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すべては想いのため

   *


「お疲れ様、つらかったでしょ?」


 そう言って、ヤブ医者は布を渡してくる。

 気がつけば、全身が汗まみれだった。


「つらいことを思い出す。それはもう一度体験するようなものだからね」

「で、完成したのか?」


 そこは、ヤブ医者の屋敷の地下室だ。

 ヤブ医者の手助けとは、魔女に対抗できるであろう武器の製作だった。


 ただ、そのためには三つの命と、ホムンクルス製造に用いられる、人間の持つ五感を具現化した感覚球と、痛覚球が必要だった。


 感覚球はヤブ医者があらかじめ用意したものがあった。

 三つの命は、ヤブ医者が保管していたものがあった――正確には、検体を用いて生み出したエリクシールとメルクリウス。


 痛覚球は今、ルイの過去の記憶と、治療の初期段階で抜き出されたものを合わせて完成した。


 感覚球はホムンクルスの自立性の向上のために生み出されたもので、疑似魂とも呼ばれているという。感覚球の精度が高いほど、ホムンクルスは人間に近くなる。

 痛覚球はそのさらに上位の性能を持たせるため、ヤブ医者が築いた理論だ。


 ――痛みを知っていれば、その痛みを回避する行動をとる。


 苦い思いをしたものには近づかない。スマートな思想だ。

 その回避思考が、使用者の防衛と敵に対して機能する。


 三つの命と感覚球と痛覚球、それと転生の対価(エクリプセゼーレ)――使用者であるルイ自身の魂が必要だった。


 転生の対価とは、錬金術の世界における魂の循環、それを妨害する行為。

 つまり、ルイが死ねば、本来転生するために魂が身体というミクロコスモスから抜け出し、マクロコスモスに還り、再び誰かのミクロコスモスに宿るのだが、それが行われない。

 魂とインテリジェンス・オブジェクトがリンクした今、ルイが死んだ時、その魂はオブジェクトに燃料として取り込まれるということだ。


 それでも構わないなら、とヤブ医者は言った。


 ルイは生まれ変わりなんて信じてはいない。

 それよりも力を優先させた。

 のちに、愚行(ぐこう)だったと自分を呪うかもしれない。

 そうならないよう、より多くの人を守らなければならない。守ることができればそれだけでこのちっぽけな命にも意味があったと、満足することができる。

 たとえ、自己満足であったとしても。


 汗を拭きとると、ルイは完成した武器を目の前にしたヤブ医者の隣に立つ。

 鉄の箱の中に、一本の大斧が横たわっている。

 先端に付いたスピア部分もいれれば、ルイの身長と同じくらいの全長だろう。


「名前、どうする?」

「そんなもの必要なのか?」

「一応規則でね、製造者と使用者と完成品のスペックを賢人協会に提出しないといけないんだ」

「お前が適当につけたらどうだ?」

「ちなみにね、この子は呼んだら勝手に来てくれるから、持ち歩かなくてもいいんだ」


 つまり、人前で呼んで恥ずかしくない名前を付けろということだ。

 入院している間に覚えたクレモネス語の単語を思い出す。とくにどこの言語だろうが関係ないと思うが。


「……ベーテン、」


 顎に手を当てながらルイは呟く。


「シャルフリヒター・ベーテン」

「処刑人の祈り、ね。いいんじゃない? あとはマスターである君と、この子。実際に動かしてみて微調整かな」

「持ってみても構わないか?」

「どうぞ」


 ヤブ医者は笑顔で促す。


 シャルフリヒター・ベーテン。


 触れて感じたのは暖かさだった。

 不意に、涙がこぼれ落ちる。

 自分の過去を記憶を埋め込んであるのだから当然なのだが、メアリとの思い出が甦った。

 それは、悲しい記憶ではなく、楽しい記憶だ。

 何も知らず、無邪気にはしゃいでいた過去は、偽りではないと。本当にあったことなんだと。

 彼女の死を、兄や父、魔女狩りで死んだ者たちの死を、なかったことにしてはいけない。

 死を乗り越えて、死を抱えて、未来へとこれから進むのだ。


   *


 ルイとヴィンセントに与えられた傷もそのままに、ギルベルトは聖都の大聖堂、聖トバルカイン教会の階段を上へ上へと登る。

 たどり着いた先、黄金の扉の前に枢機(すうき)(きょう)が立っていた。


「私は、枢機卿の座から降りなければならないようだ」


 枢機卿という位を表す緋色の服に身を包んだその老人は呟く。


「そんなもの、自業自得だろ」


 ギルベルトは相手の位など構わず言い捨てる。


「審問官の愚行(ぐこう)を許していたのはあなただ。いや、許すとか、そういう次元じゃないな。国内で何が起きているか、もともと興味がなかった。審問官が適当に処理してくれるだろう。そう思って無視していた」

