歪みの城のお姫様
ルーマルク家と古くから付き合いがある家がある。
それは、ルーマルクよりも長い歴史を持つディートタルジェント家だ。
ディートタルジェントの家は元々王族に仕えていたらしいが、今は教会側の人間になっている。
この国の成り立ちは、隣国イースクリートの聖者がこの地に聖始祖の教えを持ち込んだことから始まる。
王政に変わるのはもっとあとのことだ。
最初に教会ができ、イースクリートの姉妹国として徐々に繁栄していき、国民が増えてきたあたりで王が現れる。
その王も聖職者から担ぎ上げられたもので、初期の王は教会の傀儡と称されていた。
それが、王宮をセクトリアの北、現王都に建設した辺りから、教会と別の道を歩むようになった。
もちろん、教会はこれに反発する。一時期、セクトリアは王都のある北と、聖都のある南で国を分けるという案も持ち上がったそうだ。
だが、そうはならず、今まで国が続いている。
ディートタルジェントという家は、最初は教会側であり、その後王族側につき、再び教会側に戻ってきたということになる。
教会側の人間の家は南の聖都付近に集中しているのだが、以上のような理由で、ディートタルジェントの屋敷は王都にある。
だが、家の歴史など子供には全く関係ないことだ。
ルイの学校外での遊び友達はその、ディートタルジェント家の双子だ。
兄をギルベルト、弟をヴィンセントという。
そして、滅多に外で遊ばないが、双子の妹メアリ。
ディートタルジェントの屋敷は増改築を繰り返しているため広い庭がない。なので、晴れの日はルイの屋敷の広い敷地が遊び場となった。
逆に雨の日は、たくさん部屋のある双子たちの家で遊ぶ。いつの間にか、そんな決まりが勝手にできていた。
ディートタルジェントは貴族ではない。そして、王政側のルイの父と真逆の教会側の人間だが、昔から付き合いがある由緒ある家だと言って許されていた。
ルイと双子との出会いはもちろん学校だ。
ルイも双子も学校へは馬車で通学していた。歩いて行けない距離ではないが、通学中に何かあっては、という配慮だった。
その、馬車の御者が仲良く話していて、ルイの家と双子の家の関係を知った。
御者に教えてもらった双子の屋敷、それはいつも馬車で通り過ぎる建物だったし、ルイの屋敷からでも見ることができた。
増改築が繰り返され、外壁の色がバラバラなその家をルイは心の中で「お化け屋敷」と呼んでいた。
だが、その屋敷に住むギルベルトとヴィンセントはいたって普通の子供で、一緒に遊ぶようになって一年ほど経った日、「お化け屋敷」と呼んでいたことを打ち明けると、ギルベルトはお腹を抱えて笑った。
「あの辺りじゃ一番古い建物らしいから。な、ヴィンス」
破天荒な兄ギルベルトに対し、弟のヴィンセントはワンテンポ遅れているような、おっとりとした少年だ。
「うん、もしかしたらお化けと一緒に暮らしてるのかも」
そう言って、ヴィンセントは怖がるふうでもなく微笑んだ。
ギルベルトとヴィンセントはルイよりも二つ年下。だけど、ギルベルトはそんなことはお構いなしにルイに絡んでくる。
慕ってくれるのは嬉しいが、やや強引なところがあるので、そういう時はヴィンセントに助けを求めるのだが、彼はその様子を見て笑い、「そのうち飽きるから」と言って何もしてはくれないのだ。
授業と授業の間の休み時間、教室で眠い目をこすっていると「寝不足?」とヴィンセントが訪ねてきた。
「うん、兄さんに読んでもらってる本の続きが気になっちゃってさ」
「それで色々想像したんだ。ルイっていろいろ考えるの好きだよね」
「うーん、考えてるって意識はないんだけどね。目をつむるといろんなことが頭に思い浮かぶんだ。そういうこと、ヴィンスはないの?」
「ぼくは……ないかなあ。目を閉じたらすぐ寝ちゃう」
「それいいなあ。出かける前の日とか絶対眠れないから。結局馬車の中で寝ちゃって父様に怒られたり」
「そういえば、メアリもすぐ寝つけないほうだよ」
メアリは双子より一歳年下。
彼女も学校には通わず、ずっと家にいる。だからといって、ルイの兄ハウエルのように家庭教師が勉強を教えてくれるわけではない。
女は勉強をしなくていい。これはルイの父の言葉。
始めのうちは、つまりは自由――とルイは勘違いしていた。
女には教養など必要ないという男尊女卑だと、この頃はまだ知らなかったのだ。
貴族の女児は結婚するため、花嫁修業として様々なマナーを身につけるため、家庭教師がつけられるらしいが、数式や自然科学などは教わらないのだと、のちに知る。
「ところで続きって、今はどんな話を読んでもらってるんだい?」
ヴィンセントは椅子に腰かけながら聞いてくる。
彼はルイより二歳年下とは思えないほど落ち着いている。考え方も少し大人びているが決して背伸びしているわけではない。
下に兄弟がいると自然と大人っぽくなるものだよとハウエルはルイに言った。自分がそうだからと、苦笑を交えて。
「勇者が竜と戦うんだ。でも、今まで使ってきた剣は竜の咆哮でバラバラに砕け散って。でもね、勇者の目の前に新たな聖剣が現れるんだ。今までの剣とは比べ物にならないくらいすごい力が宿った剣。だけど、勇者はその剣を手にするのをためらうんだ。自分には足りないものがあるって。だから剣を手に取れないんだって」
「勇者に足りないものがなにか、ハウエルから問題出されたんだね」
「そう。そのことを考えてたら寝付けなくてさ」
ルイは再び小さな欠伸をして机に突っ伏す。
「そんなに難しい問題かなあ?」
「え、ヴィンスはわかったの?」
「うん、たぶん」
次の授業開始の鐘がなる。
同時に、背筋をピンと伸ばした教師が教室に入ってくる。「鐘が鳴りましたよ。席につきなさい」
一学年二十人程度に与えられた教室は広い。
教室のあちらこちらで遊んだり、雑談していた生徒たちは、教師の声に、席についていく。
ヴィンセントも自分の席に戻ってしまった。
――勇者に足りないもの。
本格的に授業が始まっても、ルイの心は物語に向いている。
――それって、ぼくにも足りないものなのかなあ?
