」


 「当主」と呼ばれ、ヤブ医者は声を上げて笑う。「まあ、今の患者の治療が一段落したら一旦屋敷に戻るよ」

 その言葉に、赤毛の男は眉をひそめる。


「ん? どうかした?」

「いやぁ、当主が珍しく熱心に治療してるもんだから、他の弟子たちが()れたんじゃないかって(うわさ)してるっすよ」

嫉妬(しっと)してる暇があったら良い成果を出せるように精進(しょうじん)しなよ。破門(はもん)するよ」

「オレの口からそんなこと言えるわけないっすよ。トリスメギストス当主直々に言ってください」


 そう言い残し、赤毛の男は馬車に戻る。


 馬車が走り出すのを見送り、ヤブ医者――フランツ・A・トリスメギストス・シュピーゲルヒンメルは、病院横の二階建ての小さな別宅へ向かう。


 二階の書斎兼寝室に入り蝋燭に火を灯すと、机の上に受け取った手紙を投げ出す。

 朝に淹れて、カップに残っていた紅茶を錬金術で温め、それを片手に手紙を選別(せんべつ)していく。


 スクロールは王宮から、来年の研究予算に関する知らせ。もう一つは賢人協会から、先ほど話していたアデプト認定試験に関するスケジュールの知らせ。

 封筒はほぼほぼ恋文と夜会の知らせ。


 夜会の知らせは封を切らずにゴミ箱へ。恋文は、名前を見て選別する。顔を思い出せないものはゴミ箱行き。


 そして、残った手紙が二通。


 一通は医師協会の印が押されているが、差出人の名前は個人的に付き合いがある、セクトリアに派遣されているクレモネス人の医者の名前だ。

 右手にはめた腕輪をペーパーナイフへと変化させて、封を開け、じっくりとその内容に目を通す。

 紙は一枚だけだが、時間をかけて隅々(すみずみ)まで見る。

 そしてもう一通、トリスメギストス付きの密偵(みってい)からの連絡。


 見た目は一見して恋文のそれだ。分厚いが、それだけ熱心にフランツのことを想い、愛を語った、その厚みだといくらでも(いつわ)ることができる。


「……なるほど」


 呟いて、カップに残った紅茶を飲み干す。

 そして、医師協会からの手紙を封筒ごと丸めてゴミ箱に捨てる。


 引き出しから紙を取り出し、筆先にインクを取り、机にかじりつくように文書を書き(つづ)る。

 医師協会からの手紙は、手紙ではない。

 診断書だ。

 死亡診断書。


 セクトリアには魔女がいる。


 それはフランツも知っていたが、興味はなく、詳しくは知らない。

 だが、文を読み、セクトリアの現状を知って思う。

 自分も人のことを言えないが――


「正気の沙汰(さた)とは思えないね」


 初夏の夜は()けていく。




 ルイはベッドの上でまどろみながら、兄に読んでもらった物語の続きを思い出していた。


 ――勇者に足りないもの。


 それは勇気。


 勇者は赤竜を前にしてもまだ勇気が足りなかった。

 数々の苦難を乗り越えてなお、本当の勇気が足りないという。

 今まで勇者を突き動かしてきたのは「恐れ」に他ならない。


 「死」という恐れ、恐怖。


 勇者に与えられた最後の試練は、死の恐怖ではなく、真の勇気をもって竜を倒すこと。

 勇気がなければ目の前の聖剣を扱うことはできない。


 そして抜くことができなければ竜を倒すことはできず、あまつさえ死者の王がその命を刈り取る。二つの試練が重なり合い、勇者を責め立てる。


 ヤブ医者は言っていた。

 物語はハッピーエンドだと決まっていると。

 その通りだ。


 最後、勇者は聖剣を手にし、赤竜を倒し、その勇気をたたえ、死者の王も死の国に戻っていく。

 世界に平和は訪れ、そして終わる。


 ルイは思う。


 真の勇気はなんだろうかと。

 自分はあの時、何を持って剣を振ったのだろうかと。


 守りたいという意志ではなく、死にたくない一心で立ち向かったのではないかと。

 ただ我武者羅(がむしゃら)に、敵に立ち向かったのではないかと。

 結局のところ、力で及ばぬ敵を前にし、思考している余裕なんてなかったと思う。


 身体が勝手に動いただけ。防衛本能が身体を動かしていただけではないだろうか?

 無我夢中。

 だけど、本当に守りたいと思った。

 それだけは事実だ。


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