「そうだ、私は何もしていない。裁かれるようなことは何もしていない!」


 ギルベルトに追いすがろうとする枢機卿を構わず突き飛ばす。


「何もしなかったことが、罪だと知れ」


 床に倒れ込んだ枢機卿はその場にうずくまり、声を上げて叫ぶ。


「私は間違ってはいない! すべては魔女の仕業だ! 魔女が悪いのだ!」


 ギルベルトはそんな枢機卿を無視して黄金の扉を開ける。



 扉の中は真っ白な空間だった。

 どこまでが床で、どこまでが天井かわからない。

 そこは異空間だった。

 ギルベルトの服や指先から血がこぼれ、その場の白を汚していく。

 審問官の黒い制服に身を包むギルベルトもまた、その場には似つかわしくない存在だ。

 そもそも、人間がいてもいい場所ではないのだ。

 ギルベルトが進む先、一人の少女がギルベルトに背を向けて泣いていた。


「……サラ」


 ギルベルトの呼びかけに、少女は肩を震わせる。


「ギル?」


 サラ――と呼ばれた少女はギルベルトがここに来たことも気づかなかったようだ。


 サラという名前はギルベルトがつけた。

 沙羅(さら)双樹(そうじゅ)という木の名前からとった。

 サラは立ち上がると、まっしぐらにギルベルトへ向かって走り、その胸に飛び込む。

 赤い双眸(そうぼう)と、白くて、引きずるほど長い髪。

 身につけているのはシンプルな白いワンピースだけ。

 それだけでも異質なのだが、なにより、左耳の後ろから生えた真っ白な小鳥の翼。

 ギルベルトはサラを抱きしめる。


「どうして? どうして殺しちゃったの? ギルはメアリのことが好きって言ってたじゃない!」

「ああ、好きだった。だから殺すしかなかった」


 他の異端審問官の手に渡れば何をされるかわかったものではなかった。

 それに、逃がしたところで、魔女は国境をこえることができない。

 どこまでも追われる身。

 そして、ギルベルトはサラが好きだった。

 妹のメアリよりも。


 サラは運命の具現化。

 受肉した運命。

 世界と寿命を共にする者。


「サラは死んでも、他の運命が生きていれば世界は死なないって、そう言ったじゃない!」

「うん」

「サラは世界に関わっちゃいけないの。サラのために行動しちゃいけないの。サラは一人ぼっちでもいいの」

「全部、わかってる。だけど、仕方がなかったんだ」


 サラもわかっているのだ。

 運命なのだから。

 何もかも決まっているということを。

 だが、涙を流すサラは人間そのものだ。


 受肉したのは遠い昔。

 それが徐々に、「自分」を生み出していった。

 そして今に至る。

 出会いは神学院に入った頃だ。

 サラはすべてを知っているから、外に出られるタイミングを知っている。


 全知全能。


 そのはずが、学院の勉強をサボって大聖堂脇の木陰で昼寝したギルベルトに向かって落ちてきた。

 そこに体よくクッション役がいるとわかっていて落ちてきたともいえなくもない。

 シスターたちが走って来たので、何事かと思った。

 すぐに引き渡そうとしたのだが、サラはギルベルトにしがみついて離れない。

 サラは「自分と同じ匂いがする」と言って、ギルベルトの胸に顔を埋めた。

 同じ匂いとは、たぶん「運命」の匂いだろう。

 運命に触れられるメアリの残り香がギルベルトについていたのだろう。

 なぜかは知らない。

 ギルベルトはサラに気に入られた。

 事あるごとにギルベルトに会いたいとごねるサラに根負けした枢機卿は、ギルベルトにサラの世話を放り投げた。


 世話といっても、何もすることはない。

 サラは飲み食いしない。

 ただそこにいるだけだ。

 だが、自我をもってしまったサラは未来を知っては涙をこぼすようになった。

 意味を持たない運命の流れの中にある物語を知ってしまった。

 物語の意味を知ってしまった。

 サラは言った。受肉した運命は自分だけじゃない。

 世界という果実の中に。運命という種はたくさんあると。

 たぶん、メアリの「運命殺し」という能力は、自我に目覚めた運命が勝手に運命をいじらないために用意されたカウンターなのだろう。

 だが、サラはそんなことはしない。


 ルイは言った。メアリは運命を変えたりしないと。


 本当に、平行線だ。

 主張もやってることも何もかも一緒だった。

 だから、ルイの気持ちがよくわかる。

 だから、ルイになら殺されても構わないと思う。

 人は、どうしようもなく愚かだ。

 自分の罪なのに、誰かに罰して欲しいと思っている。

 罰した者の罪が増えるだけなのに。


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