*
「勇者に足りないもの?」
怪我の具合を見てもらっている間、なにげなく、昔読み聞かされた英雄譚の話をルイはヤブ医者にした。
日中は子供の世話で手一杯ということで、ルイの診察は夜に行われることが多くなっていた。
もう少ししたら、腹の怪我の抜糸ができそうだという。
腹の怪我――と軽く言っているが、実のところ右鎖骨から左わき腹にかけて長く深く斬りこまれた跡だ。
心臓には達しなかったものの、肋骨も多少切れており、一番ダメージが大きかったのは腸で、意識が回復しても点滴の日々が続いた。
今でもおおよそ人の食べ物とは思えない流動食を飲まされている。
歩くリハビリを始めたので、ヤブ医者は膝や腰の様子を診ていく。
一通りの診察が終わったところで彼は答える。
「勇者に足りないものっていうかさ、物語全体に足りないものならわかったよ」
「は?」
「濡れ場がない」
このヤブに聞いた私が馬鹿だった。
「……もうお前には治療以外求めない」
「なんでさ? こうやって喋ることで君の喋り方だって元に戻ったのに」
そう、無駄話でも医者と会話することでしゃべりも本来の発音に戻ってきた。だが、それとこれとは別だ。なにが悲しくて物語の濡れ場について語らなければならないのだ?
ヤブ医者は勝手にしゃべり続ける。
「ボクはどっちかというと、英雄が成長していく話よりも、囚われのお姫様を助けるとか、そういう話が好きだなあ」
そういえば、あのあたりからそういった物語を兄は読まなくなった気がすると、ルイは思い出す。
確かに姫を助け出す話は好きだ――
「囚われてる間、お姫様がどんなことされてるんだろうって、すごく下半身に来るんだよねー。あと、助けた後、英雄とムフフな夜を毎晩毎晩、こっちが照れるじゃないか!」
そう言ってヤブ医者はルイの肩をバシバシと叩く。
前言撤回だ。断じてこのヤブ医者が言っているようなやましい物語は好きではない。私が好きなのは全年齢向けだ。
「お前、そういう話を子供たちにしてないだろうな?」
「するわけないじゃん。したってノーリアクションで面白くないし」
残念だというような表情を浮かべるその様子に、ここの子供たちは大丈夫なのだろうかと不安になる。
まあ、昼間楽しそうに遊んでいるのを見ている限り、彼らにとってここは楽園なのだろう。
「でもさ、実際のところどうなんだろうね?」
ヤブ医者は、相変わらず手首にはめた腕輪をいじりながら言う。「助けられたお姫様って、幸せなのかな?」
「物語では、幸せだろ」
「そうだけどさ。ボクだったらゴメンだなあ。王様がさ、姫に向かって『お前を命がけで助けたんだからその男と結婚しろ』って」
「……助けられたのは、余計なお世話だったと?」
「話にもよるけどさ、たいてい囚われたお姫様って、拷問されたり、殺されたり、命の危険がないわけじゃん。その逆、蝶よ花よと愛でられて、もしかしたら囚われる前よりもいい暮らしを送ってたかもしれないじゃん」
ヤブ医者の何気ない発想がルイの胸に刺さる。
――逃げなければ、殺されることもなかったかもしれない。
「ま、物語なんてハッピーエンドと相場が決まってるからね。そこに文句をつけるのは素直じゃない大人のエゴ。助けてもらったのがきっかけで恋が始まる。それでグリュックリヒェス エンデ」
めでたしめでたし、か。
私の物語はバッドエンドだったというわけか。それとも、まだ続いているのか。